みどりの野原

野原の便り

9月28日 比叡山 ミカエリソウ堪能

2012年09月28日 | Weblog
比叡山 と言ってもロープウェイやケーブルを使っての楽々登山だ。
天気は上々。下界は暑い。山の上は涼しいかな?


ケーブル駅へ行く途中の川?に白い花が点々と。オオカナダモか?


叡山ケーブル 傾斜が急なのに驚いた。最大傾斜度28度 ケーブルでの高低差は561mで日本一とか。
1300mを約10分で比叡山7合目にあたるケーブル比叡駅に到着。

ここからは散策

さっそくエゾビタキやコガラ・オオルリ♀が現れる。

アカメガシワの木の中にメジロやオオルリ♀など数種が出入りして賑やかだった。

比叡山は去年京都1周トレイルで友達と歩いた所。 見覚えのあるところを懐かしく歩いた。

 
   スキー場跡のススキ   ノリウツギ 枯れた花はそのまま残り、両性花は実になっていた。

 
真っ青な空にサシバが5羽次々と渡って行った。    
                右)下に見える町は大原の里のようだ。
ヨシノアザミや綿毛になったダンドボロギクが目立つ。

山王堂院には「天然記念物比叡山鳥類繁殖地」の石碑あり。以前にはキビタキやサンコウチョウやアカショウビンもいたそうだ。
ここから東塔の方へ。

 
ミカエリソウ見頃 今年はまだ蕾しか見ていないのでうれしい。喜んでいたらチョウチョがひらひら飛んできてミカエリソウに止まった。アサギマダラだ。大人しく写真に収まってくれた。しばらく行くと大群落。ミカエリソウを堪能した。
葉はあまり食害されていないので美しい。


その代わり巻いた葉があった。葉巻き虫?

 
アキアカネ ここの虫達は人を恐れないのか接写にも応じてくれた。 右)捕まえたニシキリギリス

延暦寺は京都に平安京が開かれた時、都の災いをさけようと京都の鬼門(東北隅)に当たる比叡山に建てられたという。

東棟へ。
 
  阿弥陀堂(昭和12年再建)       東塔(昭和62年再建)


根本中堂(国宝)中を見学 暗いお堂の中の祭壇の前に1200年間守り継がれている「不滅の法灯」が。

山王院に戻り、西搭へ。

 
二つのお堂をつなぐ「にない堂」をくぐり     延暦寺に現存する最古のお堂「釈迦堂」

 
    アケボノソウ      トリカブト

  
ヨシノアザミにコアオハナムグリ        ブッドレアにツマグロヒョウモン

帰りは頂上までバスに乗り、ロープウェイ~ケーブルと乗り継いで下山。
久しぶりのメンバーと反省会。
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9月27日 金剛山麓 場所を変えて

2012年09月27日 | Weblog
今日も秋らしいさわやかな一日だった。

 
      ヨメナ   ナギナタコウジュ蕾 フトボナギナタコウジュかもしれない。

 
ウワバミソウ ムカゴが付いていた。  ヤマミズ  

 
ジャコウソウ 香りはしない     アキギリ

 
    ツクバネ実   右)ヤマガシュウ実(シオデかと思ったが帰って写真を見たらトゲがあった)

 
ツルニンジン(ジイソブ)あまりに見事なのでもう一度  
     右)モミジカラスウリ実 雌雄異株 葉はよく見るが実はあまり見かけない。

 
フジカンゾウ節果 普通2個だが3個のもあったよ。 
                右)アカバナ 花が残っていた。

 
カラスノゴマ 花が残っていた。(マゴ・ゴマ・・マゴマゴしそう) 
               右)カマツカ実 赤くなってるのもあった。

 
エダナナフシ(触角が長い)    ナナフシモドキ(触角が短い)

 
  菌に侵されたバッタ?  右)コアカソに付いた虫こぶはアカソミトゲフシ? クリのイガのよう。

今日の場所で見たものがよく行く場所(9月25日ブログ)で見かけなかったり、向こうにあってこちらにないもの。
場所が変わると又植生も違うのを実感。
写真は先日のとあまりダブらないようにした。
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9月25日 秋の花満開 金剛山麓

