1月もあと数日で終わり。
正月飾りを片付けて、次の節分飾りをだす。
ベランダや庭も整理。
ネットに絡んだマルバアサガオ 枯れ枯れになったので種を採る。
いろんな色が咲いた。
数の少ない青の花の咲いたつるに目印をつけたりしたが、意味がなかった。
どれが何色やら・・
絡みついたつるを取るのは一苦労。
マルバアサガオのつる。Z巻きだ。
下の庭も見に行く。
オモト 赤い実がついている。
リュウキュウツワブキ 咲き終わりだ。
カンアヤメ あら~。5輪も咲いたのに見逃した。
花がすっかり終わっていた。ごめ~ん。
自然史博物館での講演を聞きに早めに長居公園へ。
ヒメキンギョソウ(リナリア)や、キンギョソウが満開
①今日は大阪女子マラソンの開催日。
テープが張られ、パトカーが何台も止まって物々しい雰囲気。
もうすぐ、スタート時間らしいので、見ていくことに。
たくさんの見物人が続々と集まってくる。
ヤンマースタジアムを12:15スタートというが遅れているようだ。
そして、先導の車が通ってしばらくして、報道の背の高い車が通り・・
白バイの後ろに選手の姿が見えてきた。
大阪府警交通機動隊の女子白バイ隊だそう。後で知った。
主役は白バイではなく、選手です・・😿。
カメラも準備して、スマホでも撮ろう・・と思ったのに・・速い!
あっという間に目の前を通り過ぎ・・写真はむつかしい。
先頭集団が通った後、2番手3番手の集団や選手が次々と通り抜ける。
すごいなあ。駅までの短い距離も走れないのに。
年1回の五條市の42.195キロのウォークを4年連続参加完歩したことはある。
9時間ぐらいかかり、ヘトヘトだった。
後で優勝選手の記録を見たら・・2時間18分59秒の日本新記録。すごい!
最後尾の選手が走り抜けた後、トラックも人が横断できるようになり、博物館に向かう。
②「小笠原の自然 固有植物の進化と多様性」
講師は高山浩司氏
小笠原父島へは2000年8月友達と4人で行ったことがある。
小笠原のお話は楽しみだ。
今も渡るのは船だけで24時間かかるというのは変わってないようだ。
小笠原諸島は、火山の噴火でできて以来、一度も大陸と陸続きになったことがない「海洋島」。生物のいない状態から生態系が始まっている。
小笠原諸島は、小笠原群島(父島列島・母島列島・聟島列島など)と、火山群島(北硫黄島・硫黄島・南硫黄島)と、孤立した南鳥島・沖ノ鳥島・がある。
小笠原諸島は、1830年ハワイなどからの移民が父島に入植するまで無人だった。
今も民間人が居住しているのは、父島と母島だけ。(硫黄島には航空基地があり関係者が居住)他の島はすべて無人島。
1944年には人口約8000人も住んでいたらしい。(今は総人口2600人)
戦後はアメリカ統治下に置かれていたが、1968年日本に復帰。
その豊かな生態系から2011年、世界自然遺産に登録された。(硫黄島除く)
狭い面積に並外れた高いレベルの固有種があるのが評価されたらしい。
シマウツボ(寄生植物)・モンテンボク・ヤロウド・オオバシロテツ・アカガシラカラスバト・・他、固有種や希少種のお話。
父島にあって母島にはないもの。逆のもの。島々に独自の生物が存在する。
在来種と外来種のお話も面白かった。
外来種「ノヤギ・クマネズミ・ノネコ・グリーンアノール(ペットから)・アカギ(繁殖力すごい)・・」などによる自然環境の被害は大きい。
人間生活により持ち込まれたものがほとんどのように思う。
「ノヤギ」は駆除活動にも関わらず父島ではいまだ根絶していないそうだ。
外来種が減って固有種がよみがえったところもある。
でも、外来種のノヤギが減ると、そこに別の外来種モクマオウが増える。
クマネズミを駆除したところに外来種ギンネムが増え、ギンネムを駆除するとササが増える。・・といった問題も起こるらしい。
アカギは繁殖力が強く、なかなか根絶やしは困難な外来種らしい。
黄金色をした小笠原固有の寄生植物 シマウツボ(ハマウツボ科)は絶滅危惧ⅠA類。
