引っ越しする娘から植物の預かりもの。
オオタニワタリ 7鉢 ・シダ(名前不明)1鉢 ・ソテツ1鉢 預かることになった。
2鉢は本人と一緒に転宅。
オオタニワタリ 2鉢はもう一人の娘宅へ預ける。
居間のあちこちに置いたものの・・うまく維持できるかどうかは・・知らんで~。
この 変わったシダもベランダのセロームの横にとりあえず置く。
冬の寒さ・水や湿気の具合・光の加減・・・うまくいくかどうかはわからない。
今日めぐる京田辺周辺は「平城京から見て平城山の後ろ」にあたる山背(やましろ)と呼ばれる地域。
古事記や日本書紀にも登場する。
山背南部は山背息長氏(やましろおきながうじ)の本拠地でもあり、息長帯比売(神功皇后)の生誕地?
息長氏・和爾氏の勢力をバックに琵琶湖 宇治川 木津川の水運に恵まれていた。
留守中に夫 仁徳天皇が八田皇女を宮中に入れたことを許せず、一生暮らしたという磐之姫の筒城宮もこのあたり。
帰化人の多い地で、磐之姫は父、葛城襲津彦の影響が強い帰化人集団が住む土地で、保護を受けていたらしい。
継体天皇の宮も存在していたという。
棚倉孫神社(たなくらひこじんじゃ)
モチノキやケヤキの大木 木々に囲まれた棚倉孫神社境内
「棚倉」というのは 湿気を避けるため棚を設けた穀物倉庫のことで、養蚕にも用いられていた。
『筒城(綴喜)は古来から渡来人による養蚕が盛んで、貴重な蚕が棲む倉を崇め神格化して祀ったのが興りとも言われる』
本殿は桃山時代・拝殿は江戸時代中期の建築、社務所は元神宮寺であった旧松寿院。絵馬殿や瑞饋神輿など見どころが多い。
瑞饋神輿(ずいきみこし)好きで、以前に何回も見に来たことがある。
秋の収穫を祝って、約30種ほどの穀物や野菜や乾物で飾られた瑞饋神輿は美しい。
明治中頃から始まったそうだが、昭和4年から中断。昭和53年に瑞饋神輿保存会により祭りが再興された。
以後隔年に大神輿を製作。(子供神輿は毎年製作)田辺区域を巡回されるという。
去年製作された大きい瑞饋神輿 屋根のズイキ(サトイモの葉柄)は萎び、色あせた感じはいなめないが、
神輿の壁や飾りや欄干他、細かいところまで張り付けた穀物や豆類などまだまだきれい。
今年製作された色鮮やかな子供用 瑞饋神輿。屋根の上の鳳凰も素晴らしい出来栄え。
この緻密なきれいさは言葉では表現できない。何回見ても感動する。
甘南備寺
かつては甘南備山の中腹にあった歴史の古いお寺。
行基の創建ともいわれ、最盛期には七堂伽藍が揃っていたという。後荒廃。
江戸時代に現在地に移転。現在は黄檗宗になっている。
現在の山門 本尊は薬師如来坐像(薬師瑠璃光如来)木造
頭部と顔は平安時代当初のものとされる。 脇侍の日光・月光菩薩立像は鎌倉~室町時代のものとか。
お昼は田辺公園で。
酒屋神社
灯籠の並ぶ参道を入る。
酒屋神社 現在の本殿は明治の再建 酒造を司った氏族の祖神を祀る。
右)樹齢200年のツガの木
社伝によると、神功皇后(気長足姫)が三韓遠征の際、この神社の山に酒壺を3個安置して出立。
帰国後、その霊験に感謝して社伝を創建したとも。
古事記には応神天皇の時代に百済から酒造りの一族がやってきて、きれいな水がでるこの地に住み着いて酒造りを始めた。との記述があるらしい。
酒屋神社のある「興戸(こうど)」の地名は酒人(さこうど)から変じたものだという。
今日は寄らなかったが、近くには酒造りの神を祀っている「佐牙神社(さがじんじゃ)」があるそうだ。
継体天皇の宮がこのあたりにあったという。
楠葉で即位された継体天皇は都を筒城に移したとの日本書紀の記述がある。「宮のそばに、筒城の大寺があった」
宮跡として近辺に7か所の候補地があるものの、遺構は出ていない。
息長山 観音寺
息長山 観音寺 別名は 普賢寺 大御堂 大御堂観音寺とも。
天武天皇の勅願により、僧 義淵により創建された観心山 親山寺が始まりといわれる。
その後良弁が中興。後、実忠が入寺し、五重塔を建てたという。
法相宗・三論宗・華厳宗の3宗を兼ね「筒城の大寺」と呼ばれる大寺院になった。
その後火災などで時代とともに衰退。
その後再興された建物も焼失し、「大御堂」一宇を残すのみとなった。
本尊は十一面観音(国宝)
棚倉孫神社 甘南備寺 酒屋神社とともに 観音寺にも来たことがある。
その時に、たしかイソノキを見た覚えがあるなあと、探してみたが、わからず。
見逃したかなあ?
