みどりの野原

野原の便り

2月28日② 牟佐坐神社・百人一首絵馬 後期展(橿原市博物館)

2025年02月28日 | Weblog

日本書紀講座のついでに・・

牟佐坐神社に参拝。(何度か行ったことはある)


高取川に架かる天神大橋


牟佐坐神社 石段を登る。


牟佐坐神社 拝殿


鈴緒を揺らして先ずご挨拶。


拝殿の中を覗くと、古い絵馬が見えた。
百人一首絵馬はどこに飾られていたのかな?

拝殿の外に、百人一首絵馬の写真や説明板があった。
帰ってから読もうと写真を撮った。

 
拝殿前の狛犬 前掛けはレースのカフェカーテン


「奉」「献」の字の彫が深いなあと写真を撮っておいた。
帰って調べると「奉献の刻字は丹波佐吉の文字 狛犬はいわゆる浪速狛犬である)(Coma-たんさく人)」の記事を見つけた。
‥ということは、狛犬は佐吉作ではないのかな?

橿原博物館で開催中の後期展。  前期展の記事は ココ




前期と絵馬が違うだけで似たようなものかなと軽く見ていった。
前期同様、コメントが楽しいが・・むつかしい。

絵や文字の剥脱や顔が削られたようなのも前期に見たのと変わらない。

そして、見て行くうちに、ハタと気が付いたことがあった。


前期で見た「絵馬の保存箱」向こう側に見える箱に目がいっていた。


今日、あらためて見たら、先日見ていた箱は「蓋」で、絵馬を収める部分は手前だと気づいた。あほやなあ・・私は。 
しまわれた「絵馬」が少し見えている。

橿原市博物館では百人一首絵馬は、年間を通じて温度22℃ 湿度55%の部屋で管理しておられるという。

そして、帰宅後、牟佐坐神社の拝殿の外にあった説明板を読むと・・


この写真では字が読めないが・・
「百人一首絵馬の保存修理」という所に、「200年以上にわたって屋外に掲げられてきた絵馬は、絵や字が読めないほど傷んでいました。・・・」と書いてあった。
えっ!絵馬は拝殿の中にあったのではなかったのか・・
軒下に??どんなふうに飾られていたの?

ネットで探してみたが、拝殿の外に掲げられた絵馬の画像や記事は見当たらなかった。
家に帰ってから読んだので、残念ながら博物館で聞くことが出来なかった。
これは知りたいなあ。

1回目に見落としたものもわかったのはよかった。

コメント (8)
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2月28日① 日本書紀 文氏 ・ 出雲神賀詞 

2025年02月28日 | Weblog

日本書紀講座
天武天皇が683年(天武12年)に38の氏に「連」の姓を賜った。
その内の、「文首(ふみのおびと・ふみうじ)」について。

文首(文氏)(ふみのおびと・ふみうじ) 
 続日本紀下巻には「文忌寸(ふみのいみき)」が記載されているとか。
(私は続日本紀は持っていない・・)
 文氏は百済から渡来した「王仁(わに)」を始祖とする百済からの渡来人。

「王仁」は応神天皇の15年8月?16年2月?「和邇吉師」が呼び寄せられて渡来。
古事記には、和邇吉師は「論語」と「千字文」を伝えたと記しているらしい。(私、古事記も持っていない)
「千字文」というのは初めて聞いた。すべて異なる漢字を用いた文のこと。

千字文は6世紀に成立したので、応神天皇の5世紀に渡来したというのは矛盾するらしい・・が、王仁氏が日本に漢字を伝えたというのは確かだという。

近江神宮で行われる競技カルタの開始の合図とされる歌「難波津に咲くやこの花 冬ごもり 今を春べと咲くやこの花」は王仁が仁徳天皇の即位を祝って詠んだ歌だそうで、古今和歌集の序文で紹介されているという。

王仁を始祖とする「文忌寸」らにはもともと2つの系統があった。
・「倭文氏(やまとのふみうじ)」は応神天皇の頃に渡来した阿知使主の子孫。
・「西文氏(かわちのふみうじ)河内国古市郡に住み・・