蜜が多く、昆虫の他、メジロが訪花しているのも確認されているらしい。
寄主のヨモギがない所では、ヤロウド(キョウチクトウ科)・ムニンゴシュユ(ミカン科)・外来種のアカギ(コミカンソウ科)の根に寄生するなど「寄主の転換」も見られるそうだ。
アカギをなくすと、そこに寄生するシマウツボがなくなってしまう・・ということも。
外来種が組み込まれているなかで、在来種・固有種をどのように守っていくか。
悩ましい問題だ。
講師の高山氏は、南硫黄島に学術調査団として入られた方。
南硫黄島の調査のお話も聞けた。
南硫黄島に入った調査団のことは、テレビの放映を見た。
火山列島(硫黄列島)の内、北硫黄島は、今は無人だが、かつては製糖工場もあった。硫黄島は今も航空基地があり人が住む。
南硫黄島だけが、人の定住を拒んでいる。
上陸困難(海岸がない)・水系が少ない・・ことなどによる。
それで、手つかずの自然が残っていて、「原生自然環境保全区域」となっている。クマネズミもいない。
調査団は「持ち込まない・持ち出さない」を徹底して島に入る。
衣服や持ち物・排泄物まで・・クリーンルームや冷凍なども使い、島に外からのものを持ち込まない、持ち出さないことを徹底している。
三角形のような南硫黄島。切り立った山の斜面で、テントを張る平地もないそう。
なので、調査の各界の専門家以外にも、登山家や海洋の専門家他の協力が不可欠だとか。
山岳技術を持つ登山家の協力で梯子や鎖を張ってもらいながら山へ登りながらの調査。
79年ぶりに南硫黄島で固有のラン科 シマクモキリソウが見つかったそうだ。
一方、海鳥に付着して入ったらしい外来種も見つかっているという。
すごく興味深いお話を聞くことができた。
講演が終わってから、今日はお休みの娘と待ち合わせ。
③臨南寺の前で落ち合う。
曹洞宗 含松山 臨南寺(臨南禅寺)長居公園に接している。
江戸時代創建、開創360年という禅寺。
建物は新しい。
かつては、本堂、庫裡、土蔵、薬医門、禅堂、鎮守堂などを有したそうだ。
今はがらんと広い境内
そこには「臨南の森」という、うかつに入ると迷ってしまうほどの深い森(33,000㎡)が広がっていたという。
今の境内からは到底信じられない。
国鉄の時代には「臨南寺駅」がそばにあった。
1928年(昭和3年)計画された総合公園の名称は「臨南寺公園」だったとか。1934年(昭和9年)「長居公園」に改称された)
いかに大きい立派なお寺だったのかわかる。
先日、学芸員さんから「臨南の森」にあった樹齢700年の御神木の「椎の大木」の話を聞き、見たいと思って来たわけだ。
その椎の大木は、1950年(昭和25年)のジェーン台風で倒れてしまったという。
倒れて74年。かつての大木の面影はない。
生きていればさぞ貫禄があったことだろう。
そばには棱伽白龍大権現 が祀られている。
よく来る長居公園のすぐそばに、こんな歴史があることを知ったのは良かった。
久しぶりに会う娘と喫茶店でおしゃべりをして帰る。
11月都合が悪くて休み、12月は講座がなかったので、ずいぶん間が空いた感じ。今日も詳しく教えてくださった。
十干十二支について。
日本書記には、天武天皇12年「九月の乙酉の朔丙戌に大風吹く」(9月2日のこと)などと記述されている。
年賀状で「辰年」とか、私「未年」生まれ・・などと日頃使っているのは十二支。
わかっているようでわかりにくい干支について教えてもらえたのは良かった。
きちんと押さえておきたいが、なかなかむつかしくて、理解にだいぶ時間がかかった。
自分にわかりやすいようにまとめてみた。
*干支=十干と十二支の組み合わせをいう。
今年2024年の干支は、正しくは「甲辰(きのえたつ)」の年。
*十干=甲・乙・丙・丁・戌・己・庚・辛・壬・癸 の10個
(古代中国から伝わった陰陽五行説に基づいて独特の読み方をする)
・陰陽とは、すべてのものは、相反する2つのものから成立するという考え方。
(陽と陰・天と地・男と女・上と下・動と静・兄(え)と弟(と)・・・)
