途中、前ミコアイサを見た池に立ち寄ったが、いなかった。
屋敷山公園
しだれ梅 満開
池に鳥はいない。昔は白鳥がいたような・・
「屋敷山古墳」の表示があり、登ってみる。初めてだ。
全長135m以上ある前方後円墳だったらしい。
竜山石を使用した竪穴式石室や石棺があったとか。
下に周濠の跡が見えた。
平安~鎌倉時代にかけて、古墳は布施氏の里の館として使用され、江戸時代には新庄藩を収めた桑山氏が陣屋として使用した。
「屋敷山公園」は屋敷山古墳周辺を整備して作られた。
奈良県社会教育センターへ。
センターヘは以前、何べんも来たことがあるが、散策路があるのはは知らなかった。
気持ちのいい道だった。
サンシュユ
高い木の枝に鳥の巣
神明神社 由緒はわからない小さな社。お百度石があった。
中戸新池の周辺を巡る散策路は静か。
カルガモ コガモ マガモ カワウが山際で休んだり泳いだり。
居心地よさそう。
途中で、枝に止まったオオルリ(訂正 ルリビタキのようです。オオルリは夏鳥で2月には見られないらしい。鳥大好きな友人がメールで教えてくれました)を見た。
その直後、再度見やすい杭の上に止まったのに・・残念。写真は撮れず。
でも、肉眼でははっきり見えた。
天武期の続き。
いつもながら、読んで、聞くだけで精一杯。理解の追いつかないまま書いていますので、講師先生には申し訳ないが、正確性に欠けるところもあるかと思いつつ書いてます。
(それじゃ書かなければ?と言われそうですが)
貢物をする新羅や高麗の人の名のむつかしいこと。
「摂津(つ)」
天皇が詔される国名の内、摂津に「せっつ」ではなく「つ」の仮名がふってある。
難波津など港湾施設のあった所を「津」と言った。
律令制に基づいて設置された国名「摂津」は、もともとは「つ」一文字で呼ばれていた。
後に、2文字を好む流れから「摂津」となったという説もあるらしい。
孝徳天皇の「難波長柄豊崎宮」を「つの国」と言うようになり、「つの国」には国司の代わりに「摂津職」が置かれた。
面白かったのは・・
・天武天皇が、天智天皇が定めた、貴族に対する支給制度を廃止したり、親王・諸王・臣・寺などに与えていた山や林や池などを国に返すように命じたり・・すんなり受け入れられたのだろうか?
・僧尼2400余人を集めて法要 どこで?
・百姓の富貧を調べて、3段階に分け、中より下の者に「貸与ふべし」(まず、稲苗を貸して、収穫後、利息を取るという制度「貸税(いちしのおほちから)」)
より貧しい人にこの制度を適用することで、農民は少しは楽になったかなあ?
「一宮」の話
・一番初めは一の宮・・♪ 子供の頃歌っていた毬つき歌。
・制度がいつできたかはっきりしない。
・文献での初見は今昔物語に登場する、山口県防府市にある「 玉祖神社」
・各国(令制国)の神社の内「最も由緒があり信仰が厚くその国の第1位のもの」が原則だが、基準ははっきりしない。
・国に1社が原則だが、複数ある国もある。
・一覧表をいただいたが、資料によっては違うこともある。
・政治的に外されたりすることもある。
・有名なところが必ずしも一宮に入っていない。(熱田神宮 熊野大社 宗像大社など)
・対馬や壱岐・隠岐にも一宮はある(北海道や沖縄にはないらしい)
・一宮の他に、二宮・三宮のあるところもある。
・倭国の一の宮は桜井の大神神社 二宮・三宮はない。
一宮というものがだいぶはっきりした。
まだ淋しいうちの庭
不死鳥 ベンケイソウ科
ヒメリュウキンカ
去年だいぶ抜いたつもりが例年通りの繁茂ぶり。持て余し気味。
イヌノフグリ 庭の砂利に勝手に生えている。
何しろ小さいので見栄えがしない。
ニセカラクサケマン
火祭り(ベンケイソウ科)寒い時期、紅葉が美しい。
耳成駅から吉備池を目指し、大福駅まで。
途中の寺院や神社や池など寄り道しながらウォーク。今日は2人歩き。
市杵嶋神社
『創建年代は不明だが、土地の伝承として、藤原宮の東北(艮うしとら)の鬼門にあたるため、藤原京の防衛の守護神として宗像神(市杵島姫命を勧請したのが創建ではないかと言われている』由緒書きによる。
祭神の市杵嶋姫命は、天照大神と弟のスサノオノミコトとの誓約(うけい)によって生まれた3女神の内の一人。
・・というのは、読んだことがあったが、市杵島姫命=弁天様と書いてあるものもある。
市杵島姫命と弁天様は、元々別神であるが、神仏習合また本地垂迹という思想で、美しい女神である・水を司る・芸能・学問などにご利益がある、などの共通性があることから、同一視されるようになったらしいことがわかった。
三輪神社 横大路と中ツ道の交差するところに建つ。
横大路は江戸時代には伊勢参拝道として賑わった。
お伊勢参りの人たちのランドマークとなったケヤキの古木。すごい貫禄!