普賢寺川沿いにアメリカネナシカズラ 右)「日本最初外国蚕飼育旧蹟」の碑
解散となり、近鉄三山木駅から帰る。
友達のお誘いに、体調もほぼ戻ったものの、ちょっと迷い・・やっぱり連れて行ってもらうことにした。
湿地のような斜面。白い花がぽつぽつと見える。
さっそくドジをやらかす。斜面下の溝に足を突っ込んで・・履いてきた長靴の中に水が入り・・
ウメバチソウ つぼみも花もあった。
右)めしべに寄りそうおしべ。1個は開いている。順番に開くらしい。
緑色に見えるのは「仮雄しべ」。細かく切れ込んだ先には黄色い丸い腺体がある。
面白い形。
センブリも久しぶりに見た。 筋の入った花弁はスッキリ。
花弁の基部には黄緑色の蜜腺が2個ずつ並んでいる。
リンドウ 晴れているからこそ開いた花を見ることができる。
斜面の上の方にはアキノキリンソウやイナカギクらしい花も見えた。
サワヒヨドリは斜面のあちこちに。ミミカキグサの仲間も咲いていたが、小さくて写真に撮れず。
別世界のような花景色にため息が出る。
もう一つ可愛かったのはアリノトウグサの紅葉。
欲張らずに半日コースにしてもらったが、気分爽快。満足度100%
誘ってくれてありがとう!
最寄り駅のホームから見たら・・
何としたことか!ココスヤシが根元からバッサリと伐られてしまっていた。
2020.09.28若い果実がたくさん付いていたのに。(一番最近の写真)
いつも楽しみに見ていたのに・・がっかり😢😢😢
ココスヤシのメモリー
年度は前後するが、写した月を追って掲載する。
2009.01.03 初めて私のデジカメに登場 何ヤシかなあ?と思っていた。駅構内から写す。
右)2017.04.28 外の道路から写す。
2017年同定会でヤタイヤシやブラジルヤシなどの交配種を含めて「ココスヤシ」と言われているものだろうとのことで、ココスヤシとした。
2020.04.07 葉柄基部に落ちた種から芽生えた桜ソメイヨシノが成長して花が咲いた。
2018.06.12苞に包まれた花序が出てきた。 2,017.07.03 花が見える。
2020.09.28若い果実 上の一番最近の写真と同じ。
2018.09.17 橙色に熟した果実が根元に落ちていた。
右)2016.11.01落ちていた果実 食べられる。甘い。
邪魔になるようにも思えないのに伐られてしまってからでは何ともしようがない。残念だ。
買い物ついでに 高取・明日香へ寄り道
道標のあるところから五百羅漢を少し見て県道に下る。
岩に刻まれた無数の羅漢さま 羅漢とは『阿羅漢の略称で、悟りを開いた高僧のこと』らしいです。
名前の記されたものもある。 いつの時代に誰が彫ったものか。彫った人の願いが籠っているのだろうな。
深入りしないで県道に降りる。
アキチョウジ ヒヨドリバナ
飛鳥
気になっていたツルドクダミはもう花が終わって、果実になっているものもある。
イナカギク
コバノセンダングサ ここでは初めて見た。 右)コシロノセンダングサ
雲梯あたりまで散歩
トウワタ オキザリス トリアングラリス
青空 田んぼの間の道を歩くと、イナゴやバッタが両方の田んぼへピョンピョンと逃げる。
1匹 捕まえてみたら コバネイナゴだった。佃煮にするイナゴだ。
その気になればいっぱい採れそう・・ シロバナサクラタデ
