東の山がかすんでいる。
途中のヤドリギがいっぱい付いた木。
鳥の姿は見えず。
水口神社(みなぐちじんじゃ)近くに駐車
天理 景行天皇陵へ行ってみた。水鳥は少ない。
マガモの群れ カイツブリ 他の水鳥は見えず。
葛城市の池へ。
ミコアイサを見ることができた。
雄雌2番が仲良く泳いでいた。
この池の周りは高い草が繁り、池を見る方にとっては見にくい。
水鳥にとってはそれだけ安心できるのだろう。
年1回、友達が予約してくれるお店でランチ。
今年は平群にあるお店を予約してくれた。
平群といえば以前は毎年のように観察会に来ていたが・・
観察目的で来ていたので、お店の名も全く知らなかった。
駅から歩いて30分弱。
「キッチンらふ」お店の看板はなく、住宅街の普通の住宅。
ちょうど予約時間に到着。
2組?限定で、先に予約した客の希望で、その日の和・洋・中 の料理が決まる。
今日は中華料理だった。(予約時にわかります)
お料理作りも運んだりするのもオーナーお1人でやっておられる。
もう一つのグループとは互いに見えない間取りで、個室感覚。
中華がゆと焼売など。奥の緑色はカツオ菜という野菜で巻いてある。
なじみのない野菜だった。
おかゆ大好き。よく食べたが、3人で食べきれず。
あとの2皿は食欲に走り、写真の撮影をすっかり忘れた。
肉と野菜の炒め物など。
デザートもおいしかった。
久しぶりに会ったのでおしゃべりが弾んだ。
帰りは少し歩くことに。
弥勒堂
平安時代前期の高僧で、法隆寺夢殿の再興に努めた「道詮律師」が開創した福貴寺がこの辺りにあったが、現在は弥勒堂と鎮守白山神社が残る。
鎮守の森を少し登った所に近世の供養墓が祀られている。
森の中の 石塔と宝篋印塔
ハランの根元に果実
花を見たことがないという友達。花を探したがなかった。
尾根まで登り、左へ下った。
帰り道、無人販売所が2か所あり 大根・カブラ・チンゲンサイ・サトイモ ネギなど買う。
野菜高騰のおり助かるわ~。主婦の顔に戻る。
下ってから喫茶店で、次回の約束をして別れた。
娘が帰ってきた。
先日、屯鶴峯に行った時「こんな岩山、ここしかないよな」というので「桜井にも似たような所があるよ」と話したのだった。
そこへ行きたいというので、また3人で行くことになった。
白山(しろやま)読み方を知らなくて「はくさん」と言っていた。
子供が小さい時、折り込み新聞の片隅に写真が載っていたのを見て、子供を自転車に乗せて、上の子はたぶん自分の自転車で行ったのではなかったか・・
末の娘はまだ生まれていなかったかと思う。
ずいぶん昔の事だけど覚えている。
今日は、車で出かけることになった。
地図を見ていたら豊前(ぶんぜ)という所に「白山神社」がある。
そして、少し離れているが黒崎には「白山神社(白山比咩神社)」がある。
関係あるかどうか知らないが、「白山」つながりで3か所の「白山」に行くことになった。
①「白山神社」(桜井市豊前)
鎮守の森 ここに白山神社がある。
拝殿 祭神:白山姫命 創建由緒等不明とのこと。
ここは初めて来た。
象頭山灯籠・大神宮灯籠
木立に囲まれた静かな神社だった。
次に向かう途中の田んぼの中に「JAL」
降りて見に行く。 向こうの家のそばには大きな「キリン」
近くにちょっと壊れたトリケラトプス
どこかの公園にでも置かれていたものか?
いよいよ「白山(しろやま)へ」
169号線、巻の内交差点を東へ。広くはないが舗装の道。
だんだん山手に。
山道をだいぶ入った所にある「口の不動」
上の写真の左側は、道標だ。「左口の不動」
屋根の下 左の石には不動明王の線刻
ライトで照らしてくれたので線刻がはっきり撮れた。
その右側の小さい石に「剣」が刻まれていた。
その右側は「庚申塔」
少し先の分岐を右へ。
←のところには自然石の道標があるらしいが、草に覆われて見えない。
『正面(西面)には大きく「右 不動寺 白山道」、その左下には小さく「左 名張道」の文字が刻まれている』
奥不動寺への参道
車1台が通れるぐらいの山道で、きついカーブもある。
対向車が来たらどうする?
