みどりの野原

野原の便り

11月29日 竹内街道② 河内松原駅~駒ヶ谷駅

2015年11月29日 | Weblog
竹内街道迷い旅
今日も地図を片手にあっちやこっちやと迷いながら歩く。この地図ではわかりにくい。

 
河内大塚山古墳 宮内庁管理の陵墓参考地  ヒドリガモがゆったりと泳いでいた。


大津神社 創建年代は不明だが、社殿は寛永17年に建てられた。


住宅の前庭にムべがたくさんなっていた。

 
辛国神社(しんこくじんじゃ) 雄略天皇のころの創建 七五三参りのための「茅の輪」
             右)木の繁る参道は「大阪緑の百選」に選ばれている。
 
   白いツバキ 紅紫の珍しい色のツバキなど何種類かのツバキが咲いていた。


アイセルシュラホール 藤井寺市生涯学習センターの前庭でお弁当
シュラは修羅と想像がついたが、アイセルは何かの頭文字をとったものらしい。

仲哀天皇陵を経て名前は聞いたことがある野中寺へ。

 
聖徳太子と蘇我馬子の建立と伝えられる野中寺。
竹内街道に南大門を置く大寺院だったという。
             右)境内には塔跡や金堂跡も残る。
重文の弥勒菩薩像や地蔵菩薩立像があるらしい。
 
お染久松の墓があるというので探しに行った。墓地の中に古い墓石が並んでいた。
   右)高いところに真っ赤な実 一瞬タマミズキかと思ったが、クロガネモチのよう。
野中寺のあたりは石の道標や地蔵堂などあり竹内街道の雰囲気を感じた。

仁賢天皇陵に立ち寄り、峰塚公園 峯ヶ塚古墳あたり

     遠くに二上山が見えた。

「右ふじゐ寺 左さかい」の道標 大勢の人々が行き交ったことだろう竹内街道。

翆鳥園遺跡公園
 
変わったモニュメントは「打ち割った石」のイメージとか。その向こうにはなにもない広場があったが、このあたりは二上山のサヌカイトを利用した石器作りが盛んで、2万年前の石器作りの跡がたくさん発見されているとか。
 
古市駅から線路を越えると白鳥神社(しらとりじんじゃ)
ハイキングで来たことがある。

白鳥神社 日本武尊、素戔嗚命、稲田姫命を祀る。

翆鳥園遺跡公園を通る道を選んだので通らなかったが「日本武尊白鳥陵」が近くにあったのだった。

 
オプションコースの石川沿い。「あすか歴史の道」も「であいのみち」もわからないままに・・                          右)センダンのシルエット

 
     つるべ落としの夕日が沈む   予定より手前の駒ヶ谷駅を今日の終点とする。
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11月29日 長居公園 植物園 イナゴマメ ぺカン タラヨウ モチノキ

2015年11月28日 | Weblog
長居公園  秋枯れの風情。
 
     イチョウ 上の方だいぶ葉を落としてきた。。      サクラの紅葉

 
落葉して、ユリノキの果実が良く見える。
               右)コブクザクラ 秋のサクラはさみしい感じがする。
長居植物園
いくつか面白いものが見れた。

 
見上げると沢山の実がなっていた。 ぺカン クルミの仲間 右)落ちていた実

 
アメリカデイゴも枯れた実。いままで気付かなかった。


      イナゴマメ 葉
中の方に花が咲いていた。

       雄花 花弁や雌しべは退化       雌花 花柱と葯だけの花
マメ果と思えないような変わった花だ。
コーヒーの代用にしたり、チョコレートのような菓子を作ったりする健康食品「キャロブ」のことらしい。 さて、実はできるのだろうか? 楽しみである。
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11月27日 奥河内 滝畑ダム周辺 