ケヤキの古木 今は注連縄が架かり、御神木になっている。
横大路と中ツ道の交差する西南の水路の中に見える大きい石は「礎石」らしい。
石碑には「阿弥陀寺 子安 子育地蔵堂」、お堂には「子安 子育 地蔵尊 西之宮阿弥陀寺」と書かれている。
地図には「西之宮地蔵尊」と書いてある。
安産や子育てにご利益のあるお地蔵さまが祀られているようだ。
屋根の鬼瓦には石工の名前がはっきりと見える。
阿弥陀院 詳細は不明 クスノキの大木 ケヤキも大きい。
黒田池 ダイサギが1羽 ガマの穂綿が風に舞っていた。
「なわや高橋」わら細工やマクラメ・一閑張り・クラフトバンド手芸などの材料販売、体験もできるそうだ。
春の小川はさらさらいくよ~♪ さらさら流れる小川。
オオカナダモのような藻も揺れていた。
吉備池が見えてきた。吉備池廃寺跡
水が抜かれて水鳥はいない。
堤防には大津の皇子の歌碑 大伯皇女の歌碑(写真)が建つ。
発掘調査によって、大規模な金堂や塔の基壇などが確認され、伽藍配置も明らかになっている。
『大規模な伽藍から、天皇の発願による最初の寺院であり、舒明天皇11年(639)に建立が始まった「百済大寺」の跡であると考えられる』(説明板)
九重の塔が建っていたらしい。673年には高市の地に移築され、高市大寺となったらしい。
そばの吉備春日神社にも立ち寄り、公園でお弁当。
階段を登って、少し高台にあるお寺 薬師寺
お寺の建物ではなく、民家のよう。表札の位置に「薬師寺」の木札がかかる。
境内のイチョウの大木 ケヤキの大木を見ると、かつては立派なお堂が建っていたのだろうと思える。
集められたらしい石仏が雛壇のように並んでいた。
薬師寺・石仏 のいわれはわからなかった。
蓮台寺
ゴヨウマツの大木。他にも見どころがあったらしいが見逃し。
光専寺 鬼瓦
ソテツが見事
ほどなく大福駅。
暖かい春日で歩きやすかった。
寄り道した神社や寺院、規模は大きくはないが、大木が残るなど、昔は・・と思える風格があった。
途中で見つけたツクシはやせっぽちで小さく、摘みたいようなものはなかった。
2月は「かはやぎ」(ヤナギ科)の歌
楊 柳 どちらもヤナギだが、
「柳」はシダレヤナギのこと。 ネコヤナギなど枝垂れないヤナギは「楊」
万葉集に、楊の歌は3首のみ。柳の歌は40首あるという。
温泉
万葉の頃から温泉は愛されていたようだ。
日本三大古湯
①白浜温泉(牟婁の湯 崎の湯 また紀温泉 紀温湯)和歌山県
②有馬温泉(有間温泉)神戸市
③道後温泉(伊予の温泉)松山市
日本書紀や万葉集に多くの記述がある。
「牟婁の湯・紀温湯」には、心の病を癒すために有馬皇子が逗留し、その薦めで斉明天皇や中大兄皇子が。文武天皇も行幸の記録がある(日本書紀・続日本紀)
「道後温泉 伊予の湯」には、景行天皇・皇后 仲哀天皇・皇后 聖徳太子 斉明天皇 舒明天皇・皇后 聖武天皇。
万葉集に、聖武天皇に随行した山部宿祢赤人の長歌と反歌が残る。
「有馬温泉」には舒明天皇 孝徳天皇も行幸されたようだ。
しばらく温泉に行けてない。ゆっくり湯に浸かりたくなってきた。
久しぶりの暖かい陽ざし。
家にいるつもりだったが、ちょっとだけ池巡りに行く。
広陵町の3つの池を回った。
カルガモ 他に コガモ・オオバン・アオサギ
奥の繁みに カルガモ
カルガモ コガモ
前、見に行った時、葉もなくて、なくなったかと気になっていたカラクサケマン
カラクサケマン 花が咲いていた。よかった。
左)うちのベランダのニセカラクサケマン
右)今日あったカラクサケマン 花色・葉の色も違う。
ニセカラクサケマンのように増えないようだ。
身近で、知ってるようで知らない橿原神宮 近いけれどしっかり回ったことがない今井町
今日は説明をいっぱい聞いた。(聞き間違いがあるかもしれない。ご容赦お願いします)
良く研究された歴史の達人の会員さんの説明で、知らなかったことがたくさん分かった。
橿原神宮
宮址顕彰の機運が高まり・・