2012年09月25日 | Weblog
1か月ぶりの金剛山麓 先日までの暑さがうそのようなさわやかさ。

 
    ツリフネソウ群落        ヒヨドリジョウゴ

 
イタドリの果実 白と赤 赤いのはメイゲツソウなんて言われるらしい。

 
     ガマズミ            ツリバナ

 
     メナモミ        コメナモミ

 
オタカラコウにヨシノアザミ・ミゾソバ・イナカギク・ツリフネソウの混じったお花畑 
                 右)ツルニンジンの立派な花

 
シラネセンキュウ(シャクって言ってしまいましたがシャクは春咲きです。訂正します)
                 右)イナカギク

 
      ミズヒキ        アキチョウジ    

 
初めて見つけたオオカモメヅル     ネバリタデ


これもヨシノアザミ? 背丈を越すひと株

まさに秋本番の山麓だった。
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9月24日 カワラバッタ きれい!

2012年09月24日 | Weblog
木津川周辺で昆虫観察

途中の公園で早くも次々と虫が見つかる。
 
こんなところで ノコギリクワガタ   コクワガタ
アオドウガネ・ヒメコガネ クロメンガタスズメの幼虫やキマダラカメムシ、ヤマトシジミやムラサキシジミなど。

堤防から河川敷へ

ジャコウアゲハ などチョウやガの仲間、バッタの仲間、カマキリの仲間、クモバチの仲間・・チョウは翅が傷んだものが多かった。

 
ハグロトンボの翅 よく見ると何と美しい翅の筋 縮小写真では見えない・・

 
ショウリョウバッタの胸 すごく硬い。 トノサマバッタも共に胴体着陸をするからだとか。 
右)エンマコオロギの顔 どこが閻魔なんだか。  

 
大きなお腹のオオカマキリ これは卵があるのか? ハリガネムシがいるのか・・お尻を水に浸けてみたがハリガネムシは出て来なかった。 右)クルマバッタモドキ 

今日の最大の目的はカワラバッタを見ること。
河川改修などで砂浜を持つ川が減ったため生息できなくなり絶滅危惧種になっている。

メンバーが見つけてくれて見せてもらい写真も撮った。
でも自分で見つけたいなあ。石ころの河原を歩きまわっていたら、足元から何かが飛び立った。青い色が見えた。
近くにいる人に「捕って~」 網で捕まえてもらった。

 
カワラバッタ 後ろ羽根のブルーのなんと美しいこと。自分で見つけたのでいっそうきれいに見える。 右)石に止まれば保護色となって見つからない・

 
カワラヨモギ これが生える環境がカワラバッタにも望ましい。 
     右)オオフタバムグラがたくさんあった。砂浜の写真撮り忘れた。

 
    キマダラカメムシ     ヒメジュウジナガカメムシ
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9月23日 大淀 今木周辺

2012年09月23日 | Weblog
楽しみにしていた会。霧雨の中集合駅まで行ったが、午前中の降水確率70%。誰も来ない可能性が高い・・
せっかく出てきたので、1人で吉野あたりでもぶらつこうか・・降りた電車に又乗り込んだ。

知ってる人が乗っていて、福神駅からフリーハイキングがあるよという。じゃあそっちにと急きょ決定。

地図をもらって出発した。雨は霧雨程度でたいしたことはないが、少し肌寒い。

 
橿原では見かけないセンダングサがここには多い。 右はコセンダングサでいいのかアイノコセンダングサと言うか。

 
薬水八幡神社の近く、民家の横の「薬水大師堂」裏手に「弘法の井戸」と言われる井戸が。この井戸が「薬水」という地名の元になったところ。柄杓が置いてあってお水を一口いただいた。

 
レンガ造りの眼鏡橋「薬水門」1つは道路が通り、もう一つは用水路が通っている。
 右)のトンネルの壁に明治45年に鉄道敷設工事が行われた頃の写真が貼ってあった。工事に携わる人が和服姿だ。

吉野軽便鉄道は吉野鉄道となり、今は近鉄吉野線となっている。

 
畦のヒガンバナも満開  コンクリートの歩道の隙間のクルマバザクロソウ

 
「水泥北古墳」は民家の敷地内にある。立派なお屋敷の裏手に案内された。
両袖型の横穴式石室 石棺などは残っていないが6世紀中ごろの築造だとか。
前にも1回入れて頂いたことがあるが、今日は町と共催のようなハイキングで又見学できた。
 