東・西文氏は共に文筆によって大和王権に奉仕した。
無試験で大学に入学できたほど認められていた。
始祖が同じ東・西文氏、毎年6月と12月の晦の大祓の時には共に儀式を行うという。

後半の講義の前に「風土記」についてお話を聞く。
風土記は、国ごとに①国郡郷の名(好字を用いて)②産物 ③土地の肥沃の状態 ④地名の起源 ⑤伝えられている旧聞異事 を記録して天皇に献上させたもの。
現存するものはすべて写本。その中でも「出雲風土記」はほゞ完本。
播磨風土記・肥前国風土記・・・などは一部欠損した状態で残り、現在は後世の書物に引用されて(逸文)断片的に伝わる。(風土記にこう書いてありました)

奈良時代に編纂された「大和国風土記」もあったが、今は逸文の形でのみ伝わるという。

後半は、「出雲神賀詞(いづもかんよごと)」の話が中心。

律令制の導入で、地方に、国司(中央から派遣された貴族)その下に、郡司(地方豪族が任命された)が置かれた。

国造が祭祀を行うのは出雲国だけらしい。
(国司と国造の関係が??)
(他の国では祭祀は郡司が行う??)

「出雲神賀詞(いづもかんよごと)」とは
出雲国造が代替わりする時などに、新任の出雲国造が上京して、天皇の前で、「天皇の長寿や繁栄を寿ぐ言葉を奏上する」こと。

続日本紀 霊亀2年2月に出雲国造神賀詞・・が初見らしい。

先ず、精進潔斎した出雲国造が上京して、天皇の永遠の繁栄を寿ぐために上京したことを宣言。
その時天皇から太刀や糸や布や鍬などを賜り、任命される。
そして、出雲に戻り、潔斎し186の神に祈り、献上物(剣や鏡・馬の他、白鳥も献上)を持って上京。
(白鳥はヤマトタケルやホンダワケの伝承による独特のものらしい)
そして、1年間潔斎して、3度目の上京で天皇の前で「出雲神賀詞」を奏上する。
・・と3度も手順を踏む。

その「出雲神賀詞」の中に「・・葛木の鴨の神奈備」「・・宇奈堤(うなて)」「伽夜奈流美命の御魂を飛鳥の神奈備・・」など、近辺の神社名が記されている。

むつかしい話だったが、出雲神賀詞は知らない遠い所の話だけではなく、身近にある神社にも関係があるんだということがわかった。

聞き違いも間違いも多いと思うが、自分なりに書いてみた。

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2月27日 丹波篠山 ポカポカ陽気 早春の草花は・・追手神社・大乗寺・追入神社 

2025年02月27日 | Weblog

丹波篠山へ、友達が計画してくれてグループで早春の草花を見探しに・・
ここは5年前に観察会で連れてきてもらったところ。

タクシーで大山宮バス停あたりで下車。景色覚えてる・・
橋を渡る。

まだ冬枯れの草の中に、黄色い花が咲き始め。


前にキクザキリュウキンカ と聞いた。
家にあるヒメリュウキンカとどう違うかよくわかってない。
図鑑やネットでは、ヒメリュウキンカよりも大型としているものもあれば、ヒメリュウキンカが別名になっていることもある。
花の直径をはかってみたら5㎝ぐらいあったので、家のヒメリュウキンカより大きいかもしれない。
家のヒメリュウキンカの花が咲いたら、大きさを測ってみよう。


カフェの庭にモミノキの大木があった。


しばらく歩くと、山野草の看板が見られるようになる。
写真はアズマイチゲと思うが花はもう少し遅いだろう。

前に見たあたりを歩いてみる・・

 
   セツブンソウ       セリバオウレン
あるにはあったが・・小さいのが少し。
観光協会へ問い合わせてくださったのだが、少し早すぎ?