2015年11月27日 | Weblog
だいぶ前に岩湧山に登った時、滝畑ダムのあたりから登った記憶がある。
その辺が「奥河内」と言われることも知らなかった。

今回はボランティアさんをお願いして説明を聞きながら歩くことが出来た。

バスを降りて、坂を登ると茅葺き屋根の民家や資料館などがある「滝畑文化財の森センター」
滝畑ダムにより水没した文化財の保存展示をしている。

「滝畑ダム」は石川の治水対策や灌漑用、河内長野や富田林の上水道のために建設されたダムで、S56年完成した。 

ダム建設で村の多くが水没し、160戸あった民家は100戸になったという。

それぞれ、新しい住宅地に移転、また移築・・など、それは大変だっただろう。
ここに移築展示されている梶谷家も水没の運命にあった民家。

滝畑の民家は独特の作りになっている。
川の両側に山が迫る地形なので、民家はみんな川に沿って建てられている。これを「川流れ」という。
妻側を入り口とし、台所は山側に作られている。
また、耕作地が限られるため長男以外は他の地域に出る「出畑」という風習もある。

 
梶谷家 妻側の入り口、屋根は茅葺き H19年に葺き替えられきれい。 
           右)入った所は広い土間で片方に「くど」(かまど) 
反対側には「馬屋」それに続いて「若夫婦の部屋」狭いながらも個室が用意されていた。
土間は雨の日の作業場にもなったらしい。 

 
土間に続く板の間には囲炉裏、  奥には田の字の座敷。


広場の少し高いところには「護郷の鐘」 村の合図に使われていたという。
今も出棺の時には3回打ち鳴らされるのだそうだ。

 
「不食供養塔(ふじきくようとう)」これもはじめて聞いた風習。
「女性が日を決めて断食する」と聞いた時は、女性差別かと思ったが、「女性だけで運営され、月に1度の安らぎの場だった」と説明を受けた。そうだったのか。
どのように行われたのかは定かではないらしいが、月1回の「不食の行」を3年3カ月続けると満願になる。そして、この碑を立てる。必ずしも1人1基ではなく、1つの碑に複数人の名があるものも。子供の名が記されたものもあるとか。
これらは7ヶ村それぞれにあった神社などに立てられていたのを、ダムで沈むため集められたらしい。
お墓ではないので花入れなどはない。

資料館に入る。
 
鉄の筒の中に炭を入れて湯を温めたという珍しい「鉄砲風呂」
            炭焼きに使われた道具などの展示。
また、茅や茅葺きに関する展示があった。
茅葺きの技術の継承もこのセンターの目的のようだった。

文化の森センターを出て、天神社へ。

 
      177段の階段を登る。  社には滝畑7ヶ村の神社が合祀されている。
狛犬も神社の数だけあるはずだがちょっと足りないような・・
        

7ヶ村の内1社は別に横に祀られていた。


道沿いの元米屋前には「配給の日」を知らせる書き込みが残っていたり・昔の暮らしが垣間見える。


居住しておられる茅葺きのお家。背景はダムの向こうの扇山(中央部)今年は少し色づきが悪いが「いつももっときれいなんですよ」と残念そうなランティアさん。

店もコンビニもなく、ここだけと言う自然休養村のレストランでコロッケ定食を食べた。


車道から苔むした石段を登り、ダム湖からは高い位置にある集落の道を歩く。
昔から滝畑の暮らしぶりは静かで謙虚、こいのぼりも立てないとのこと。

 
 この茅葺き住宅も居住しておられる。  そばに天然記念物のクワの大木があった。
ボランティアさんは村人に出合うと、気持ちのよい挨拶を交わされ、いい関係を築かれているのがわかる。

 
      ナンテンが多い。      イヌマキも黒く色づいて懐かしい味。


この茅葺き民家は移築して居住しておられる。こんな高いところまでどうやって運ばれたのか?

ダム湖の近くへ下りた。
 
    夕月橋のかかっているあたりは、元、村の中心部だったところ。
ダム湖の水が少ない時期、建物の土台や道路などが見えることもあるという。

 
レイクハウスではママキストーブがついていた。今日は寒い。ほっと一息
       ボランティアさんがこれから行く磨崖仏の紙芝居をしてくださった。
手作り小物など心からのおもてなし。

 
     滝畑ダム アーチ型の堰堤を歩く。 
 右)堰堤の途中から崖に目を凝らすと、観音菩薩と地蔵菩薩の磨崖仏が見えた。
夏目さんという個人の方が6年もかかって1人で作られたそうで、よくこんな切り立った崖に彫られたものだ。

間もなくバス停に到着。一日お付き合いいただいたボランティアさんお二人とお別れした。
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11月24日 奈良 史跡めぐり 春日山遊歩道~若草山