明治23年(1890)この地に創建された。社殿は京都御所の賢所と新嘉殿が下賜されたもの。
昭和15年(1940)紀元2600年 国を挙げて奉祝記念行事。
森づくりも全国から集まった多数の勤労奉仕の人々によって行われ、樹木は全国からの献木22000本を含め、76000本が植えられた。
道路の建設、鉄道や駅の付け替えなどの大工事。その後も整備が進んで今の姿になった。
一の鳥居 初代(1939年)2019年に立替完了した。
柱は当初の台湾産ヒノキからカナダ産のヒノキに替わった。古い部材をそのまま使っている部分もある。
深田池 ヒドリガモが目立った。
日本書紀で、推古天皇の時に作られたという溜池、掖上池・和珥池と共に記述のある「畝傍池」ではないか?と言われているそうだ。
南神門 今年は紀元2681年にあたる。
「紀元」とは、初代神武天皇が即位された年を元年とする紀年法。
神門をくぐって外拝殿前の広場へ。
内拝殿の奥に、幣殿の屋根の千木が少し見えた。
有名な 干支の大絵馬 いつも集合写真はここだ。
この大絵馬は普通の絵馬の1600倍の大きさ。畳14枚分あるそうだ。
参道を流れる川が神武田川(じぶたがわ)というのを初めて知った。
川の側面の石垣の石は金塚古墳のものらしい。
神武田川は森の中を流れている桜川と合流するのだと思う。
北神門を出て神武天皇の御陵に向かう。
神武天皇 畝傍山東北陵 (うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)
広い参道を進むと、奥に御陵がある。
私たちが見ることができるのはここまで。
円丘の周りに濠が巡っているそうだが、見えない。
何もなかったここが、どんな経緯で神武天皇陵に比定されたのか。
候補地がいくつかあり、主な3つ ①古事記に畝傍の山の北方の稜にあったと記される「丸山」
(だいぶ前、畝傍山の中を探検?した時、石柱の並んだところがあった。ここのことか?)
②小さな円墳のあったところ。 四条町の「塚山」
③小さい塚のあった「ミサンザイまたは神武田(じぶでん)」と言われたところ。
この3つの候補の中から、孝明天皇が③のミサンザイの地に決定されたという。
毎年、4月3日の神武天皇祭には勅使がこの神武天皇陵に参拝されるらしい。
綏靖天皇 桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)
神武天皇御陵からすぐ近くにある。
これが、上記の②「塚山」と言われたところ。
それ以前に神武天皇陵とされていたこともあったらしい。
今井町
今井まちなみ交流センター「花甍(はないらか)」
今井まちなみ交流センター・花甍(奈良県の指定文化財)
和洋折衷の美しい明治建築だ。
明治36年(1903)高市郡教育博物館として建設され、昭和4年からは今井町役場として使用。
平成7年(1995)修理復元されて、今井まちなみ交流センターとして開館。
ジオラマで今井町が一望できる。概要説明を聞いた。
江戸時代の街並みがそのまま残る。
今も500軒の町家が残る。その内の10数軒は国の重要文化財指定
平成5年(1993)寺内町として「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。
重要文化財になっている町家のミニチュアもあり、資料の展示もたくさんあり、短時間では見切れない。
谷三山の顕彰碑
今日は案内されなかったが、華甍の前、道路に面したところに「谷三山の顕彰碑」が建っている。
10代で聴力を失い、目も患いながら、裕福で学問に理解のある家族の元、多くの書物を読み、学問を究め、私学「興譲館」を開き、後に活躍する多くの門人を育てた。
吉田松陰に「師の中の師」「日本一の大学者」と言わせた儒学者。著名人との交流も多かったという。
高取藩に認められ士籍を与えられ仕え意見書を出すなどした。八木の偉人。
(去年1月19日の講演会に参加)
午後からは今井町の町巡り