途中にシキミがたくさん植えられていたが、まだつぼみ。
ポカポカ陽気で気持ちが良い。

「追手神社」に出た。

 
わあすご~い!思わず叫んでしまう大木は、モミノキ
千年モミともいわれている天然記念物。 
根元に空洞がある。倒壊防止のための支柱が設置されていた。


夫婦イチョウ
木下に皮の取れたギンナンがたくさん落ちていたので、少なくとも1本は雌木とわかる。
さて、もう1本は雌?雄?


追手神社 拝殿。御祭神は大山祇命


拝殿の彫刻は細かく立派。
この追手神社と後で行く追入神社にはおもしろい伝承がある。

その昔、鐘を持った神様がこの地を通り、それを追いかけた神様がいた。
日が暮れて仮眠され、目覚めるとすっかり夜が明けていたので、追跡をあきらめてそこに鎮座されたのが、追手神社。

ここも前回は花を見た。今は名札のみ。ユキワリイチゲも葉の群生のみ。
お弁当を食べる。



追手神社を出て、先に進む。

前に来たが道ははっきり覚えていない。人家もなく聞く人もない。
前回の私のメモ帳を参考に歩いているが、大丈夫かな?


地蔵のある分岐に来た。 左折。


しばらく歩いて石段を上る。山陰の田には雪が残っていた。


「大乗寺 山門(仁王門)」 2層になっている。

 
仁王像


龍や兎などの彫刻が施されている。 波に乗る兎は見えた。


門を入った所にコウヤマキの大木
下にたくさん球果がおちていて、枝に残っているものもあった。
こんなにたくさん球果をつけているのは他であまり見ない。

仁王門を入っても寺の建物はない。


山際の川の中に枯れたクサソテツが群生。春の芽はコゴミ。
たくさん採れそう。
でも高さのある川辺の向こう側。あっても手がとどかないか・・。


お寺に出た。「大乗寺」 山門(仁王門)とはだいぶ離れている。

創建は白鳳時代という古刹。先の追手神社とは神仏習合の関係だとか。
『はじめは金山の山上にあり、十二坊が立ち並ぶ天台宗の名刹であった。 熊野修験道の丹波における拠点として続き、文安五年(1448)に起こった大地震で全壊、山上から現在地に再建された。
 中世、大山村の国人領主であった中沢氏が保護を加え、最盛期には二十坊を数えるまでになった。 しかし、天正六年(1576)、丹波を攻めていた明智光秀の丹波攻めで焼失』(ネット)


薬師堂


拝殿前の扇形の石。「拝み石」というそうだ。初めて知った。

大乗寺から下り・・「追入神社」に行ってみることになった。
前回は行ってないので楽しみだ。


追入神社 山裾にひっそりとたたずむ。

先の追手神社の伝承の続きで・・
『追いかけられていた「鐘を持って逃げた神様」は峠を越えたところで朝を迎え、その場所に鎮座。
越えた山を「金山」、越えた坂を「鐘が坂」という』
その後、聖権現・愛宕社を合祀して大正元年現在地に移し、後、刈野神社も迎えて追入神社となったらしい。
追入神社は地名「追入」の名の由来にもなっている。


拝殿の後ろに流造り立派な本殿があった。


本殿には細かい彫刻が隅々にまで施されていてすばらしい。

 
本殿前の左右。ちょっと変わった狛犬だなと写真を撮っておいた。
(向かって左は見えにくく撮りにくかったが手を伸ばして何とか撮れた)
熊野信仰「狼型狛犬」だそうだ。写真を撮っておいてよかった。

鐘楼もあった。


境内出口あたりに・・これは霜柱の跡じゃないの?
霜柱はは久しく見ていない。

帰りもタクシーを呼んで駅まで乗った。

早春の花の時期には少し早すぎたようで、看板ばかり目に付いたが・・
お陰で神社や寺をゆっくり見れて、これもまた良し。
春のポカポカの暖かい日で、ハイキング日和。気持ちよかった。
前回は付いて歩いたコース。メモも役立ちスムーズに歩けた。

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2月25日 セリバオウレン

2025年02月25日 | Weblog

去年葉を見たセリバオウレン 咲いてるかな? 
友達4人で行って来た。


昨日の雪が残る山道 場所わかるかな?


