みどりの野原

野原の便り

2月28日 久しぶりの友達と カフェ

2012年02月28日 | Weblog
5年ぶり?6年ぶりか? 

橿原のカフェで水彩画が出ていると共通の知り合いのろうの女性からFAXが来たのをきっかけに
そう遠くはないけれどなかなか会う機会がなかった友達2人と久しぶりに会った。

私が仕事で手話が必要になり講習を受けて以来、退職する頃まで、サークルや研修などでしょっちゅう顔を合わせていた手話仲間だった。
仕事を終わって夜・休日も頑張っていたなあ。


   ランチしながらおしゃべり

私はすっかり手話をやめてしまったが、彼女たちはその後も続けてもう20数年。
超ベテランになっている。ほんとに尊敬するわ。

カフェに飾られた水彩画はやさしい色遣い。彼女ももう日本画をやり始めてだいぶなる。

日本画の彼女も手話友達の2人も「頑張る」という強さではない「粘り強さ」を持っている。
彼女たちを励みにして、私もこれからの毎日を頑張ろうと思った。

再開を約してまたそれぞれの道へとしばしのお別れだ。
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2月27日 馬見丘陵公園

2012年02月27日 | Weblog
観察会参加。

予備の芽(副芽)をもった冬芽・乾燥や寒さから芽を守るための工夫。すごいなあと思う。

 
      落葉した冬の姿の中で、梅林は紅梅が咲きかけていた。

 
サンシュユも黄色い花が見えてきた。枝に残った果実は萎びているが、完熟で渋みは薄くなっている。

 
鳥が食べた跡と思われるサンシュユの種子  割ると・・中はこんな風になっていたのか~。
縁に空洞が並んでいた。なんのため? 軽くするため?

一番うれしかったのは
・・前にクヌギの樹皮の割れ目で見たクヌギカメムシの卵塊(2月19日奈良のブログ参照)で・・

クヌギカメムシが孵化して1齢幼虫が見られたこと。右のやや黄色く見えるもの。卵塊はゼリーに覆われているが、幼虫が孵化して最初に食べるのはそのゼリーらしい。そういえばゼリーに頭を突っ込んでいるように見える。

そして、呼吸孔とおっしゃったのがその時は確認できなかったが、帰って写真をよく見ると
一部の卵から3本の「孔」というよりも「管」がかすかに見えた。

いっぱい卵塊が付いていたのでたくさん孵化することだろう。ウィルスにやられたり、鳥や虫に食べられたり・・どのぐらいの生存率かしらないが、キビシイ生存競争が待っているよ。
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2月24日 飛鳥~高取方面 春は見つかるか?

2012年02月24日 | Weblog
ちょっと散歩に高取の方へ歩こうと思っていたら、そっちの方へ行ったことがないからと息子も一緒に来ることになった。

飛鳥駅前から田んぼの遊歩道を通って於美阿志神社の方へ。

 
百済から渡来した阿智使主(あちのおみ)を祀る於美阿志神社(おみあしじんじゃ)は檜隈寺(ひのくまでら)の跡でもある。  塔の芯礎や十三重の石塔が残る。

 
境内にあった「太神宮灯籠」 もっとどっしりと大きいものが多い中、こんな細いのは初めて見た。  カナメモチの赤い実が目をひいた。「あれはナンテン?」赤い実はみんなナンテンと思っている息子。

 
キトラ古墳手前を登りキトラ古墳を超えた。 キトラ古墳の覆い屋 


キトラ地区周辺歴史体験ゾーン工事中  棲んでいたキジはうまく引っ越しできたかなあ。

 
3月の「町屋のひな巡り」にはちょっと早く、まだ準備中。

 
早くも飾ってあった竹飾りのお雛様     等身大サザエさん一家が迎えてくれた

 
今日見つけたかったけれど見つけられなかった春の使者フキノトウとツクシをプランターの中に見つけた。

 
帰り、紀路を歩いて戻ることにした。 あの道からあそこへ続いているだの、ここはちょっと途切れているとか・・古道や道しるべに興味を持っている息子の話を聞きながら・・(適当に聞いているので覚えられない) 
途中で、紀路を通って帰宅途中のNさんと出会った。
歴史通のNさんが紀路を通って・・ 似合うなあ。