・五行とは、すべてのものは、木・日・土・金・水の5つから成り立っている。
*十干と十二支を1つずつ順番に並べる。
甲・乙・丙・丁・戌・己・庚・辛・壬・癸・甲・乙・丙・丁・戌・己・・・
子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・・・
これに陰陽を加えて縦に読むと、1列目は、甲(え)子=「きのえね」。
2列目は、乙(と)丑=「きのとうし」と読む。
読み方がむつかしい。
自分では何とか納得できたが、説明はむつかしいです。
十干と十二支を1つずつ順番に並べるので最小公倍数として60番で1巡し、元に戻ることから「還暦」という言葉ができたそうだ。
10と12の組み合わせのために「組み合わせのないものもある」というのは、初めて聞いた。
例えば、
甲子(きのえね)・甲戌(きのえいぬ)・甲甲(きのえさる)・甲午(きのえうま)・甲辰(きのえたつ)甲寅(きのえとら)はあるが・・
甲丑・甲亥・甲酉・・などの組み合わせはない。
乙丑(きのとうし)・・・・はあるが、乙子や乙寅の組み合わせはない。
へ~なるほど・・
日本書記では、前の続きで(1回休んでいるが)天武天皇12年(683年)の9月23日に、天皇が、38の氏族に対して姓を与えられた。「姓を賜ひて連という」
姓を賜った氏族について出自などのお話。
ここに出る「物部首(もののべのおびと)」は石上神宮に奉仕した、春日臣の氏族「市河」の子孫。
同じような名の、物部連(もののべのむらじ)の始祖は饒速日命で、物部首と物部連は別族らしい。
どちらも物部氏。名前が変わったりしてややこしいなあ。
葛城直・門部直・錦織造など・・
錦織造は百済国の王「速古大王(肖古王)」の末裔だそう。
百済からの渡来人が住み、綾織りや錦織を朝廷に献上したという所が「錦織」の地名の由来となり、錦織神社(富田林)がある。河内国の3水分神社の1つという。
もうお1人の講師からは継体天皇の系譜についてのお話があった。
なかなか頭が回転しません。記事に責任も持てません。
歩いて買い物に。
住宅地のそばのバイパス道路あたりで、京奈和道(の内、大和御所道路)の工事中。
地下にもぐったり、高架になるところもある。
葛城山・金剛山は雪が降っているらしい。白くけぶっている。
この辺も時々雪がちらついた。
橿原バイパスの高架部分
端に歩道がついているが上ったことがなかった。
初めて上った。
高いので見晴らしが良い。
真下に曽我川 斜面はウマノスズクサの自生地。
まともに京奈和道にかかる。
ジャコウアゲハが卵を産んで育っていたのに・・
この場所が無くなるのは残念だ。
右の⇔の部分は新しい橋「新雀堂橋」が架かる。
もう橋脚もできているようだ。
この橋「雀堂橋」が道路にかかってなくなるようだ。
遠くに我が家の屋根も見えた。
高架の歩道から側道へ降りる。
横には新道路の橋脚用の基礎の穴。何カ所か見える。
京奈和道の内、大和御所道路の工事が進められている。
その先にはもう大きい橋脚が出来ているところも。
近鉄線の地下をくぐり、地上に出て、高架になって・・
今あるバイパス道路との関係も、どんなになるのか想像がつかない。
とにかく、この辺の景色がガラッと変わることは間違いない。
帰り道、曽我川の斜面はスイセンの花盛り。
手の届く何本かを摘んで持ち帰った。
遠くのカキノキにスズメの群れが入った。
一斉に飛び立った。
その後はカキの実ばかり。
友達と3人で富雄へ。
駅から霊山寺まで、お食事前のウォーキング。
霊山寺 駐車場前の「桧森橋」
ずっと前、バラを見に来た時以来だ。
霊山寺は天平8年(736)聖武天皇の勅願で行基が建立。
薬師湯
『小野富人(遣唐使小野妹子の息子、鼻高仙人と言われた)が、薬草を栽培し薬師如来を祀って薬草風呂を施湯したのが始まり。聖武天皇や光明皇后も入湯されたと伝わる』
トウキやセンキュウなどが入っているという。
日帰り入浴もできるらしい。入る機会があるだろうか?