葉は2回3出複葉 セリの葉のように切れ込む。


花もあった。 小さい。身をかがめて見る。


白い花弁がたくさんあるように見えるが・・
外側の長いのはガク片で5個ある。
その内側、小型のスプーン型のものが花弁。
雄しべ多数。(雄花)


雄花 葯も真っ白な雄しべが目立つ。


これは雌花だと思うが・・どうかな?
緑色の雌しべが見え、雄しべは短い。


長いおしべが広がっているが、中央に緑色の雌しべらしいものが見える。
これは両性花でいいのかな?


雄花のように見えるものの中にも、中央に薄いピンクが見える。
退化した雌しべなのか?
う~ん。性別はややこしいな。

一株から茎が何本もでるのかどうかも知りたかった。


この株には2本の花茎が出ていた。中には3本出ているのもあった。
1本の花茎は上部で3つに分かれている。分かれた花柄の先に花をつける。
5つに分かれていたものもあった。
写真の2本の花茎の 下の花茎には雄花が3つ付いていた。
後ろの、もう1本の花茎に付いているのは雌花? それとも雄花の蕾?

・1つの株から、雄花をつける花茎と、雌花をつける花茎が出ることがあるのか?
・1本の花茎の3つの花の中で、雌花と雄花が混じることがあるのか?

帰って整理していたら、またまたわからないことだらけ。


シカ?の足跡のあった下り道。

花が見れてよかった。
帰り道も迷いそうになったが、皆さんのお陰で、うまく降りることができた。

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2月24日 雪が積もった 雪の思い出

2025年02月24日 | Weblog


朝8時カーテンを開けたら・・わあ。雪だ。積もっている!
このぐらいの雪もこの辺では珍しい。

2014年・2013年にも同じぐらいの積雪があったが、最近はたまにチラチラしてもめったに積もらない。

家のあたりの積雪と言えば・・

 
コロちゃん形雪だるま(娘作)と在りし日の元気なコロちゃん。
2008年2月10日。今日よりは積もった。

冬は雪の中でよく遊んだものだ。

樹氷を見に高見山や三峯山に何度か登った。
氷瀑を見に行ったり・・
スノーシューも何回か行った。


2012年 金剛山で雪滑り


2012年 深く積もった雪の中、誰もいない余呉湖の周りをを歩いたり


2022年12月 レンタカーで来ていた霧島の民宿で、朝起きたら雪景色!
これにはびっくり。わあ~どうしよう・・帰れない・・
こんな時はレンタカーはどうやったらいいのか・・
幸いにもすぐ横の自動車道は雪が溶けて、何とか次の場所へ行けたが、溶けた雪道はヒヤヒヤした。
・・と、こんなこともあったが、無事に過ぎてみると面白い思い出。

冬の楽しい思い出はいっぱい。

・・今日は・・一日部屋の中に籠っていた・・😢

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2月23日 花の文化園 バイモ・ナツフジ・シクラメン・ヤドリギ・セツブンソウ・バイカオウレン・セリバオウレン・フクジュソウ