2015年11月24日 | Weblog
おなじみのコースだが、今日は史跡めぐりハイキング。しかも久しぶり。

集合までの待ち時間に氷室神社へ。

 
都祁などから氷を運ばせ、吉城川上流作った氷室に氷を保管し、4月~9月ごろまで平城京に氷を納めた。
これは平安京へ遷都するまで続いたという。
(今年 福住の復元氷室跡を見学した。毎年氷作りを再現されているが、近年は気温上昇や降雨の影響で、氷の残量がずいぶん減って来ていると聞いた。 7月20日ブログ参照 )

春日神社~春日遊歩道へ。
 
      春日山遊歩道に入る。 氷池があったというあたりも通った。

『春日山は841年に狩猟と伐採が禁止され、春日大社の神の山として守られてきた。
後、国有林となり原生的状態を維持している貴重な照葉樹林として「春日山原始林」として天然記念物天然記念物に、1955年には特別天然記念物に指定された』(資料より抜粋)
そして、1998年(平成10年)12月、古都奈良の文化財の一部として世界遺産に登録された。      

 
      立ち入り禁止区域の標識のそばを若草山山頂に向かう。

  
                   若草山山頂 三重目 頂上だ。
シカによってシバは短く刈り取られ、人も登るのではげ山のよう。
今は夜に行われている山焼きは、昔は昼に行われていた

 
山頂には清少納言の枕草子に「みささぎはうぐいすのみささぎ」と言ったという5世紀頃築造の前方後円墳 「鶯塚古墳」がある。 
人が登って摺り減っている感じ。   
葺き石の名残もあった。埴輪も立ち並んでいたらしい。
手前の前方部は参列者の場所 後円部は棺を埋葬する場所。説明を聞いて想像してみる。

王が亡くなった時、次の王が1つの蒲団に寝るという「真床追衾(まとこおうふすま)」という儀式があったそうだ。
これは即位儀礼だったらしい。
その後、誰も入ってこないように鏡を置いて蓋を閉め、夜明けを待って親しい王の宣言をしたとのこと。
(この辺のところ聞き違いもあるかも)

「真床追衾(まとこおうふすま)」というのは初めて聞いた言葉だった。


若草山の三角点は後円部にある。標高342m

下り道
 
       ススキの原   火山由来の安山岩が露出した所(若草山は火山ではない)

 
       途中からの見晴らし。  2重目あたりまでは作業道がとおっている。
尾根道~階段を降り、やがて麓に到着。

   
紅葉が美しい。 麓にある囲いの中には、春日大社の境外末社の2社が祀られていた。
小さな社の野上神社(1月山焼きの祭典が行われる)と、大きい岩坐は石荒神社(いしころじんじゃ)元は社殿もあったらしい。
今日はここで解散となった。      


帰りに紅葉の中に埋まっているような水谷神社に立ち寄る。 イブキ(ビャクシン)の巨樹

シカを観察
 
シカの瞳は横長という。なかなか間近で瞳は撮らせてくれない。やっとこの距離で。でもよくわからない。
  右)座っているシカ。足を内側に折り曲げている。犬もこんな座り方するかなあ。


   北円堂は周辺工事中
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11月22日 生駒山 くさかコース ヒトモトススキ オオゼキサシガメ

2015年11月22日 | Weblog
石切り駅から くさかコースへ。


オオスズメバチ 網で捕まえたとのこと。大丈夫ですか?というと、「雄だから刺しません」
雄は大きくて、触覚が長く、産卵管がない。というが・・
飛んでいる時に雄雌がわかるの? 「慣れたらわかります」

日下池


「日下池のヒトモトススキ」は東大阪の天然記念物 海岸の近くに生育するカヤツリグサ科
10年以上前にここへ来たことがあったが、その時は葉だけだった。
今は果実が段になって付いているのが見えた。柵から少し遠いのが残念。

さて、本来は海岸近くに生育するものがなぜこんな海から遠い山にあるのか。

それは、かって海岸線がこの近くにあった証拠だという。海岸線が後退して今の姿になった。
ヒトモトススキはずいぶん前に桜井市でも見たことがある。今もあるのだろうか?