私は自分の興味の方へと・・
 
      ヤマハゼの冬芽   斜面に植えられたタラノキの冬芽 葉痕が美しい。

 
オオイヌノフグリも満開 シロバナタンポポやカンサイタンポポも咲き、春を感じた一日だった。

息子は私と一緒では歩きははかどらなかったようだが、いくつもの昔の道しるべや道路原票を見つけたよう。道路原票や道標は道路や宅地がだんだん高くなっていくためか、足元が埋もれているものが多いが、市町村によっては大切にされ、掘り出して整備している所もあるそうだ。
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2月21日 お話会 & 鹿島神社

2012年02月21日 | Weblog
大人向けのお話会があり聞きに行った。

知り合いの人や妹も出演する。


折り紙のお雛様が飾られ、前のテーブルにはろうそくが・・

13人の方が次々と昔話や童話などのお話をされた。
聞くのはいいけれど、覚えて人の前で披露するって大変だなあ。私にはとてもできない。

身内びいきで、お知り合いの人も妹のお話もよかった。頑張った頑張った。

帰りに下田駅前の鹿島神社へ立ち寄る。


   鹿島神社   こんもり茂った鎮守の森が見えるが中へは入れないらしい。

 
   わびすけツバキ?はまだ蕾    サルカコッカ いい匂いを振りまいていた。        

     ベニバナマンサク 
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2月20日 琵琶湖1周 ⑫ 比叡山坂本~雄琴温泉 楽々足湯付き

2012年02月20日 | Weblog
雄琴温泉から南へ下るべきところ、前回入りそびれた足湯に入るため比叡山坂本駅~雄琴温泉へと逆歩き。

比叡山坂本駅を出発。日吉大社の方へ少しだけ町歩き。

 
    日吉大社の鳥居 

 
坂本は石工集団 穴太衆の出身地 この石垣も穴太積みといわれるものかな?
                 右)植え込みのところには少し雪が残っていた。

日吉大社の手前で右折する。

 
 聖徳太子の創建といわれる西教寺 明智光秀一族の墓があるそうだ。
                           右)遠くに琵琶湖
琵琶湖も南の方になると、湖岸近くまで所有者があるらしく、建物が接近して、琵琶湖のそばを歩くことができない。

途中で弁当を食べて、さあ雄琴駅まではどれぐらいかな?と思ったら、もうここは雄琴の町らしい。
思ったよりずっと近かった。
想像していた温泉情緒は感じられなかったが、道の駅にあった足湯に浸かる。

 
ゆっくりと足湯 時間を決めて熱いお湯がたされる。年配の人から若い人、近くの高校生の男の子のグループなどで賑わっていた。
                       右)雪のわんちゃんも溶けかけ。

しばらく歩くともう雄琴駅

前回見つけた雄琴駅前の六角足湯 おばさんが1人入っていた。
 
今日は歩き足らないほどののんびり足湯付きの琵琶湖歩き。 
2時前の電車に乗る。
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2月19日 平城宮跡をくまなく?歩く

2012年02月19日 | Weblog
枯野で何もなさそうな平城宮跡だが、よく見ると生き物が息づいている。

 
湿地の植物も枯れてガマの穂綿もほぐれていた。綿毛の先には種がちゃんと付いていた。

 
イチイガシの葉の裏にミカドテントウ  エノキの落葉にはゴマダラチョウの幼虫

 
コナラの樹皮の割れ目に光る緑色のものはクヌギカメムシの卵塊らしい。ルーペでみるとたくさんの卵が見えた。               右)成虫

 
ウメの木にアカホシテントウの幼虫?サナギ?の抜け殻   成虫はこれ。
漆塗りのようなツヤ。1対の赤い斑点の境界ははっきりしない。このツヤはネットで見たら木から出るヤニに擬態して鳥の目から逃れようとしているらしい。
 

ウメの木にあった丸い粒粒。何かわからなかったが、これも調べているうちにタマカタカイガラムシとわかった。抜け殻? いっぱい付いていた。 アカホシテントウはこれも食べるらしい。
イラガのついた木が多かった。

 
クヌギについたクラウンゴールと呼ばれる菌えい 鈴なりだ。     モグラ塚

穴を掘り巡らせて落ちた虫や生き物を食べるというが、1日に体重分ぐらいの食料を必要とするらしいのにそれだけ餌が取れるのか心配。


クローバーを抜いてみた。根に付いた根粒 

自分ではなかなか見つけられないが、今日は午前・午後2回もアリスイ(鳥)が見れた。
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2月18日 草地生態系の保全