高い所に、3重の塔。
苔生した斜面 階段を上って本堂へ。
霊山寺 本堂(国宝)
『鎌倉時代中期(1283)に改築。
本尊は薬師如来(重文)。脇侍日光・月光菩薩と共に秘仏』だそうだ。
奥之院の鳥居。
奥まで行ってみたいところだが、食事の予約時間を考えると、ゆっくりもできず、ここから戻る。
来る時、ちらっと見えた神社に立ち寄る。
階段の下の早咲きの桜はもう見ごろを過ぎていた。
階段を登る。
葛上神社 祭神は建速須佐命
創建は不詳。
境内にはいくつかの社がある。
その1つ、浅間神社 祭神は木乃花咲耶媛
「火中出産した話があるね・・」そうそう。
私も古事記(漫画)で詠んだことがある。
子孫が神武天皇へと続いて行く・・
ここから今日のお食事処へ。
インド料理 まさら庵
古民家をリノベーションした落ち着いたたたづまいは、インド料理の店と思えない。
築150年以上らしい。(ネット)
コース料理を予約してくれてある。
カレーをリストから選ぶ。
インド料理というのは初めてだ。
ビールを3人で2種類選ぶ。
前菜からデザートまで。
ナンと、癖の強いカレーとタンドリーチキンなどの印象しかなかったが、日本人に合った味にしてあるのか、香辛料が効いているぐらいで食べやすかった。
インドビールも特別変わった味もしなかった。
窓辺に飾ってあったゲットウ
見たことがないなあと見ていたら、「カレーノキ」と教えてくださった。
葉をカレーに入れるそうだ。
歩いて富雄駅まで歩いた。
午後からの講演が目的だが、朝から行って午前中真冬の植物園を回ってみる。
途中少し小雨うっとおしい天気。
花も少ない時期
花はないが見たことのない目立つ大きい葉 これは何?
メリアンツス マヨール(フランコア科)の名札を帰りに友達が見つけてくれた。
サンゴミズキかと思ったら、シラタマミズキの名札
「サンゴミズキはシラタマミズキの園芸種」とのネット記事あり。
スイセンの仲間 ナルキッスス カンタブリクス 見ごろ
スノードロップもいつもの場所で見頃。
内花被片の緑色の斑が魅力的。
ロウバイ 芯が赤っぽい。 梅林で見頃。
ジャノメエリカ 満開
植物園会館前にお猿顔のラン2種が紹介されていた。
講演が終わったら見に行こう。
講演の演題は「植物油の利用について」
講師は、江戸時代創業の山中油店の専務取締役の方
店舗は平安宮内裏跡に隣接した地にあり、建物は国の登録有形文化財に指定されているという。
動植物由来の油のお話
台所・お料理に関するお話のつもりでいたら、先ずは脂肪酸の分子の構造のお話で始まり、ちょっと面食らう。
パワーポイントの図を見ながらお話を聞く。
化学弱い・・
油脂には常温で液体の「油」・常温で固体の「脂」がある。
脂肪酸には飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸がある。
脂肪酸というのは・・
炭素(C)と水素(H)と酸素 (O)の3種類の原子で構成される。
炭素(C)が、鎖状につながった一方の端に カルボキシル基(-COOH)がついている。
*飽和脂肪酸
炭素と炭素の間に2重結合がない。(1本の手でつながっている)(C-C)
主に動物性 乳製品や肉に含まれる「脂」で、常温で固体になる。酸化しにくいことが特徴。
*不飽和脂肪酸
炭素と炭素の間に2重結合がある。(2本の手でつながっている)(C=C)
オリーブオイル・椿油・えごま油・アマニ油など植物性油や、魚類に多く含まれる「油」常温で液体。
不飽和脂肪酸が体に良いと言っても、カロリーは高いので、取り過ぎはよくない。
油にはその油の乾く速さにより、乾性油・不乾性油・半乾性油に分けられる。
ヨウ素価が高いほど酸化しやすく、固化しやすい。
*乾性油 乾きやすい(空気に触れると酸化しやすく、表面に被膜ができる)
木工製品の塗装用(艶だし・耐水・防虫・・)や印刷インク・番傘・提灯などに。荏油、亜麻仁油、桐油など。