池の近くから下を見れば・・生駒山の北側は急斜面で、かなり下に大阪の街が広がっている。 
それを海と思って想像してみる。

 
下見の時にいたというサシガメの仲間 左)オオゼキサシガメ  右)ヨコヅナサシガメに似ている。
横綱と大関?冗談か? これも外来種だが最近増えつつあるらしい。比べれば少し違うのはわかる。
オオゼキサシガメは今の時期成虫、冬越しのヨコヅナサシガメ幼虫を食べるらしい。


次に行ったのが 旧生駒トンネル  と     孔舎衛坂駅(くさえざかえき)跡

旧生駒トンネルは、近鉄の前身、大阪電気軌道の奈良線開通時、大正3年(1914)にできた。
孔舎衛坂駅(くさえざかえき)は当時できた駅。
難工事で落盤事故もあったらしい。開通後も犠牲者を伴う大事故が何度もあり、神霊スポットと言われた(言われている?)らしい。
新生駒トンネル開通(昭和39年1964)で、旧生駒トンネルや孔舎衛坂駅は廃止になった。

 
登り坂は急だ。そのせいか今日は若い人が多いような・・

 
途中で、枯れたアキノギンリョウソウがあった。
        右)石切り場跡 大阪城築城の際もここから切り出したらしい。どうやって運んだのか?


普通の細い果実に混じって、テイカカズラの虫こぶがあった。 タマバエによるもの。

 
ツルリンドウの果実は秋色。   右)オニグルミ リスの食跡 割れやすい縫合線の所を齧っていた。
どこを齧ればよいかは学習して覚えるらしい。

下り道、お地蔵さまがたくさんいらっしゃる。
前掛けの中には昆虫が隠れている。


参加の小学生たちも手を合わせて前掛けをめくる。
前掛けの下にはクモやカメムシやワラジムシなどがひそんでいた。

私も時々めくっていたが・・


「あった」探していたヤモリの卵。 残念ながら抜け殻だったが、初めて見ることが出来た。

後のお地蔵さまのところでは、ヤモリもいてあわててお地蔵さまの後ろに逃げた。


これはヒナカマキリの卵のうらしい。小さい。青いヒモの幅は5ミリである。

下り、音川沿いは水量が多く、ピーク時には水車が44基もあって、元禄年間以降は和漢薬種の細末加工が盛んだったという。途中にあった辻子谷水車の郷はその頃の実物大の水車を復元した所。

下りも急だったが、無事石切り駅に戻った。
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11月20日 フラメンコギター コンサート

2015年11月20日 | Weblog
娘が誘ってくれて「沖仁」のフラメンコギターのコンサートに出かけた。

フラメンコギターは初めて聞く。
4人のツアーで、ドラム系の楽器の人も1人いたが、手拍子が主な伴奏のようだった。
ひき方はすごく変化がある。双眼鏡でその指使いに見とれていた。

踊りも入った、フラメンコはあまり知らないので踊り手は女性が多いのかと思ったが、男性の踊りで、大きく動きまわることはないが、足や手先の動きが力強く、素晴らしくかっこよかった。

フラメンコは12拍子を1単位とするらしい。
1・2・・1・2・・1・・1・・1・ (だったかな?) 
太字のところがアクセントで強く打つ。
このリズムを教えてもらって会場のみんなも手拍子を打ったりして、ちょっとフラメンコ気分を味わった。
演奏された曲はそんな単純なリズムではなさそうだったが。
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11月19日 奈良公園~春日奥山

2015年11月19日 | Weblog
奈良公園から滝坂の道へ。

 
          南円堂                      右)右近の橘  
「右近の橘」「左近の桜」が一般的だが、興福寺は藤原氏の氏寺で、桜の代わりに「左近の藤」だ。
その昔、興福寺南円堂を建てた)藤原冬嗣が植えたのを植えついでいるらしい。
落ちていた橘の実を齧ってみたが酸っぱい!