2012年02月18日 | Weblog
シンポジウムの受付を手伝ったおかげで講演・報告等を聞けた。

カヤネズミから見た草地の生態系の講演。
その後、3人の方から報告 ①淀川のヨシ原の復元・②石川における自然回復造成後の昆虫相の推移・③チュウヒが生息する草原の保全。
最後はパネルディスカッションが行われた。

カヤネズミは「生活のすべてを草地に依存している草地性の動物」だそうだ。
ススキの群落の中で巣を見たことはあるが実物は見たことがない。
人間の親指サイズの大きさ。500円玉1枚分の重さだそうだ。
生まれたての子供は1g爪ほどだとか。
大きさを実感するために実物大の作り物のカヤネズミが回ってきた。

カヤネズミは四季を通じて変化する草地の多様な環境をうまく利用して暮らしている。その生息地保全・植生保護の研究・活動を話された。
生息地の堤防の草刈りを、区画に分け、春と秋堤防上に常に植生が残るように2~3週間間隔で草を刈り、その営巣状況と植生の変化を調査されたところ成果があり、淀川河川事務所ではカヤネズミの生息に配慮した草刈りマニュアルが配布されたとのこと。

①かつての淀川は舟運のために水制によって水路を狭め、勾配を緩くするために蛇行させたため、わんど・たまりなど止水域が存在。また出水時には氾濫原となる多様な地形があった。
その多様な地形が多様な生物をはぐくんでいた。
今は水路は広く深く直線になり、河川敷も水に浸かることもなくなった。

鵜殿では乾燥化・クズや蔓草の繁茂などで衰退したヨシ復元のための水路導入や切り下げなどの試みがなされている。
淀川・宇治川・木津川・桂川などで、洪水疎通力や草本植生群落の復元のため高木化・樹林化した樹木の伐採も行われているとのこと。


ヨシでつくられた箸 ヨシ利用の試み

②石川でも中流域で両岸はほとんどコンクリートの直線的な水路となり、河川敷には都市公園やグランドが造られ本来の河原の植生の多くが失われ、それに伴い、昆虫や小動物が生息場所を奪われ減少している。
一部河川敷の自然復元改修工事が実施され、推移の調査では昆虫相の回復も期待できることがわかったとか。

③鳥にとっても餌となる昆虫や生き物の住みかである湿原・草原の保全は大切だ。
チュウヒは実際にはイヌワシやクマタカより生息数は少なく、日本全体で60つがいしかいないという。それが種の保存に関する法律の中には載っていないのだそうだ。

多様な生態系を取り戻すため、各地で活動されている報告を聞き、後、活発な討論がなされた。

温暖・湿潤な気候の日本では放牧・野焼き・刈り祓いなど人の手が入らないと草地は維持されず森になってしまう。

土を削るほどにしかも頻繁に草刈りがされる「刈りすぎ」が気になる。
「草を刈る」これだけでもいつ刈るか・全部刈るか区画を決めて刈るか・どの程度刈るか。
知恵を絞れば昆虫たちにもひいては動物や鳥にも・人間にもやさしい環境が作れるのではと思った。
「木を切る」時にも同じようによく考えて切ることが大事なのではないか。

草を刈る・木を切る時、まずは「どのような環境にしたいか」を考えて行動することが大事だ。
椅子が不足するほどの参加者の熱気が感じられた。
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2月17日 大藤原京の周辺の神社や寺

2012年02月17日 | Weblog
今日の歴史ハイキングは私のお散歩コース。ブログにも何回も登場するところ。
・・とはいえ・・場所はわかるが歴史は?・・というのがちょっと情けない。

先ずは
大日堂と、同じ境内にある入鹿神社  小綱町(しょうこちょう)
案内役は久しぶりに会う高校の同級生のT君だった。
去年設立された文化財保存会により管理されているという。

正連寺 大日堂


大日堂は元は今は廃寺となっている普賢寺の本堂だった建物で、
文明10年(室町中期)の墨書のある棟札があり、国の重要文化財となっている。
江戸末期、普賢寺が衰退して明治の廃仏毀釈により廃絶することになり、競売にかけられ、13円50銭で地元住民が落札したそうだ。そして、宗派の違う正連寺の管轄となった。
年一度7月15日のお祭り以外は公開はされていなかったそうだが、保存会が設立されてからは、見学も受け付けておられるとのことで、内部も案内してくださった。