2025年02月23日 | Weblog

堺の観察会に誘っていただいて、友達グループと、河内長野にある「花の文化園」へ。
ずいぶん前に来たことはある。

汐滝橋バス停から花の文化園まで、ガイドさんが案内して下さった。
その道中も季節が違えばいろいろ見れそうないいところだった。


アミガサユリ 根元に白い鱗茎が見えた。
2枚の鱗片が合わさったところが2枚貝のように見える所から「貝母(バイモ)」の別名がある。


山裾にナツフジの実がいくつもぶら下がっていた。

1個持って帰って置いておいたら・・
パチッと音がして鞘が弾け飛んだ。


拾い集めた鞘と豆果 2mほど飛んでいた豆もある。
後で、夫が「カメムシじゃないの?」というので見たらナツフジの豆。

もう少しあるはずだが残りは行方不明。
棚の後ろやテレビ台のすき間に落ちているのかもしれない。
片方の鞘も行方不明。いづれ出てくるでしょう。

「花の文化園」に到着。
2組にわかれ、女性のガイドさんに案内していただく。


原種シクラメン 花は小型で可愛い。


シクラメンの球茎 
この形から雌豚のパン。日本語でブタノマンジュウの別名がある。


マンサク 名前の由来は春に「先ず咲く」ことからとか、「豊年満作」からとか。
丸まった花弁がほどけていく様子はとてもかわいい。


赤花のマンサクもあった。


セツブンソウ 草丈も小さく可憐な花。
春先に花をつけ、夏には地上部が枯れて休眠するスプリングエフェメラル
春の妖精などとよばれる。


小さい花は見にくいが、美しい。
花弁のように見える白いものはガク片。
花弁は退化して2又にわかれて先が黄色い蜜腺になっている。
たくさんある雄しべの葯は青紫
中心にある雌しべは紫色  カラフルだ。


バイカオウレンは群生していた。
きっぱりとしたウメ型の白花。これも白い花びらのように見えるのはガク。
葉は常緑。掌状複葉で小葉が5枚。小葉に柄がないのが特徴。


セリバオウレンも花が咲いていたが、小さくて見にくい。
葉は紅葉して赤紫。

フクジュソウも咲いていた。


サクラの木にヤドリギ。果実が1個ついていた。
キレンジャクやヒレンジャクが果実を食べ、糞に混じって出た粘りのある果肉のついた種が木の幹や枝に付着することで、木に根を食い込ませる半寄生植物。

「こんな低い位置にあると観察しやすくていいね」と話していたら「人が付けた」ものだそう。
なんだ。そんなこともできるのか。


同じ木の皮目のところに果実の粘液のようなものが付着。
これも人が付けたのかな?

温室にも入った。

園内は広く、植物の種類も多い。
今はシーズンオフで花も少なかったが、もう少しすると園内も賑わうことだろう。
見たことのない シーボルトノキ というのもあった。どんな花を咲かせるのかな?

色々見たいと思えば、毎月来ないといけないなあ。

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2月21日 京都府立植物園 イナゴマメ ヒュウガオウレン コセリバオウレン セツブンソウ フクジュソウ カワラハンノキ ジュズネノキ フキノトウ コゴメイヌノフグリ キンカチャ

2025年02月21日 | Weblog

京都府立植物園

植物園 北山門前のイナゴマメ 雌花がついていた。


先日は雪に埋もれていたスノードロップ 今日は満開


まだほとんど蕾の梅園で”香篆”の樹名板が付いた梅が咲きかけていた。
枝が曲がりくねり、雲竜梅ともいうらしい。

花も終わりがけのロウバイなどを見た後、生態園へ。


バイカオウレンは花はなし。掌状複葉の葉の小葉には柄がない。


ヒュウガオウレンは花が咲いていた。小葉には葉柄がある。


コセリバオウレン 雄花が咲いていたが、葉が見えない。


セツブンソウ  可憐な花 スプリングエフェメラル


セツブンソウ 小さいがカラフル。愛らしい。
ガクは花弁状で白い。花弁は退化して黄色い蜜腺が付いている。
ブルーは雄しべ。中心に見えにくいがピンクがかった雌しべが見える。


セリバオウレン 2回3出複葉 紅葉している。


セリバオウレン この花茎には雄花が4個 


フクジュソウ 黄色いカップで日光を集めるという。
フクジュソウは4種に分けられたが、これはフクジュソウとのこと。


ヤマアイ 群生していた。雄花が咲き始め。


カワラハンノキ 雄花序はもうすぐ花粉を出す。雌花も見えた。


アリドオシ 果実が1つ。


「ジュズネノキ」を見つけた。今日一番うれしかった。

ニセジュズネノキ(オオアリドオシ)があるが、ニセではない本物?は初めて見た。
感じが違う。トゲもほとんど見えない。


フキノトウ  一気に春の気分


建物の際に友達が見つけた「コゴメイヌノフグリ」
葉は紅葉、花もまだ身を縮めている感じ。

午後は観覧温室へ。


キンカチャ


ベトナム原産のキンカチャの仲間だそう。


ステッチをかけたようなソーラス。面白い。シダの仲間。



春の草花展も通り抜けた。
極楽もさにありなん。行ったことはないけど・・

もう1か月もすると植物園も春爛漫になるだろう。

 