ここからすぐ近くにあるのが「水泥南古墳」 中を覗くと奥と手前に1基ずつ家形石棺が並んでいた。

南北合わせて国の史跡に指定されている。

途中曽我川を渡る。龍門山地を源流に、この辺りを通り、北へと流れ、家の近くを通って下流で葛城川・高田川を合わせて北流し大和側へと注ぐ。
「(右)かうや(高野) (左)大峯」と書かれた道しるべが残っていた。

「眼鏡橋」・「道しるべ」のことを教えてやろうと帰ってから子供に地図を見せたら「眼鏡橋」行ってきたか? 
道しるべは中街道・下市街道と交わる所に立っていて交通の要衝だったことや、曽我川のことや鉄道のことなど反対に教えてもらうことになった。

 
板作りの階段を登ったところに「保久良古墳」があった。聞いたことがないなあと思っていたら。今年6月に発掘されたばかりという。中を覗けば向こう側に抜ける灯りが見えた。
上にも登れるというので後で登ってみたら果樹園の中に小さい口が開いていた。

飛鳥時代の女帝、斉明天皇が可愛がっていた孫(中大兄皇子と越智娘の子)「健王」(8歳で亡くなった)の もがり塚(遺体の仮安置場所)と伝わっているそうだ。

そばの民家の庭先に発掘した時の様子の写真パネルが展示されていた。今日は学芸員さんの説明付きだ。
調査の結果7世紀前半の円墳とわかった。石棺の破片らしい石や鉄の釘、琥珀玉も1つ出土したそうだ。
古墳の外側の列石、琥珀玉の出土など吉野地方では他に例がないらしい。

そこで健王の創作ファンタジーの物語「かぜの子たけちゃん」を朗読をされていた。健王の気持ちになり、地元の人の愛情も感じるすばらしい朗読だった。

坂合黒彦の墓などを見た後、天狗山泉徳寺へ。ここは役の行者創建の今木寺(廃寺)の子院だったらしい。
そばの「今木権現堂」へ。初めて来た。


権現堂への階段前に1対の石灯籠がある。普通は神社にあるものだ。 今木地区の神仏習合の名残を示す貴重なものらしい。

 
風情のある階段を上がると「仁王門」木造の金剛力士像は江戸時代初期のもの。


更に石段を上がったところにお堂があったが、そのそばの石仏群(写真右)が珍しかった。

 
途中の田んぼの縁にヒロハスズメノトウガラシの群生。 右)オモダカの花

その後、途中の公民館でお弁当を食べて、駅まで戻る。
途中まで一緒になったり離れたりしていた人とも途中で離れてしまったが、昼前から雨もやみ、「保久良古墳」「今木権現堂」など珍しい所を歩けてコース変更は正解だった。

 
   サネカズラ雄花     エアポテト(巨大ムカゴ)
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9月22日 寄生虫

2012年09月22日 | Weblog
「寄生虫を好きになって帰ってください」と講師は言われるが・・「寄生虫」はあまり気持ちのいいイメージではない。
以前、お隣のご主人がピンセットで金魚に寄生したのを捕っておられたイカリムシ。
ハラビロカマキリのお尻から出てくるハリガネムシ。昔は人のお腹にも寄生したカイチュウやサナダムシ(見たことはないが)これらは私が知っている寄生虫。
特に自分に害がなければ関心も薄い。

先ずは寄生虫の定義から。
医学でいう時と、生態学で言う時では定義も違う。また広義に言う時と狭義でも違うらしい。
今日は主に「一般的に主に魚などに寄生する多細胞の動物」としての寄生虫のお話。
まだまだ解明されていないことも多いとのこと。

一口に寄生虫といっても、ミクソゾア動物・扁形動物・線形動物・鉤頭動物・節足動物など多岐にわたる。

中間宿主(第1宿主また第2宿主など)~終宿主など生活環の中で宿主が必要なもの。
終宿主だけを必要とするもの。宿主は必要としないものもいる。
生活環が複雑なものが多い。