 
     本尊 大日如来   重文指定の際、創建当時の姿にするために、後の修理で補われたものは取り外した。右の写真はその時に取り外されたもの。 

堂内では文明10年(室町中期)の墨書のある棟札、全国的にも珍しいという猫の描かれた涅槃図などを見学。写真はうまく撮れなかった。

お隣にある入鹿神社 

 
一般的には逆臣とされる蘇我入鹿を祀る全国唯一の神社。 
          右)誰かが拝殿の入り口の屋根の棟瓦に龍がいるのを見つけた。

 
本殿は橿原市の指定文化財     右)も同じ本殿 夕方撮ったもの


本殿正面の蛙股ヒジキの彫刻は鳥のようだ。サギ?

実はこの彫刻が気になって夕方もう一度来たのだった。
石の玉垣の隙間から写真を撮ろうと苦戦していた時に、たまたまT君が通りかかり、お蔭で本殿を囲いの中から見ることが出来た。
夕方で近くで撮った割には写りが悪いが。(掲載は了承済み)

よく見れば塗装もだいぶ剥げていたが、塗り替えの予算も付いたとのことだ。

入鹿を大切に守る小綱町には、ニワトリの合図で入鹿が首をはねられたので「ニワトリを飼わなかった」とか、「鎌足を祀る多武峰へは参らない」とか鎌足の母の出生地の明日香村小原とは「縁組をしない」など、入鹿びいきの伝説が残っているというのも面白い。

T君には小綱町の野神(農神)さん・五井の野神さんの場所を教えてもらったので叉行ってみようと思う。

次は人麿神社 祭神は柿本人麻呂

 
エノキの大木に絡まるフジの蔓はエノキに劣らず太く龍のようだ。 右)万葉歌碑
      「秋山の 黄葉(もみじ)を茂み 迷ひぬる 妹を求めむ 山路知らずも」
国の重要文化財の本殿は修理中かシートがかけられていた。室町時代の建物

地黄町の由来はこの辺りは薬草「地黄」が栽培されていたからという。

この神社で有名なのは健康と五穀豊穣を願う「地黄のすす付け祭り(5月4日)だが、子供が少なくなったのか去年はなかったらしい。あくる日子供の作った絵馬と、大人の作った藁の蛇を野神塚へ持っていくらしい。多分前にもブログでも書いた場所だと思う。
野神さんのことは過去に何回かブログあり。「11月14日 野神さん みどりの野原」で検索すれば2009年の記事が出る。

次に見た北妙法寺?の「大エノキ」藁の蛇がまきついていた。


T君によるとこれも野神さん らしい。
エノキは「ヨノミ」とも言い「伐ると祟りがある」などといわれ、道路の真ん中に残っていたりすると聞いたが、何か所か見たことがある。

次は家の氏神様「宗我坐宗我都比古神社(そがにいますそがつひこじんじゃ)」
蘇我氏の先祖を祀る。台風で鎮守の森は被害を受けたが、前はもっと荘厳な雰囲気だった。

 
宮詣りや初詣などお世話になっている割には本殿(右)を見るのも初めて。裏に回るのも初めて。
灯台下暗し。
子供からも聞いてはいたが、なるほど裏は広い。神域は約3000坪もあるという。元の曽我川川原も含んでいる? 中曾司遺跡の中心で土器などが出土。

ここから近鉄線を渡り北へ。
 
次は磐余神社 神武天皇を祀る。ここにも柿本人麻呂の万葉歌碑があった。
「真菅よし 宗我の河原に鳴く千鳥 真無しわが背子 わが恋ふらくは」情熱的な歌。さて、この千鳥って?
ここで昼食後、飯高町へ。

小子部命を祀る「子部神社」の隣は「吉楽寺 瑞花院(ずいけいん)」

 
本堂は重要文化財 修理の時に年代もわかる43枚ものへら書きのある瓦が見つかった。
住職さんの奥様が瓦を見せてくださった。ところどころ読める。
瓦大工は法隆寺、薬師寺、唐招提寺等の造瓦に従事した橘吉重寿三郎だそうだ。

「嘉吉元年(1441年) 5月1日 サルノトキニ トクリホトナル アラリフルナリ ヒツシサルヨリウシノハウヘフリイクナリ」
おまじないのような言葉は「嘉吉元年(旧暦)5月1日 2時頃 どんぐりほどの アラレが降った 南西より北の方へ」 製作者名や年号だけでなく天候の事などわかっておもしろい。
他の瓦も何が書いてあるのか知りたいところだ。

次にブログに時々登場する 屋就神社を見て、「多坐弥志理都比古神社へ。
「屋就神社 みどりの野原」で過去の記事あり。

 
       初詣に来る多神社            本殿


ナギの葉陰にクビキリギスを見つけた。寒い冬を成虫で冬越し?