今井町の成立は『戦国の世、天文年間に、この地に一向宗本願寺坊主の今井兵部卿豊寿によって寺内町が建設されたことに始まる。
一向宗門徒が、都市計画に基づき、今井に御坊(称念寺)を開き、自衛上武力を養い、濠を巡らせた』(パンフより)
石山寺本願寺とともに織田信長に抵抗。後降伏したが、許され、信長から自治特権を与えられた。
武装宗教都市から、その後、商業都市として発展。江戸時代には南大和最大の町となる。
「大和の金は今井に7分」といわれたぐらい栄えた。
東の道路は濠の跡。
濠には木橋が架かり、寺内町へは木橋を渡り、門を通って出入りする。
門は全部で9つあり、夜間には閉められた。
説明を受けながら町巡り。
町家の外観を見学したり、内部を見学したところもある。詳細は省略。
*中尊坊通り 電線は地下に埋設され、すっきりした今井の町並み。
*防火対策
密集している町並みで火災が起これば一気に町中に燃え移ることは必至で、火災には特に注意が払われていたことだろう。
家の屋根瓦の下に土を厚く敷いてあるのも類焼を防ぐ対策の1つらしい。
もし火災が発生しても(土が落ちて)隣に類焼しないようにしてあるのだとか。
中町筋生活広場 防火水槽80トン
案内地図によると、町並みの中に防火水槽が6か所ほど書いてある。
それぞれ、10トン 40トン 80トン などの防火用水が準備されているのはすごいと思った。
古い街並みでよく見かける「うだつ」(最初は類焼防止目的だったと聞く)をあまり見かけなかったのが不思議だったが、建築の時代によるのかも。
*「駒つなぎ」という金具が通りに面した柱に取り付けてある家もある。
高いところに取り付けてあるのは牛用、低いところのは馬用だという。動物の習性によるものか。
そして、通りによって取り付け(左 右)が決まっていた。
通りに繋がれた牛や馬を想像してみる。
会員の一人が「駒結び」を実演してくださった。
固く結べて引っ張っても解けないのに、解きたいときには簡単に解ける。
マンホール 中央は駒繋ぎを表し・周りは屋根瓦のデザイン
称念寺 本堂(重要文化財)は修理中だった。
立派な商家の表には「太い格子」が見られる。
紙半 豊田記念館のカイヅカイブキ(樹齢250年)景観重要樹木
蘓武橋のエノキ(樹齢420年)景観重要樹木 で解散
まだまだ見足りないところもある。
町の途中の豆腐屋さんで「お揚げ」を自販機で。
薬品会社が作ったという「おにみみコーラ」(朝のテレビで偶然見た)もお土産に買った。
斜面に雪の残る甘樫丘でコケの観察会。 寒い。
石垣にも、遊歩道沿いにも、裸地にもコケがいっぱい。
見たことがあるコツボゴケ
名前も知らなかった ヒョウタンゴケ
他にも、シノブゴケ(仲間)・ネズミノオゴケ・ハイゴケ・タマゴケ・・・いろいろ教えてもらった。
どこにでもあるコケ植物 わかれば楽しいだろうな。
ニワトコ つぼみ 早くも咲いているものもあった。
ヤマネコノメソウ 咲きかけ。
コケの観察の後、準備してくださったコケをペットボトルに植え付けて「コケテラリウム」作り。
準備してくださったコケ
ペットボトルを切ったものに植え付け。
ペットボトルの上部を利用して、テラリウムとして育てられるそうだ。
お手入れは毎日1回の霧吹き。置き場所は、明るく、日当たりがきつ過ぎないところ。
後日、余分にもらってきたコケを植えてみた。
今までコケを植えても1年もったことがない。
湿度はいるが、加湿もよくないらしい。
置き場所も毎日の霧吹きのことを考えると、ベランダしかない。
日陰になるところにおいてみよう。夏の暑さ対策はどうしよう・・
うまく育ちますように・・
うちのベランダ
ニセカラクサケマン いつの間にかツルが伸びて花もついている。
広がりやすいので、できるだけ抜いているが、ここだけ置いてある。
トウダイグサ つぼみ
鉢を触りまわるので、絶えたかと思っていたイヌノフグリ、ボックスの隅に居場所を見つけている。
そばにはフラサバソウがある。干渉し合わないか?
ベニカタバミ 鉢から溢れそう。花がつくかなあ。