寄生虫はすべて悪いかといえば、必ずしも宿主にとって敵ではなく、ほとんどのものが無害の居候型。
中にはイカリムシのように、魚を弱らせるものもいる。(魚にとって敵)
又、条虫(寄生虫)とイトヨ(魚)の関係のように、条虫に感染したイトヨは非感染のものより警戒心がなくなり、終宿主であるカモメに捕食されやすくなるという。

前に昆虫に寄生する虫の展示で見た「寄生虫が宿主を都合よいように操る」というのを思い出した。

中には重金属を蓄積するものがいて環境によっては「味方」になりうるものもいるらしい。
とにかく寄生虫は特別な存在ではなく、ごく普通にいるものだと言われる。

日本からトキが絶滅した時、トキを宿主とする寄生虫トキウモウダニも絶滅した。
中間宿主のないトキは中国から迎え入れるとダニも復活(2種類の内1種類が見つかったそうだ)

又、ヤマメに寄生していた寄生虫は別の河川から持ってきたヤマメには寄生できなかったという。
無秩序の放流・人為的撹乱は寄生生物にも影響を与える。

そして、寄生虫を保全しようと思えば「宿主も含めてすべてが健全に生息できる環境」が必要なんだということもわかった。

日本のレッドデータブックの中に寄生虫も入っているのも初めて知った。

「生物の多様性の保全が目的ならすべての種が考慮されるべき。寄生虫にも等しい権利を!」とどこかに載っていたらしい記事を紹介された。声なき寄生虫に代わる声?

寄生虫が絶滅したって影響ないと思っていたが、人と虫の関係と同じくみんな地球の住人なんだと少しは理解できた。

むつかしい話も多かったが、寄生虫側にたった話がおもしろかった。
「寄生虫が好きになる」ところまではいかなかったが・・。
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9月21日 正倉院整備現場 見学

2012年09月21日 | Weblog
友達が申しこんでくれて当選したというので、正倉院の修理現場を見学してきた。
主人も申しこんだようだが「外れ」で、残念がっていた。聞くと4倍もの申し込みがあったそうだ。
そう思えば見学できたのはラッキーなことで、申しこんでくれた友達に感謝。

さて、有名な正倉院だが、恥ずかしいことにしっかり見たことはなかったのでいい機会だった。
受付には身分証明書必要で、「私の代わりにお父さん」とはいかない。

正倉院正倉は『奈良時代創建の東大寺の倉庫の1つ』だったが今残るのは正倉院の1棟のみだそうだ。
聖武天皇の遺品を治められた「北蔵」・その他の宝物を収めた「中倉」・「南倉」
宝庫は3室に仕切られ中で行き来はできない。
特に北倉は開けるには天皇の許可が必要で、後に中倉・南倉も勅封倉となった。
今は宮内庁の管理となり宝物は大切に保護されてきた。国宝に指定されている。
奈良の文化財の1つとして世界文化遺産でもある。
宝物は現在は正倉の他に東西2つの2つの宝庫に分けて保管されている。

 
      正面から入る。   高床式・校倉造 通気がよく宝物の収蔵には適していた。

屋根瓦が外される様子などのビデオを見た後、階段を上がる。
3つの部屋が目の前に。
南倉と中倉は扉は閉じられ、北倉だけが開いていた。

 
中倉の海老錠 天皇の書かれたものが封入されているらしい。 右)海老錠の見本。中倉のみ校倉ではなく、板壁

 
北倉は中を見れた。 手前の階段・奥の白く見える柱は後年のもの。古いハシゴは蹴込みの狭い手すりのないものだ。 

右階段を登る。

 
工事中、風雨から保護するための素屋根が覆っている。 目の前に見る屋根は大きい! 