太安万侶から数えて51代目だという宮司さんの説明があった。
古代豪族多氏の根拠地で、大和国中の中心に位置し、古くは寺域も広大で東西南北にはそれぞれに門があったそうだ。屋就神社や子部神社など4つ?の若宮を持つ。
祭神は神武天皇など4柱 資料館の中を見学した後、宮司さんとお話していたら、みんなとはぐれてしまった。

Kさんと次のところを目指したが、時間がありそうだったので、オプションで「秦楽寺」(じんらくじ)へ

 
中国風の山門   夏にはハスが咲くという池もあり静かな雰囲気が気に入った。

結局最後のところは通過されたそうで、一足遅れになってしまった。
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2月16日 金剛山 千早林道~頂上~伏見林道でJR北宇智駅

2012年02月16日 | Weblog
いつもはロープウェイで楽々登山や山麓歩きが多いが、今日は歩いて登った。
日頃から登山をする2人についていけるかと思ったが、お蔭で久しぶりの雪中登山を楽しめた。


千早林道の階段道を歩き始めると間もなく道が凍っていて、アイゼン装着
このコースは「明るいから好き」と。いわれてみれば落葉樹が多い。
階段道も整備されて一番歩きやすいコースらしい。

歩き始めた頃からもう降りてくる人が次々と。

3合目・5合目・・周りの雪景色がきれいになってきた。
「8合目から右のコースがお勧めよ」とさっき教えてもらった新道へ。

 
        すごい! 白い道・白い木々・・枝の先まで着雪・霧氷

登り始めから1時間半ぐらいで山上に着く。山頂は-1℃ でも風がないので寒さは感じない。

 
地面の雪を除けると下は氷。 2・3日前の雨で一旦溶けたその上に雪が積もったらしい。          右)頂上広場の餌台 友達がピーナツを持ってきていた。
最初は鳥の姿が見えなかったが、しばらくするとキジバトが数羽。木の上の方に小鳥の姿がチラチラと・・
しばらくして餌台の餌をついばんで慌てて木の枝へ戻る。
友達が差し出した手の上のピーナツを取りに来たので、私もやって見たがすぐ上にいるのに来てくれない。
ヤマガラ・シジュウカラ・濃い背中に黄色い腹はルリビタキ。
「今日は鳥が少ないね」「前はもっと手にも来たのにね」と友達。

弁当を食べ、昼近くになると、広場は登山の小学生や大人たちでいっぱいになった。
「金剛山は富士山に次いで登山客の多い山」だという。

私たちは出発。そして次のお楽しみは? 雪滑り。

 
わあああ~。あははは・・止まらない~! 2回ずつ挑戦。
誰もいないと思っていたのに、後であった男性に「3人組、滑ってたでしょ。見たよ」って言われた。

 

いっぱいいっぱい霧氷を見て大感激。 枝から伸びた霧氷は触ってもしっかりしていた。 

下りは奈良県側五条市へ伏見林道を下る。アイゼンを付けているので下り道もアンゼン。


    霜柱もいっぱいあった

 
           ミヤマシキミ ツボミと真っ赤な実

里へ下りてきた。
 
  八幡社横の大ケヤキ   ほど近い社の横のエノキの古木 
幹はボロボロ。でも確かに生きている。 


JR北宇智駅に到着。待合室で50分も待ったのに、もう少しで置いて行かれるところだった。
待合室から随分手前で停まるんだもの。あーびっくりした。
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2月14日 バレンタインでもらっちゃった

2012年02月14日 | Weblog
雨で琵琶湖歩きも中止となり、一日家にこもっていた。

今日はバレンタインとやら。


娘が手作り「チョコレートケーキ」をくれた。なんで母に?
・・というのは、前に主人と息子に手作りチョコレートを持ってきた時「お母さんもほしい!」とだだをこねた。
それからは私にもプレゼントがあるというわけ。

それで私はというと、近くのスーパーには行ったけれど、思うようなのがなくて、結局「何かいいものがあった時に」ってことで・・・あらあら・・

チョコレートケーキはおいしく頂きました。
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