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2月18日 ラックカイガラムシの話 (他 省略)

2025年02月18日 | Weblog

昆虫部会の講座をズームで視聴した。
落ち着いて視聴できなかったのだが、ラックカイガラムシは以前から興味があった。

*カイガラムシの生態。
*カイガラムシ防除の成功例
   ・ヤノネツヤコバチやヤノネキイロコバチなどによる、ミカンの害虫「ヤノ 
  ネカイガラムシの防除。(昔見たミカンの皮の粒々は見なくなった)
 ・ペダリアテントウの導入で、同じく柑橘の害虫「ワタフキカイガラム
  シ」 の防除

*害虫として知られるカイガラムシの仲間にも役に立つ種類がいる。
 「3大益虫」4000年以上前から人の役に立ってきたラックカイガラムシは樹
 脂や染料を生み出し、カイコやミツバチと共に3大益虫と呼ばれる。

*正倉院宝物の中にある「紫鉱」は種々薬帳に見える薬物。
 ラックカイガラムシが小枝に分泌した樹脂で。薬用とされた。

*ラックカイガラムシの色素の利用
*ラックカイガラムシはインド・タイ・タイワンなど東南アジア原産で養殖される。
ラックカイガラムシの体の表面から分泌される樹脂状の物質がセラック(シェラック)

*人体に無害な「天然樹脂」として、初期のレコードの原料などに使用。
現在でも錠剤や粒ガムのコーティング・柑橘類の果実を保護するワックス・バイオリンの塗装にも活用されている。

*人体に無害な「赤い色素」として、日ごろ食べている食品に利用されている。(成分表に「ラック」「コチニール」「カルミン酸色素(コチニールの化学物質)」などの表記がある)
(コチニールはメキシコ原産のカイガラムシの1種から得られる赤色色素

アンパン・カニかまぼこ・明太子・かき氷・イチゴオーレなどの添加物に。
染色にも使われる。

私の持っている「カイガラムシが熱帯雨林を救う」渡辺弘之著
おもしろいです。

大阪市立科学館にはラクカイガラムシの常設展示があるとのこと。
機会があれば行ってみたい。

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2月16日 [百人一首絵馬] 前期

2025年02月16日 | Weblog


橿原市博物館で開催中の「百人一首絵馬」展 前期
最終日の今日行って来た。

この絵馬は、牟佐坐神社(見瀬町)に奉納された江戸時代の絵馬。
牟佐坐神社には何回か行ったことがあるが絵馬は気づかなかった。
2005年に橿原市に寄贈され、橿原市博物館で保存しておられるとのことなので行った時には神社になかったのかも。
今は牟佐坐神社には代わりに写真パネルがあるらしい。

百人一首絵馬で、すべての歌人が揃っているものは全国でもここを含め2例のみだとか。(もう1か所は兵庫県 御形神社だそう)
そういえば「三十六歌仙」というのは時々見る。
百首を奉納するには費用もかかるので、100人揃った絵馬は大変貴重なものだとか。


絵馬保存用の箱 桐製で、湿気を一定に保つ特徴がある。


いつも見る1面の絵馬と違い、大勢の歌人と歌を1枚に描いてある。
前期は半分の50人分 全部で14面 1面に8人・7人・4人の絵馬もある。
大きいものでは横幅182㎝ 小さいもので幅94㎝


第1面(上)と第2面(下) 
歌人の下に書いてあるコメントが面白い。
「私です。中大兄皇子です」天智天皇
「女帝中の女帝よ」持統天皇
「帰りたいのに帰れない。日本LOVEです」阿倍仲麻呂

「坊主めくりおれ最強」蝉丸
「康秀さん 三河旅行いいね」これはわからなかった。小野小町
 ・・といった具合。
 

3面は4人分の小さい絵馬。
「平安一の色男」在原業平

他の面にも、
「女性のふりして土佐日記かきました」紀貫之
「私の順番間違っているんです」というのも。時代順に並んでいるらしい。
他にもいろいろ。


絵馬の下の部分に奉納者 泉屋平助 他 の墨書きの名前が見えた。

歌人の上部には歌が書いてあるが、字は消えかけていて見えない。
歌人の顔がなぜか消されたようになっているのはなぜかな?


