怖い言い伝えが残る奈良町周辺の史跡を案内してくださった。
奈良のサクラも真っ盛り。 猿沢池
「52段」 「六道の辻」にも仏教にまつわるいわれがある。
帝の寵愛が衰えたのを嘆いて入水した采女の霊を鎮めるために建てられた「采女神社」 采女は自分が身を投げた池を見るにしのびず、一夜にして裏向きになったとか・・
率川の中州の船に乗った「率川地蔵尊」 幕末の河川工事で見つかった地蔵さま達が一堂に集められた。ここは伊勢街道の基点の場所でもある。
無実の罪で殺された道祖王(ふなどおう)の怨霊を怖れて建てられた「道祖神社(どうそじんじゃ)」
その名もあやしげな「不審ヶ辻子(ふしんがつじ)」はこの辺りで追いかけた鬼を見失ったことが町名の由来
「瑜伽神社(ゆうがじんじゃ)」 飛鳥から平城遷都と共にこの地にうつされ、元興寺禅定院の鬼門除けの神社となった。この辺りは奈良の飛鳥。 右)南は飛鳥の方角 ここに立って詠んだのか、坂上郎女の「故郷の明日香はあれど あをによし 奈良の明日香を見らくしよしも」の歌碑が建っている。
頭塔(ずとう)
方形の7段の土頭 ピラミッドのような珍しい形。44基の石仏が設置されている。
南半分は発掘前の現状保存で木が繁った状態。 北半分は復元して保存
土塔から頭塔になったらしいが、奈良時代の僧「玄の首塚」との伝説がある。
玄は奈良時代の高僧で、遣唐使として唐に渡り、帰国後も聖武天皇に寵愛されたが、横暴が過ぎて反発を買い、左遷させられて任地で急死。恨みの籠った体が奈良に帰り、首が落ちたところがここ。腕(かいな)は肘の塚、胴塚 眉目塚、とご丁寧に体の各部が落ちた所が地名として残る。
玄を討とうとした藤原広嗣も捕えられ斬られ、その怨霊を鎮めるために神として祀った「鏡神社」
淡い色のモクレン 怨霊の世界からちょっと放してくれた。
女人守護の神を祀る赤穂神社
不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん/ふくうけんじゃくかんのん)をお祭りしてある「春日山不空院」も女人救済の寺。 縁結びと縁切り、どちらの願いもかなえてくださるという。
奥に吉備塚古墳 横の木に触ると祟りがあるとの言い伝えがある。
崇道天皇社
崇道天皇とは光仁天皇の子 早良王(さわらおう)の追号 兄に無実の罪を着せられ無念の死を遂げた早良王の怨霊のたたりが兄 桓武天皇や父光仁天皇を苦しめたらしい。
跡目争いや勢力争いで陰謀が渦巻いていた時代、天変地異や疫病や不吉なこと。これらは怨霊の祟りと考えられ、それを鎮めるために建てた神社も多い。
言われてみれば奈良町周辺は鬼だの怨霊だのが渦巻く怖いところだった。
奈良のサクラも真っ盛り。 猿沢池
「52段」 「六道の辻」にも仏教にまつわるいわれがある。
帝の寵愛が衰えたのを嘆いて入水した采女の霊を鎮めるために建てられた「采女神社」 采女は自分が身を投げた池を見るにしのびず、一夜にして裏向きになったとか・・
率川の中州の船に乗った「率川地蔵尊」 幕末の河川工事で見つかった地蔵さま達が一堂に集められた。ここは伊勢街道の基点の場所でもある。
無実の罪で殺された道祖王(ふなどおう)の怨霊を怖れて建てられた「道祖神社(どうそじんじゃ)」
その名もあやしげな「不審ヶ辻子(ふしんがつじ)」はこの辺りで追いかけた鬼を見失ったことが町名の由来
「瑜伽神社(ゆうがじんじゃ)」 飛鳥から平城遷都と共にこの地にうつされ、元興寺禅定院の鬼門除けの神社となった。この辺りは奈良の飛鳥。 右)南は飛鳥の方角 ここに立って詠んだのか、坂上郎女の「故郷の明日香はあれど あをによし 奈良の明日香を見らくしよしも」の歌碑が建っている。
頭塔(ずとう)
方形の7段の土頭 ピラミッドのような珍しい形。44基の石仏が設置されている。
南半分は発掘前の現状保存で木が繁った状態。 北半分は復元して保存
土塔から頭塔になったらしいが、奈良時代の僧「玄の首塚」との伝説がある。
玄は奈良時代の高僧で、遣唐使として唐に渡り、帰国後も聖武天皇に寵愛されたが、横暴が過ぎて反発を買い、左遷させられて任地で急死。恨みの籠った体が奈良に帰り、首が落ちたところがここ。腕(かいな)は肘の塚、胴塚 眉目塚、とご丁寧に体の各部が落ちた所が地名として残る。
玄を討とうとした藤原広嗣も捕えられ斬られ、その怨霊を鎮めるために神として祀った「鏡神社」
淡い色のモクレン 怨霊の世界からちょっと放してくれた。
女人守護の神を祀る赤穂神社
不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん/ふくうけんじゃくかんのん)をお祭りしてある「春日山不空院」も女人救済の寺。 縁結びと縁切り、どちらの願いもかなえてくださるという。
奥に吉備塚古墳 横の木に触ると祟りがあるとの言い伝えがある。
崇道天皇社
崇道天皇とは光仁天皇の子 早良王(さわらおう)の追号 兄に無実の罪を着せられ無念の死を遂げた早良王の怨霊のたたりが兄 桓武天皇や父光仁天皇を苦しめたらしい。
跡目争いや勢力争いで陰謀が渦巻いていた時代、天変地異や疫病や不吉なこと。これらは怨霊の祟りと考えられ、それを鎮めるために建てた神社も多い。
言われてみれば奈良町周辺は鬼だの怨霊だのが渦巻く怖いところだった。