午前中は飛鳥駅から岩屋山古墳を見て、牽牛子塚へ。
小雨が降る中出発。
岩屋山古墳
岩屋山古墳 きれいな切石が積まれた石室
古墳時代終末期の古墳
2段築成で下段は方墳 上段は八角墳かもとのこと。
斉明天皇の初葬墓との説もあるのだとか。他説もあり。
墳丘の上の桜に付いたヤドリギはすっかり葉に隠れていた。
牽牛子塚古墳
前からあった古墳だが、発掘調査(2009年~2010年?)で、八角墳であることが判明。
当時としては最上級の棺である夾紵棺片や七宝性亀甲型金具やガラス玉などが出土。
牽牛子塚古墳に接して1辺約10mの方墳と思われる古墳も見つかった。
地名の大字と小字から「越 塚御門古墳」とされた。
飛鳥時代の天皇陵の特徴とされる八角墳であることや出土物など。
日本書記天智天皇6年の項に「2月、斉明天皇と間人皇女を合葬した小市岡上陵の 陵前に大田皇女を埋葬した」と記された内容と合致することなどから、牽牛子塚古墳の被葬者は「斉明天皇と間人皇女(斉明の娘)」「越 塚御門古墳」の被葬者は大田皇女(斉明の孫)の可能性が高いとされている。
墓誌などのはっきりした証拠がないと確定できないのだとか。
宮内庁は高取にある(越智岡山上陵 車木ケンノウ塚古墳)を斉明天皇陵と比定している。
牽牛子塚古墳 修復されてから初めて来た。
まわりにそぐわないような雰囲気だが、これが「築造当時の姿」だそうだ。
遠くから見ても輝くような白さだ。
階段を登って中を覗く。
横口式石槨は2室に仕切られ墓室は2室設けられている。
私が一番最初に牽牛子塚を見たのは、中学生の頃。
先生に連れられてきた時のことを今も覚えている。
修復前は、自由に中が見れたが、今は、申し込み制で、土日祝日に有料のガイドツアーをやっておられる。
越塚御門古墳も覗いたがよく見えず、中のビデオ映像も見にくかった。
私としては、斉明天皇が可愛がって自らの陵への合葬を望んでいたという健皇子(斉明天皇の孫)も合葬してあげてほしかったなあ。
真弓鑵子塚古墳
前のこんもりしたところが 真弓鑵子塚古墳
中は見れないので墳丘をここから見る。
昔、現地説明会(2008年?)に来た時、横穴式石室を見た。
入口の反対側にも穴は通じていて、抜けられそうだったのを覚えているが、ネットで見てみると元々は奥には穴は開いていなかったらしいことを知った。
公園館でお昼。
午後は「鬼の雪隠(石棺の蓋)・鬼の俎(石棺の底石)」を見て・・
平田梅山古墳(欽明天皇 檜隈坂合陵)へ
明日香村唯一の前方後円墳 長さ140m 3段築成らしい。
周濠
欽明天皇 檜隈坂合陵 正面はどこも同じ。
そばにある吉備姫王墓
猿石といわれる石像。
女・山王権現・法師・男 それぞれ名前がついている。
石像は欽明陵の南側の田の中から見つかり、何度か置き場所もかわっているらしい。
飛鳥駅で解散となる。