国道沿いの歩道に熟した銀杏がいっぱい落ちていた。
シャクチリソバはこの辺にもある。というか、この辺のシャクチリソバが下流へ流されて根付いたのだと思う。
道のそばにもたくさんあったので、15本ぐらい摘んだら、いい花束ができた。
橿原神宮駅の近くにあったヤブツルアズキ?の果実を確かめたかったが、草刈されてなくなっていた。
ミゾソバ群生 幼いころはこの花をコンペイトウと言っていた。
右)黒猫 すべてお見通しのような落ち着き払った風体のノラ
私の小学校時代のニックネームはブラックキャット。謎めいていたわけではなく、日焼けで黒かっただけです。
広葉樹のサンゴジュも艶のある紅葉 キセキレイが草地をとことこ歩いていた。
マルバアサガオかな?ガクは幅広く、毛があった。
緑地周辺を1時間あまり散歩
住宅地ではキンモクセイが真っ盛り。あっちでもこっちでも庭に咲いている。 右)スイフヨウ
キンモクセイと言えば・・今年2月に娘が鹿児島の旧邸の庭にあった「キンモクセイの果実付き枝」をもらってきてくれた。そこの方はキンモクセイだと言われたそうだ。
それが、本当にキンモクセイなのか?ウスギモクセイ とかなのか?
花を確認したいのだけど、遠くて見に行くわけにもいかないし・・確かめたいなあ。2020.2.5ブログ 参照
空を見上げると、きれいな「うろこ雲」 秋だなあ。
「うろこ雲」はイワシ雲・サバ雲・ヒツジ雲などとも言われる、巻積雲の1種で上空高い所に発生する雲。
秋の季語ともなっているとか。ここで1句詠めれば最高だけどね・・
「うろこ雲が出たら3日の内に雨」ということわざもあるとか。
(翌日、この記録を書いているが、大当たり。朝から雨です)
緑地の外周路
果実の付いたユズリハ 緑地にある池
卓球もしばらくお休み中で、体育館も行ってません。早く復帰したい。
ヤマトシジミがたくさん飛んでいた。花の付いていない山茶花の垣根にもたくさん飛んでいた。(下にカタバミがあるが) 右)チャバネセセリも何頭か見た。
花壇の花
ヤナギバルイラソウ タマスダレ
ノゲイトウの園芸種 コエビソウ
アメジストセージやコスモスやハクチョウソウ コバノランタナ アメリカフヨウ・・など。
これは何かな? 気になりつつ又、花を見逃した。果実になっている。
川の堤防に出る。
セイバンモロコシもあるが、ススキやオギがたくさんあった。
先日、もう少し上流で見たが、ここは両岸にシャクチリソバが群生していた。
ヨモギの花に擬態する「ハイイロセダカモクメ」の幼虫をもう一度見たいなあといつもヨモギを見ているが、いないなあ。
右)帰り道の休耕田は一面タチスズメノヒエ
うんと前に、この辺にあった「ニオイタデ」残ってないかなあ。甘い香りを思い出す。
田んぼの向こうに少し高い場所。木が生えている。古墳跡かもしれないなあ。
昔はこの辺にも小さい古墳がいくつもあったらしいので・・
今は畑か?また見に行ってみよう。
近辺を散歩
ここは草が生い茂ってかつて草刈りなどされたことのない場所。
ここに何かできるのかな? きれいになって奥へ入り込めるようになった。
田んぼと草地の間へ。
ヒメクグやヒロハスズメノトウガラシ ヒメミズワラビもあった。
あぜ道を奥へ行こうとしたら、大きいジョロウグモが巣を張っていた。