*不乾性油(酸化しにくく乾かない)椿油・オリーブオイルなど。
しっとり保湿
*半乾性油(乾性油と不乾性油の中間程度の乾燥)
菜種油・こめ油・ごま油など
油の用途もいろいろなのだ。
家の木材のお手入れに油を擦り込むというのを初めて知った。
植物油の中でもパーム油の生産・消費が増えているというお話も。
アブラヤシから採れるパーム油。
洗剤・マーガリン・インスタントラーメン・揚げたお菓子・・今や私たちの生活と切り離せないが、自然破壊や除草剤の問題もある。
以前、ボルネオに行った時、車で移動中、オイルパーム(アブラヤシ)のプランテーションが行けども行けども延々と続き・・
空から見れば、熱帯雨林が広がっていると見える緑は、熱帯雨林がオイルパームに置き換わっているという現実を実感したことがある。
自然破壊に自分も手を貸しているのだとちょっと恐ろしくなったものだ。
でも・・その後もパーム油に依存している私がいる。
包装袋に「植物性油脂」と書いてあるものはほぼパーム油とみて間違いない、とのことだった。
生物由来のバイオディーゼルの原料では回収した廃油が使われることが増えており、お店でも回収されているとのこと。
オリーブオイルの種類のお話も。
購入の際は表記をよく見て、酸化しない内にしっかり使いましょうとのこと。
油は昔はお供え用(ぶとなど)や灯用など貴重品だった。
食用に使われ出したのは明治中期以降から。
いろいろお話を聞いたがまとめきれません。また、聞き間違いもあるかも。
講演終了後、急いで観覧温室へ。
猿顔のランが目的だが、花が咲いているとつい足が止まってしまう。
ホヤインペリアリス
アリストロキア トリカウダタ ウマノスズクサの仲間
アリストロキア サルバドレンシス 花弁の裏側は白い網目状
ところで・・猿顔のランはどこだ?・・
15:40分 閉館時間が迫る・・(閉館4時)
せっかく見に来たのに見つからない・・聞いた方が早い。
・・ということで、教えてもらった。
あった! ドラクラサウリィ お猿顔のラン
これは初めて見る。
直径3㎝ほどで、思っていたよりずいぶん小さく、表示もなかったので、通り過ぎてしまう所だった。
もうひとつのお猿顔 ドラクラギガスもあったはずだが写真を撮ってない。
ドラクラベラ 花被の先が長~い。
パラモンガイア ウェベルバウエリ(ヒガンバナ科)
スイセンのような花 「アンデスの秘宝」とのこと。
閉館の音楽が流れ、急いで温室を出る。
今年初めて会った友達と4人でコーヒーでおしゃべりして帰る。
早めに駅に着いたので、予定の打ち合わせ会の前に大阪天満宮に立ち寄る。
毎年1月はこの近くに来る。
大阪天満宮
奈良時代、孝徳天皇の「難波長柄の宮」の西北を守る神として「大将軍塚」を祀ったのが始まり。
平安時代、天神の森とも言われたこの地に、村上天皇の勅命で、赴任先の太宰府で故郷を思いながら亡くなった菅原道真の霊を祀るために大阪天満宮が創建された。
裏門から入り、境内社?摂社?たくさんの社を主に回る。
白米稲荷社
八坂社 祭神は素戔嗚尊
芭蕉句碑の左に建つのは「筆塚」
「針塚」
この唐門は「(西)登竜門」
「合格祈願 通り抜け神事」というのがあるらしい。
後から通った人に聞くと、大勢の人が集まっていたという。
そばには合格祈願の絵馬がたくさん掛かっていた。
努力を尽くした後は神頼み。
大阪天満宮本殿
正月の参拝は終わって、やはり合格祈願らしい参拝客。
私は世界の平和や家族の健康を祈った。
表大門
今日はここから出て、打ち合わせ会場に向かった。
初めて来た西宮市貝類館。
所属している会の定例会。こんな機会もないとなかなか来れない。
学芸員さんの説明付きで見学。
ケースに入っていない貝は「触ってもよい」とのこと。
西宮市貝類館の設立の中核となった 左)「黒田徳米博士」と、右)「菊池典男氏」のコレクション。
「干支(辰年)に因む貝」