押しの1首にシールを貼ろう。一番人気は「春過ぎて・・」持統天皇


会場入り口にあったチョークアートはここの職員さんが書かれたとか👏

後期は2月18日から3月2日まで、来れるかな?来たいなあ。

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2月15日 海の中から地球を考える & ビックリ!記憶

2025年02月15日 | Weblog

ならコープの講演会に参加
初めて行くならコープ本部。地図を見ながらわかりやすそうな川沿いの道で。


佐保川沿い。春ならばお花見しながら行けそうな桜並木。


川の斜面にはスイセンが見頃だった。

何度か道行く人に確認しながら・・


ならコープ 本部に到着。思ったより時間がかかった。
挨拶が始まっていて、講演にはぎりぎりセーフというところ。


「海の中から地球を考える」
プロダイバーで環境活動家の講師中本匡弘氏。

普段、自然に関するテレビ。きれいな海や珊瑚の放送も見るのは大好き。
一方、地球温暖化で海面上昇して島国がなくなりそうとか、ホッキョクグマの悲劇を見ることもある。・・が・・

「海の話でいい話はありません」の言葉にギョッとする。
笑いも織り交ぜながらも、笑ってる場合じゃありません。と。

ダイバー歴47年という経歴の中で「現地に行って撮った写真」と「目撃者としてのお話」は分かりやすく、インパクトがあった。

講師がダイビングを始めた頃の各地の海底の様子→現在の写真。
壊滅的なサンゴの写真。海を漂い、海の底に沈んだマイクロプラスチック。
想像以上に環境汚染が進んでいるのにびっくりした。

「環境正義」という言葉も初めて知った。
化石燃料を大量に消費している先進国。その陰で、化石燃料をあまり使ってこなかった途上国が被害を被っている。その不公平を正していこうという考え方。

気候変動・海水温上昇・地球温暖化・海洋プラスチック・生物多様性・ジェンダーの問題・・それらは同じ問題だという。 聞いて納得。

素晴らしいのは、海の危機を目の当たりにして、プラスチックフリーのエコストア(量り売り・ラップを使わないカバーやプラスチックでないスポンジなど)を開いたり、マイクロプラスチックの調査や子供たちへの啓蒙活動など、実践しておられること。

その中で、子供たちが自分の学校で使うプラストローの数を調べ・・プラストロー全廃に繋がったという話は感動した。
子供たちはスーパーにもプラストローを使わないようにお願いに行ったとか。未来につながるお話だった。

自分の生活の中で何ができるか。
国や自治体が指針を示してくれるとやりやすいが・・
声をあげていくことが大事といわれた。
出来ることを考えて行こうと思った。

話は変わるが・・
今日、思いがけない出逢いがあった。
会場手前で一緒になった方。
受付で記名された名前を見て・・!!

講演が終わって帰り道、また一緒になったので、思い切って尋ねてみた「ひょっとして、以前「あおがき」の編集に関わっておられましたか?」  「はい」・・・やっぱりそうだった。

それは生協発足して間もなく「機関誌の名前募集」に応募したら「あおがき」が採用されたのだ。
そしてその後、家へ取材に来られたのが今日の方。
50年前の事だ。
お会いしたのはその時1回だけ。お名前もお顔もどんな方だったのかも特に印象になかったのに・・・
今日、名前を見た途端、ハッと記憶がよみがえったのだ。
名前や顔を覚えるのは超苦手。忘れん坊ナンバーワンの私。

記憶ってどうなってるの? 不思議なことがあるものだ。
お話しながら駅までご一緒したのだった。

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