ジョロウグモ 成熟した雌 ジョロウグモは女郎蜘蛛とも上臈蜘蛛とも。
「上臈」は江戸時代の大奥の最高位の役職名とか。私はこれに1票。
網を除けようとしたらキラリ。金色の糸。わかるかなあ。(矢印あり)金色のクモの糸 初めて見た。
右)あまりきれいなのでメモ帳に巻き付けてみた。横糸でないので粘りはない。
私が知らなかっただけで、ネットにはたくさん投稿がある。
「巣の横糸(ぐるぐる巻きの)が光っている写真」もあったが、私が見たのは、イネからあぜ道を越えて高い草の方へ張っている長い糸だった。粘らなかった。
すごく強い糸だったので布を織れるのではないかと思ったのだが、ネットのイギリスのニュースで『マダガスカルに生息するジョロウクモが出す糸を4年以上かけて(120万匹)集めてクモの糸を編んだ「金色の婦人用ケープ」を制作したアーティストがいる。現在世界で唯一のものとして英国のヴィクトリア&アルバート博物館で展示中(2012‣1・25)』の記事がありびっくり。ケープを着用している写真もあった。
別のネットによると、マダガスカルのジョロウグモの仲間の英名は「ゴールデンスパイダー」というらしい。
『秋、成熟した雌の牽引糸が金色に変化する。雄の糸は白いまま』との記事。なぜ秋だけ、なぜそうなるのかの研究論文もあったが、むつかし過ぎて・・(「クモの糸の光学、力学的性質」の論文をご覧ください)
金色の糸に目を奪われて、細かい観察はしていない。またもう少しよく見てみようと思う。
奥へ行こうとしたが、クモの巣がいくつもあって断念した。
稲刈りの済んだあぜ道を歩いてみる。
ヤナギタデ ボントクタデ
ダイサギ 何か見つけたか? ウマノスズクサの新たな群生地も見つけた。
知らない道を通ると面白い。
アレチウリに覆われた川岸 この左側を歩いた。
右)アレチウリに混じって水色のマルバアメリカアサガオ きれい。
川辺に白いかたまりが見えた。 やっぱり。 シャクチリソバの群生だ。
1時間のウォークだったが、近場でも季節を変え、歩くところを変えるといろいろ発見があるものだ。
軽くウォーキングのつもりで車で御所へ。
葛城山麓にある高天彦神社から出発
ヨメナ ヨシノアザミ
ヤクシソウ ヤマハッカ
コメナモミ 山道に メナモミ
ツルニンジン(間違えてた訂正) 宝物を見つけた気分 サクラタデ
秋の野山はいいですね~。
高野山真言宗 宝有山高天寺 橋本院 駐車場から
『高天寺 の開基は奈良時代に元正天皇の勅により行基が開基したと言われる。
聖武天皇の任命により鑑真和尚も住職を勤めたこともあるという、広大な境内を持つ大寺院だった。
元弘の変以後、修験僧高天行秀が南朝を陰から援助したことから、北朝方の焼き討ちにあい衰退していく。
後に、延宝5年(1677)住職頼勇により、高天寺の一子院「橋本院」として復興 本尊は11面観音立像』(HPより抜粋)
今は[花の寺]として人気がある。
満開のキイジョウロウホトトギスが迎えてくれた。 ちょっと中を見せてね。
コウヤボウキ まだつぼみの多い株もあったが咲いた株もあった。 ガマズミ 果実
ホトトギス 豪華な白花 紫の花 いろんな種類がある。
シュウメイギク 八重や一重 ピンクや白
ゆっくり歩いて、お弁当も食べて2時間あまり。楽しかった。