この階では屋根の構造や瓦についての展示があった。


小屋組みの模型  建築用語が並ぶ 
 
古代の瓦の作り方

 
「樽巻き作り」樽形の成形台の周りに粘土を剥がしやすくするための布を巻き付けた上に粘土板をぐるっと巻き付け叩き、4枚に縦割り。 その後変わった「1枚作り」は布を敷いた形に粘土を付け、縄を播いた棒で叩き締める作り方。

 
そのように作られた瓦には布の形、縄の形が付く。その後の瓦は布目や縄目が削られたりしてなくなったりするので、その特徴を見れば製作年代がわかるらしい。天平の瓦には木型の跡や布目や縄目があるそうだ。

 
「鬼瓦」と「鳥衾」 「南西の2の鬼瓦 慶長8年(1603年)」などと説明書きがある。。瓦の横にへら書きが見えた。
「鳥衾」は鬼瓦の上に取り付けるものらしい。鳥の衾?鳥の布団?どう言う意味か尋ね忘れた。
調べてみたら、『「鳥休み」「雀瓦」とも言い、鬼瓦に鳥が止まったり糞をかけたりしないようにするため、鳥の止まる場所として作られたもの』だとか。なるほど~。


鬼瓦に鳥衾が乗った写真が展示されていた。

少し降りたところは屋根の周りを1周できるようになっていた。
手が届く距離に大屋根がある。大迫力。 丸瓦・平瓦や土が取り除かれて今は全面板がむき出しだ。
その板屋根も西側は東の面よりも板のササクレが目立つ。

降ろした瓦は使えるものは利用し、傷んで使えないものは天平の瓦を参考に新たに作られるそうだ。
半数は作り替えになるらしい。尋ねると、古い瓦は日当たりがよく風通しの良い南・東に集めて葺くとか。
ここでも姫路城と同じで平群の瓦屋さんが製作されるらしい。すごいな。

 
曲線が美しいが瓦を葺くのは難しそう。 西北の角は銅板が貼られていた。大正の修理の時のものらしい。 

創建当初から何回も修理され、大正の修理では全面解体修理が行われたという。それから100年経っている。 
 

宝物が納められている宝庫の1つ東宝庫

まじかに見た屋根は迫力満点だった。
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9月20日 しまなみ海道 ① 向島~因島大橋手前

2012年09月19日 | Weblog
琵琶湖1周がまだ終わっていないのに次のウォーク開始。

難波からバスのツアー。定員いっぱいの44人。


歩き始めは県道? 車は時々通るだけ。

気候も良くなってきて歩きやすい。
  
向島大橋が見えてきた 向島(左)と岩子島(いわしじま)右を結ぶ 橋の下をくぐった。

 
海の景色はうれしい。やっぱり「海や~」と言ってしまう奈良県人。 ドーナツのような岩


家の前になつかしいヘチマたわしが干してあった。 懐かしいな~の声が他からも聞こえてきた。

植物も家の近くとは違いを感じる。

 
シロノセンダングサ       カワラヨモギ

 
ヒメクマツヅラ 群生。ほとんど花が終わり穂が伸びていた中に若い株が1つ。花も咲き始めだった。

 
エビヅルがたくさん実をつけていた。 エビヅルもノブドウもまだ色づいていない。

 
 因島大橋  2階建ての道路になっているらしい。今日のゴールはこの橋のたもと。

今日は平坦な道ばかりのらくらくウォーク

次回はこの橋を渡る所から。

バス往復8時間 ウォーキング2時間 家から集合地までの時間もあり、時間だけ考えるとバカバカしいが、なかなか個人では来れないので、この機会に歩いて見ようと思う。
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9月17日 長柄周辺&温泉へ