タツ・リュウなどの名のついた貝。
リュウグウオキナエビス・リュウグウイモガイ・リュウグウダカラ・リュウグウザクラ・リュウグウボタル・リュウオウイモガイ・リュウオウスガイ・タツノコヘビガイ・タツノコチヂワケボリ・ヒリョウガイ・・・たくさんあるものです。
おもしろかった貝
*オキナエビスガイの仲間
上の写真の右側は「リュウグウオキナエビス」
「テラマチオキナエビス」
リュウグウオキナエビスと似ているが、ベニオキナエビス
最初見た時「貝殻が欠けてる」と思った。
オキナエビスの仲間に共通しているのは、貝殻にスリット(隙間)があること。
へ~~。なんだこれは!初めて見た。
説明を聞くと、このスリットは、排せつや呼吸に使われているとのこと。
原始的な形質を残しているようだ。
成長とともにスリットは塞がれて、新たにスリットが造られていく。
塞がれたスリットの後は、上記の下の矢印のように段となって残る。
面白い。
*タカラガイの仲間
タカラガイの仲間はツルツルでかわいいので好きな貝。
昔は「貝貨」として使われたとも聞く。
今日は「タカラガイの秘密」?を聞いた。(知らなかっただけ)
生きているタカラガイは外套膜という薄い膜で貝殻を覆っているというのだ。
外套膜は貝殻を守る役割があるらしい。だから外見はツルツルしていない。
(ネットで出て来る)びっくりした。
外套膜が縮むと、あの固いツルツルつやつやの貝殻が現れるという。
生きたタカラガイを見る機会はないが、見てみたいものだ。
和歌山の加太の海にはメダカラというタカラガイの仲間がいるらしい。
その他
*オオシャコガイ(これは160㎏位)
沖縄以南~西南太平洋のサンゴ礁に分布。
2枚貝では最も大きくなり、500㎏に成長した記録もあるのだとか。
そんな大きい貝だったら人魚姫も十分座れますね。
*ヒオウギガイ これが自然の色か?と思う鮮やかさ。
ネットで調べると「外敵から身を守るためにサンゴなどの保護色に変化したという説もある」とのこと。
食用貝でおいしいらしい。
*ヒザラガイの仲間 海辺で見かけるが、これも貝の仲間なのか。
骨格はこんなものなんだ・・
スナガニなどのお話もあったが省略・・
以前は夏には海で遊んだものだが、最近は海に行ってない。
なんだか海に行きたくなってきた。
「椣原の勧請綱掛け」の新聞記事を見た。
綱を作る金勝寺はハイキングで前を通ることもあり、なじみがある。
始まりは8時半から。とてもそんな時間には行けないけど・・見たい・・。
結局、金勝寺に着いたのは12時を過ぎていた。
真言宗室生寺派 金勝寺
行基菩薩が龍田川の龍神に呼ばれて精舎を建立したのが金勝寺の始まりという。
奥の階段を上った所が本堂で、その周辺で綱打ちが行われるようだ。
綱はほぼ出来上がり、境内から坂の下に長々と延びていた。
雄綱(おんづな)は27m・雌綱(めんづな)は12mの長さ。
雄綱雌綱は男性の参加者だけで作る。
3本の綱の1本1本は捻じらずに、藁を継ぎたしながら、分けた藁で巻いてとめて長くしていくという珍しいやり方。
そうやってできた綱を3本捻じり合わせて1本の太い綱にするのだ。
初めて見たやり方だ。
勧請綱に付ける男性のシンボルもすでに完成していた。
雄綱・雌綱造りは女性が参加できないことから、女性子供誰でも参加できる「子綱」作りが去年から?始まった。
まだ途中だったので、私もやらせてもらった。
3本の太さにずいぶん差があるが、気にしない気にしない。
3本を撚り合わせて1本の子綱に。もう1本もできた。
この「子綱」は、元山上口駅と、平群北小学校にかけるそうだ。
次に、綱引きが行われる(男性のみ参加)
これは勝ち負けを競うのではなく、力を合わせることと、綱の縒りを強くするのが目的でもあるようだ。
年男登場
体に綱を掛けられ、ぐるぐる巻きにされていく。
巻き方があるのか結構時間がかかった。
ついに頭が見えなくなった。大丈夫?