サイカチの古木 ものすごい棘 今は落葉して曲がりくねった豆果が落ちていた。
「サイカチの一枚の葉はどれでしょうか?」ずっと前、観察会での問題を思い出す。

いつもは入れない?国立博物館庭園に入れた。

  
                アラカシの古木に圧倒された。

煎餅を貰って幸せそうに見えるシカも増えすぎて餌不足と聞く。交通事故も多いらしい。
しばし観察
 
          白い尻尾               王冠のようなツノの落ちた跡


      ハイヒールを履いたような足

さて、植物は・・センダイスゲ・トラノオシダ・カミガモシダ・・前に教えてもらったのに忘れてる。
溝の中にシカから逃れたミズやヌカボタデ・サヤヌカグサ・・みんなみんな小さい。

イチイガシの巨樹群を通りぬける。

 
   ナチシダはたくさんあったが、           右)イズセンリョウが少ない。
シカが食べるようになったとも聞く。やっと見られた。 

 
               カマツカ           右)イヌガシ 蕾もあった。

  
バライチゴと思っていたのはヒメバライチゴ          ナガバイラクサ 


     シロバイ この辺にあると聞いていたが初めて見た。 

久しぶりに飛火野を歩く。この季節人もここまで来ないのか静かだった。

帰りに公開中の、今は仏教美術資料館になっている建物(旧奈良県物産陳列所 重文)を見学。
いつもは外だけしか見られず思いがけず中を見られてラッキー。


 
関野貞(ただし)による設計 古社寺にも通じる日本伝統の様式も取り入れた美しい近代建築だった。
自然観察の他に素敵なおまけが付いた。 
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11月17日 樹木調べ

2015年11月17日 | Weblog
一応終わった樹木調べだが、ざっと一巡した。

不確実なのをちょっと外したりしたのもあったが、葉を落としてますますわかりづらい。
一応これで終わりだが、迷ったものもあったので、またみんなで見直しの機会もあればと思う。

 
         シロダモ                      ヒメユズリハ

 
          ヤツデ                     ジュウガツザクラ?


小さいキノコは枯れ木をどこかへ運んで行く小人に見えた。

 
  ポットで育てられているクヌギ 左)去年のもの    右)今年植えたもの。


樹名板 ペンキを塗った方がいいか、木地のままがいいか・・検討中らしい。
木地のままの方が目立ち過ぎずいいかもね。
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11月16日 飛鳥の天皇陵

2015年11月16日 | Weblog
世界遺産応援ウォークでは廻らなかった天皇陵 
今日は高取~飛鳥の天皇陵などを巡った。

写真を2.3枚取った所で電池切れ。予備電池忘れ・・で、写真なし。

岡宮天皇(草壁皇子の追号)真弓丘陵とされるところがあるが、本当は束明神古墳が草壁皇子の墓ではといわれるが証拠となるものがない。

確かな証拠、盗掘検分記録「阿不畿乃山陵記」が出たために、見瀬丸山古墳とされていた天武・持統天皇陵は野口王墓に納まり、玉突きで野口王墓とされていた文武天皇陵檜隈安古岡上陵は栗原塚穴古墳(現文武天皇陵)に。でもどうやら8角形墳の中尾山古墳が文武天皇らしく・・。それなら見瀬丸山古墳は誰の?

鬼の雪隠・俎は俎の西にもう一つ古墳があり、一墳丘二石槨の合葬墳かもしれないという・・
菖蒲池古墳 覗けば石棺が奥にもあるのが見えたが、被葬者は蘇我倉石川麻呂と長男興志の説がある。

古墳や天皇陵は何が何だか・・
何しろ大昔、証拠になるものは暴かれてなく、天皇陵は発掘もできず・・仕方ないですね。理解が及びません。

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11月14日 世界遺産登録応援イベント 降水確率90%

2015年11月14日 | Weblog
「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」を世界遺産に登録を目指す運動を応援するイベントがあった。
 飛鳥から藤原宮跡までの史跡を巡るイベント。歴史に詳しいガイド付き。

天気予報は降水確率90%で、やっぱりお客様は少なかったが、曇り空ながら雨は降ってなくて予定どおり行われた。

私は安全管理スタッフで班分けの中に入った。
飛鳥はなじみのあるところではあるが、今日初めて聞いたこともあり、まだまだ知らないことだらけ。

 
復元 高松塚古墳 極彩色壁画が発見された1972年 浅間山荘事件などがあったことを紹介された。
壁画はカビが生えたり残念なことになり、いまだ修復中だ。
  右)そばの小さな祠 高松塚古墳から出土した人骨を祀っているとのこと。これは初めて聞いた。