2012年09月17日 | Weblog
昼ごろから出発、御所市長柄あたりを少し歩いてから「かもきみの湯」へ。

今は国道24号線となっている下街道を横切り、旧水越街道を西へ。

 
ウマノスズクサ 繁っていたけど花はなし    ジュズダマ

長柄神社
県の重文となっている。
 
エノキ・クスノキ・ムクノキなどの大木

この辺りは長柄集落
水越街道旧道(東西)と長柄街道(旧高野街道)(南北)が交わる。ハイキング道 葛城古道でもある。

江戸時代宿場町として栄えたところ。

 
明治時代の建築という「元郵便局」の建物。 右)国の重文「中村邸」などがある落ち着いた街並み。
造り酒屋を過ぎてしばらくは周りは田畑。

分岐を東へ上がる。


ふと振り返ると町が下の方に見える。

もう少し歩くつもりだったが、雲行きが怪しくなってきたので、違う道で戻ることに。

近くから見た 左金剛山) 右)葛城山 真ん中のへこみが水越峠だ。

 
ヒガンバナ ひとところだいぶ咲いているところがあった。 
    右)ジネンジョの畑 「前にも見たけど何かと思っていた」と町住まいの娘。


田の縁のクログワイ もう芋は出来ているのかな? 前に見た小さい芋を思い出した。
バリで売ってたのは大きかった。

古道や道標に興味のある息子は知られていない道標を見つけたと喜んでいた。町屋に興味のある娘は古い街並みや建物を盛んに写真を撮っていた。花や草に興味のある私はあぜ道で、こんなところにハシカグサがあるとか、クログワイの葉を割って中の仕切りを見たり・・一緒に見たり、待ったり待ってもらったり。

道標で当麻のことを「たへま」「たえま」などと表記されているのを知った。

この後、天然温泉 かもきみの湯 でゆっくりと汗を流してさっぱり。
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9月16日 岸和田のだんじり 見た~

2012年09月16日 | Weblog
どこかへ行く?娘からの誘いに岸和田を思いついた。

今日が本宮だ。
何も下調べせずに来たが、駅前でも見られるようで、駅もすごい人だ。

もらった地図には曳行ルートが書かれていて見られる範囲は広そう。

お昼を食べて、商店街を歩く。
ほとんどの店は今日は休業。二階の窓のガラスを取り払い「だんじり見物席」特等席だ。 いいなあ。

  
商店街にあった「洋裁コシノ」違う通りにはテレビドラマの衣装などを展示したところもあった。   右)店先で売っていた祭りの足袋


寄付金の看板もところどころに。

見やすい場所にはすでに大勢の見物客が席を占める。
曲がり角からは少し離れたところに隙間を見つけてもぐりこみ、だんじりを待つ。

どこもここもロープが張られ、警備の警官がおおぜい規制にあたっていた。
道路にはみ出しているとすぐ注意を受ける。通れない所もある。
だんじりを曳くには広い幅が必要で、特にだんじりが曲がる曲がり角近くでは特に広く場所を開けないと危険だ。

遠くから太鼓の音が聞こえてきた。
おおぜいのはっぴを着た人が通り、それに続いてだんじりを曳く人、続いてだんじりが来た。
そして、少し間をおくようにひと呼吸 そして合図でどどどーっと角を曲がる。その勢い。テレビで見たように屋根の上では右から左へと飛び移るパフォーマンス。 すご~い。
残念ながら、曲がり角での様子は全く見えないがだんじりの大屋根の大工方が屋根を飛び移るのは見えた。かっこいい。
持ったウチワは格好だけのものではなく合図に使っているらしい。
あれだけ高速で角を曲がるには相当の技術?大勢の息合わせ?などが必要だろうと想像する。

その間あっという間。 

街灯や信号があり、そんなに広くない角でも勢いよく回るのでハラハラした。

 
 
 
向こうから来る時もなかなかカメラには収まらない。
いいところで警官が前に立ちはだかったり、人の手が写ったり・・動きのあるものはむつかしい。 
これといった写真は全く撮れなかった。

間をおいて次々とだんじりが通る。いったいいくつあるの?
後で入った店の人に聞くとだんじりは20個ぐらいあるという。

町内会毎にはっぴの色も衣装もも少しずつ違う。
若者の法被姿はかっこいい。 子供達の法被姿も可愛い。
見物の子供、ベビーカーに乗った幼い子も祭り衣装を着せてもらったりして。町中がだんじり祭り一色だ。
若者の法被姿はかっこいい。 子供達の法被姿も可愛い。
見物の子供、ベビーカーに乗った幼い子も祭り衣装を着せてもらったりして。

それにしてもこんなに若い人が大勢いるものだ。町内総動員なのだろうが。

 
休憩中のだんじりの上で篠笛や太鼓をたたいている。子供も立派な一員。
小さい子・少し大きい子・青年・大人・・みな役割があり、次々と引きついで祭りもずっと続いて行く。すてきだなあ。


だんじりに取り付けられた旗 立体の刺繍が豪華

 
だんじりの彫り物 物語になっているのかな。

 
網の中を覗くと細かい彫り物がいっぱい。

途中でデジカメの電池切れ(予備電池はいつものカバンの中)という失敗もあったが、見た見た生のだんじりを。
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