そして、何と、ぐるぐる巻きの年男を横倒し。ええ~っ。乱暴な・・
横倒しになって見えた年男の足をみんな寄って引っ張り出す。
うへ~。何てことを。
年男さん。藁クズだらけ。まあなんともなかったようでよかった。
これも厄払いなのだ。
次は、藁の山の上に子供をうつむきに寝かせて・・
丸めた綱を子供の上へ転がす。これも健康を願ってのこと。
男の子も女の子も希望してやっているので、泣いたりする子はいない。
子供の次は大人。丸めた綱を乗せ・・上へ乗っかってドンドン押し付け。
荒っぽい。
もとはムコイリ、ヨメドリした男を対象に「祝うたろ」と、手荒い祝福だったそうで、これを「祝たれ」というそうだ。
本堂前へ綱を運び、綱が出来たことを報告。
階段を巻いた綱をもって登る。
中には下へ引っ張っている人もいるような・・
神様への報告が済むと、綱を綱掛の場所へ運ぶ。
(どうやって運んだか見てない・・)
綱渡しを見に行く人と、本堂でお話を聞いてから綱渡しを見に行く人に分かれる。
本堂へは入ったことがないので、中へ入ってボランティアガイドさんのお話を聞いて、ご本尊や脇侍・十二神将を拝観。
ご本尊「薬師如来坐像」 ボランティアさんの資料を写す。
その後、勧請の場所へ案内してもらう。
「綱掛は時間がかかるから今から行っても十分間に合います」とのこと。
国道側から見ることにする。
竜田川 谷は蛇行している。この奥が「勧請」と呼ばれる綱が掛かる場所。
左側の木立のあたりから見る。
勧請綱は谷に渡されたワイヤーに導かれて線路側(右岸)から国道側(左岸)に送られる。
言うと簡単だが、足場の悪い所での作業、長い綱の扱い・・
時間がかかるのも当然だ。
線路側(右岸)、高い所に登っての綱送り作業。
生駒線の電車が横を通った。
綱が徐々にこちらへ伸びてくる。
綱到着。綱を受け取る国道側(左岸)は崖っぷち。
木に縄をくくりつける。気をつけてくださいよ~。
雌綱は雄綱の尻尾と繋ぎ、線路側のポールに巻き付けられた。
国道の歩道橋から見た「勧請綱」 この谷は滝になっているらしい。
綱から右と左にぶら下がっているのは「龍の脚」だとか。(矢印)
龍神信仰と共にあるという椣原の勧請綱掛。
周辺の川には、龍にまつわる場所が何カ所もあるらしい。
・龍の頭「馬鍬淵」・龍の胴「牛落とし」・龍の尾「謎の巨岩」・そして、龍が巻く大木「龍神杉」
馬鍬渕しか知りません。
その後、寺では藁を燃やす「とんど」も行われるらしいが、16時近くになったので帰った。
1000年の歴史を持つという勧請綱掛け。自治会や保存会の皆さまやボランティアの皆さま・住民の方々が1体となって続けられているのがわかった。
ふるまいがあったらしいが、そちらに目がいかなかった。
「池にミコアイサがいっぱいいた」との息子の情報。
遠いが確かにミコアイサらしい写真。
連れて行ってもらった。
森市神社 大正13年にこの地へ遷座したという。
株立ちの熱帯性の竹
大安寺池 広い池にたくさんの水鳥。遠くの白い集団は確かにミコアイサ
脅かさないように木立に隠れてネットのすき間から見る。
望遠でミコアイサ ♀♂合わせると20羽ぐらいいた?
ミコアイサは用心深く遠い所で群れている。
マガモは比較的近くて写真も撮りやすい。
少し場所を移動すると・・マガモも一斉に飛び立った。
鳥の目、よく見ているのにはいつも感心する。
カルガモやコガモ・マガモも日向ぼっこ。
堤防ブロックに1羽ずつ陣取っているのが面白い。
その後、近くを歩く。
式内 岐多志太神社(きたしたじんじゃ) こじんまりとした鎮守の森
村屋坐弥冨都比売神社(むらやにいますみふつひめじんじゃ)一の鳥居(木造の明神鳥居)
普通 村屋神社と言っている。
壬申の乱の時、村屋神が⼤海⼈皇⼦に神託を与え助けたという。
長い参道の先に二の鳥居(石造の明神鳥居)
その先に拝殿
本殿には 三穂津姫命・大物主命の二神が祀られている。
大神神社の別宮とも言われ、大神神社と村屋神社、両方参るとご利益が増すと言われている。
この辺り、少し不便だが、一度ゆっくり歩けるコースを探したい。