先ず訪れたのは、野見宿禰の塚跡
日本書紀によると、野見宿禰は力自慢の當麻蹶速の対戦相手にと出雲から呼び寄せられ、垂仁天皇の前で、力比べをした。(野見宿禰が勝ち、負けた當麻蹶速は亡くなった)
これが我が国の相撲の発祥と言われる。
田んぼの中に建つ石碑は平成12年の建立された野見宿禰顕彰碑。
昔、野見宿禰の大きい塚があった跡だという。
江戸時代にはこの塚に相撲取りがお参りに来るようになり、力士を見るために集まる見物人が畑を荒らすようになり、塚の上にあった五輪塔は十二社神社に移され、その内、塚も取り壊されたという。
野見宿禰は「島根県出雲」の国から呼び寄せられたというが、この近くにも「出雲村」といわれる所あり。
野見宿禰はこの辺の人だったか?
又、野見宿禰は「殉死をなくし埴輪を推奨した」ともいわれるが、それも史実ではないらしい。
十二柱神社
12柱の神が祀られている。
境内に立つ大きい「五輪塔」は元、野見宿禰塚にあったというもの。
右)狛犬の台は4体の力士像が支えている。踏ん張っている姿がかわいい。
「武烈天皇の泊瀬列城宮伝承地」の看板もある。
今日は行かなかったが、後ろの山の中腹に宮跡の標柱が立っているそうだ。
武烈天皇には数々の悪行が知られるが、古事記には一切書かれていないとのこと。
日本書紀には思惑があるようである。
白山神社
「万葉集発燿讃仰碑」が立ち、万葉集 巻頭(巻1-1)雄略天皇の長歌の歌碑「͡籠もよみ籠もち・・があった。
また、「雄略天皇 泊瀬朝倉の宮]の場所について、野見宿禰塚跡から登った山の中腹に説明板もあるという「十二神社あたり」と共に、「白山神社のあたり」を朝倉の宮の候補地とする人もいるようだ。
近くの朝倉小学校や春日神社付近は、雄略天皇の泊瀬朝倉の宮 欽明天皇の泊瀬柴籬の宮、天武天皇の初瀬斎宮などに関連する遺物も出ているという。
穏やかな日で、民家の庭にはオウバイの黄色が輝いていた。 空き地にツクシも出ていた。
長谷寺駅から朝倉駅の短いコースだったが、いくつもの宮跡の伝承地があり、相撲の発祥地・万葉集の発祥地など、かつて繁栄していた場所らしいことがわかった。