今日の歴史ハイキングは私のお散歩コース。ブログにも何回も登場するところ。
・・とはいえ・・場所はわかるが歴史は?・・というのがちょっと情けない。
先ずは
大日堂と、同じ境内にある入鹿神社 小綱町(しょうこちょう)
案内役は久しぶりに会う高校の同級生のT君だった。
去年設立された文化財保存会により管理されているという。
正連寺 大日堂
大日堂は元は今は廃寺となっている普賢寺の本堂だった建物で、
文明10年(室町中期)の墨書のある棟札があり、国の重要文化財となっている。
江戸末期、普賢寺が衰退して明治の廃仏毀釈により廃絶することになり、競売にかけられ、13円50銭で地元住民が落札したそうだ。そして、宗派の違う正連寺の管轄となった。
年一度7月15日のお祭り以外は公開はされていなかったそうだが、保存会が設立されてからは、見学も受け付けておられるとのことで、内部も案内してくださった。
本尊 大日如来 重文指定の際、創建当時の姿にするために、後の修理で補われたものは取り外した。右の写真はその時に取り外されたもの。
堂内では文明10年(室町中期)の墨書のある棟札、全国的にも珍しいという猫の描かれた涅槃図などを見学。写真はうまく撮れなかった。
お隣にある
入鹿神社
一般的には逆臣とされる蘇我入鹿を祀る全国唯一の神社。
右)誰かが拝殿の入り口の屋根の棟瓦に龍がいるのを見つけた。
本殿は橿原市の指定文化財 右)も同じ本殿 夕方撮ったもの
本殿正面の蛙股ヒジキの彫刻は鳥のようだ。サギ?
実はこの彫刻が気になって夕方もう一度来たのだった。
石の玉垣の隙間から写真を撮ろうと苦戦していた時に、たまたまT君が通りかかり、お蔭で本殿を囲いの中から見ることが出来た。
夕方で近くで撮った割には写りが悪いが。(掲載は了承済み)
よく見れば塗装もだいぶ剥げていたが、塗り替えの予算も付いたとのことだ。
入鹿を大切に守る小綱町には、ニワトリの合図で入鹿が首をはねられたので「ニワトリを飼わなかった」とか、「鎌足を祀る多武峰へは参らない」とか鎌足の母の出生地の明日香村小原とは「縁組をしない」など、入鹿びいきの伝説が残っているというのも面白い。
T君には小綱町の野神(農神)さん・五井の野神さんの場所を教えてもらったので叉行ってみようと思う。
次は
人麿神社 祭神は柿本人麻呂
エノキの大木に絡まるフジの蔓はエノキに劣らず太く龍のようだ。 右)万葉歌碑
「秋山の 黄葉(もみじ)を茂み 迷ひぬる 妹を求めむ 山路知らずも」
国の重要文化財の本殿は修理中かシートがかけられていた。室町時代の建物
地黄町の由来はこの辺りは薬草「地黄」が栽培されていたからという。
この神社で有名なのは健康と五穀豊穣を願う「地黄のすす付け祭り(5月4日)だが、子供が少なくなったのか去年はなかったらしい。あくる日子供の作った絵馬と、大人の作った藁の蛇を野神塚へ持っていくらしい。多分前にもブログでも書いた場所だと思う。
野神さんのことは過去に何回かブログあり。「11月14日 野神さん みどりの野原」で検索すれば2009年の記事が出る。
次に見た北妙法寺?の「大エノキ」藁の蛇がまきついていた。
T君によるとこれも
野神さん らしい。
エノキは「ヨノミ」とも言い「伐ると祟りがある」などといわれ、道路の真ん中に残っていたりすると聞いたが、何か所か見たことがある。
次は家の氏神様「
宗我坐宗我都比古神社(そがにいますそがつひこじんじゃ)」
蘇我氏の先祖を祀る。台風で鎮守の森は被害を受けたが、前はもっと荘厳な雰囲気だった。
宮詣りや初詣などお世話になっている割には本殿(右)を見るのも初めて。裏に回るのも初めて。
灯台下暗し。
子供からも聞いてはいたが、なるほど裏は広い。神域は約3000坪もあるという。元の曽我川川原も含んでいる? 中曾司遺跡の中心で土器などが出土。
ここから近鉄線を渡り北へ。
次は
磐余神社 神武天皇を祀る。ここにも柿本人麻呂の万葉歌碑があった。
「真菅よし 宗我の河原に鳴く千鳥 真無しわが背子 わが恋ふらくは」情熱的な歌。さて、この千鳥って?
ここで昼食後、飯高町へ。
小子部命を祀る「
子部神社」の隣は「
吉楽寺 瑞花院(ずいけいん)」
本堂は重要文化財 修理の時に年代もわかる43枚ものへら書きのある瓦が見つかった。
住職さんの奥様が瓦を見せてくださった。ところどころ読める。
瓦大工は法隆寺、薬師寺、唐招提寺等の造瓦に従事した橘吉重寿三郎だそうだ。
「嘉吉元年(1441年) 5月1日 サルノトキニ トクリホトナル アラリフルナリ ヒツシサルヨリウシノハウヘフリイクナリ」
おまじないのような言葉は「嘉吉元年(旧暦)5月1日 2時頃 どんぐりほどの アラレが降った 南西より北の方へ」 製作者名や年号だけでなく天候の事などわかっておもしろい。
他の瓦も何が書いてあるのか知りたいところだ。
次にブログに時々登場する
屋就神社を見て、「
多坐弥志理都比古神社へ。
「屋就神社 みどりの野原」で過去の記事あり。
初詣に来る多神社 本殿
ナギの葉陰にクビキリギスを見つけた。寒い冬を成虫で冬越し?
太安万侶から数えて51代目だという宮司さんの説明があった。
古代豪族多氏の根拠地で、大和国中の中心に位置し、古くは寺域も広大で東西南北にはそれぞれに門があったそうだ。屋就神社や子部神社など4つ?の若宮を持つ。
祭神は神武天皇など4柱 資料館の中を見学した後、宮司さんとお話していたら、みんなとはぐれてしまった。
Kさんと次のところを目指したが、時間がありそうだったので、オプションで「
秦楽寺」(じんらくじ)へ
中国風の山門 夏にはハスが咲くという池もあり静かな雰囲気が気に入った。
結局最後のところは通過されたそうで、一足遅れになってしまった。