飛鳥歴史公園館を抜けて、鬼の雪隠 俎 石棺の蓋と台石 この大きい石を割ろうとした跡も残っていた。

この東隣にもう1基同じような古墳があり双墓だった可能性もあるらしいが、もうひとつの古墳は見たことがない。


 コシロノセンダングサ(シロノセンダングサ)
 
「亀石」も飛鳥の謎の石のひとつ。、『奈良盆地一帯が湖であった頃、対岸の当麻(たいま)のヘビと川原のナマズの争いの結果、当麻に水を吸い取られ、川原あたりは干上がってしまい、湖の亀はみんな死んでしまった。亀を哀れに思った村人たちは、「亀石」を造って亀の供養をしたという。亀石は、以前は北を向き、次に東を向いたと言う。そして、今は南西を向いているが、西に向き、当麻のほうを睨みつけると、奈良盆地は一円泥の海と化す』(wikipedia)この伝説は子供のころから聞いていた。
何のために作られたのかわかっていない。川原寺の境界石との説もある。
この石にもノミ跡があり、高取城を作る時に使おうとしたのではないかとのこと。
初めて聞いたのは「石の底に格子模様があるらしい」ということ。?? 底を見た人がいるのだろうか??

斉明天皇の殯(もがりの地 といわれる小さい祠「天王社」を過ぎ橘へ。

右に橘、左に川原寺 
橘寺は聖徳太子誕生地との寺伝がある。


川原寺は飛鳥三大寺のひとつであった大寺 焼失したが、中金堂の柱の礎石が残る。


田道間守が垂仁天王の命により10年かけて常世国から持ち帰った不老不死の「非時香菓(ときじくのかくのみ)」それが「タチバナ」 それを景行天皇がこの地に播いたのだとか。黄色く色づいていたが酸っぱそう。
今もこの橘(大字名)周辺はミカン栽培が盛んだ。


石舞台では定点ガイドが説明
周辺の古墳をいくつもつぶして作られた。
封土がないのは? 作り方? 図で説明があった。
石材はもうこんの森あたりからもってこられたらしい。
この古墳を作るのには大勢の労働力を使っても1年はかかっただろうとのこと。
古代のエネルギーはすごい。

午後はいよいよ飛鳥京跡中心部へ。
大極殿のような施設があったのではとの推定もある「エビノコ郭」
伝板蓋宮跡周辺
このあたりは下層から1期舒明天皇岡本宮、2期皇極天皇板蓋宮、3期斉明天皇後飛鳥岡本宮、4期天武天皇・持統天皇飛鳥浄御原宮と何代もの天皇の宮跡が重なっている。
想い出の地で懐かしい場所なのだけど、複雑でなかなか理解しがたい。

板蓋宮は蘇我入鹿が中大兄皇子・中臣鎌足に暗殺されたところ。


大井戸が復元されている。今敷かれている石は今後の発掘の際に混じらないように全く違う石を使ってあると聞いた。当時板葺の屋根は珍しかったらしい。 


         甘樫丘を遠望
日本書紀に「ならべ建てた」と記述のある蘇我蝦夷 蘇我入鹿 親子の邸宅あとではないかといわれる焼土などが出た東麓遺跡がある。


飛鳥寺は蘇我馬子の発願で建てられたという日本最初の本格寺院  
西には、蹴鞠で中大兄皇子と中臣鎌足が出会ったという「槻の木の広場」があったらしい。
入鹿の首塚といわれる五輪塔も。

飛鳥水落遺跡は漏刻の施設があったところ。礎石の上に立った柱も復元されていた。


甘樫丘の展望台から飛鳥京を展望し、藤原宮跡へ。


初めて通る飛鳥川右岸が珍しかった。


万葉集に歌われた「羽易(はがい)の山」がきれいに見えた。
中央に三輪山左右に巻向山と龍王山


藤原宮跡 
飛鳥から藤原京へ。そして平城京へ。遷都の理由は?

もう少しで終点という元薬師寺から大雨が降りだしたが、無事ゴールに到着。
京都から参加のお客様も一日歩きとおされた。

スタッフ参加だったが、いい勉強になった。
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