「奥不動寺」に到着。駐車場の端に停めさせてもらう。
駐車場の横から白山へ。
登り始め。
登り
フウフウ・・ 白い岩山が見えてきた。
白山(しろやま)
見た目は屯鶴峯に似るが、屯鶴峯は堆積した凝灰岩。
一方、白山は、花崗岩の露頭が風化して白っぽく見えているもの。
成り立ちが全く違う。
岩の間にアカマツが点々と生えている。枯れマツも目立つ。
平らな岩の上に出た。向こう側に切れ込んでいる。
カメラで全景は撮れない。記念に写真を撮る。
少し登れば展望がきく所があるらしい。
もう少し登ってみることになった。
最初は尾根道 歩きやすい。
所々にクロバイがある。
登る。
大石
三角点はないが「白山ピーク486m」テープの表示があった。
ピークから少し下った所。木の間から少し下界が見えた。
大岩の横を下る。
花崗岩の岩肌から剝離したザラザラの砂。その上に枯れ葉。
怖い・怖い・・
落ちてくる?私を下で待ち受ける息子。
落ち葉を除けてくれたり・・今回も2人に助けられた。
昔、子供と自転車で来た時は、もちろん、山を覗いただけで、山の上までは行かなかったけれど「こんな所までよう来たなあ」と娘や息子は驚いていた。
本当に。その時はな~んとも思っていなかったが、こんな山道を・・すごいなあ。若かったんだなあ。
山を下りて「奥不動寺」にお参り。
階段を登る。
奥不動寺 静かな境内
巻向山 奥不動寺 本堂 真言律宗のお寺らしい。
帰りの山道(参道)には「丁石」がいくつか残っている」という。
所々で停まって丁石を見る。
七丁の丁石 杉葉を除けてくれたら字が読めた。
しばらく下って・・
三丁の丁石 倒れた石に落ち葉がかぶる。
これも言われなければ気付かない。
二丁の丁石 埋まりそう。
そして・・途中のカーブで、まさかの対向車。しかも普通車・・・
こちらはバックの余地なし。
幸いにも、普通車がバックしてくれて何とか対向できた。ほっ!
国道に戻り、もう1か所、黒崎にある「白山神社」へ。
車を停めて、初瀬街道に入る。
この不思議な遺物は「黒崎 オガライト工場跡」 古代の遺跡のようだ。
製材で出た「おがくず」を資源として再利用するための工場だったようだが、火災が頻発して、昭和42年2月 全焼したらしい。
思い付きは素晴らしいと思う。上手くいかなくて残念だった。
初瀬街道 雰囲気が残る。
初瀬街道に面して、白山神社(桜井市黒崎)の参道入口がある。
白山神社の石標の向こうに鳥居が見える。
参道を進むと、国道165号線 その向こうに白山神社。
国道165号線によって参道が分断されているのだ。
国道を渡り、境内に入る。
白山神社(はくさんじんじゃ)白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)ともいわれる。
祭神 白山比咩命(しらやまひめのかみ)・菅原道真
「雄略天皇 泊瀬朝倉宮(はつせあさくらのみや)伝承地」の碑が立つ。
近年の発掘調査の結果、西に隣接する「脇本遺跡」が候補地とされている。
雄略天皇御製歌 万葉歌の巻頭を飾る歌。
「もよみ籠持ちふくしもよみぶくし持ちこの丘に菜摘ます児・・・」
ここには来たことがあるが、初瀬街道から入ったのは初めてだ。
花崗岩の「白山(辻)」と「白山神社(豊前)」と「白山神社(白山比咩神社)(黒崎)」3か所巡りも面白かった。
生駒 高山観察会
行ったことのない高山「茶筅の里」にも行くとのことで参加した。
学研北生駒駅で集合。
先ず、「高山は大都市の近郊にありながら広大な里山風景が広がり、豊かな自然生態系を保っている。その高山で、大規模な開発計画が進んでいる」「生物多様性や生態系サービスを活用するように提案できないか」のような説明があった。
今日はそのための現地見学のようだった。
参加者9人、駅から2台の車に分乗。
高山サイエンスプラザに駐車。
今日の見学地まで歩く。
山に囲まれた谷津田。山裾の道を歩く。
田んぼに獣除けの柵。どこも同じだなあ。
山裾の小川 いい雰囲気
道は狭いが、車の轍がうっすらとある。
・・と思っていたら、車が1台入ってきた。
元は田んぼだった? 湿地っぽい所に、ハンノキ?の林
進んでいくと、笹薮から獣道
道を隔てた所は「ぬたば」になっていた。
そばにはイノシシの捕獲檻。近くに許可証が取り付けてあった。
ショウジョウバカマ 群生。 春が楽しみな場所だ。
小川の縁にセキショウ。いい香り。
奥にちょっと開けた畑地?田んぼ?があった。
さっき通った車はここの方のようだった。
ここから引き返した。
冬枯れの時期で花の咲いた植物はなかったが、ヨシノアザミの枯れた果実やモチツツジ・ミツバアケビ・ナナミノキ・ツルアリドオシ・ヤブコウジ(実)・フユイチゴ(実)・コマツナギ・ジャノヒゲ(実)・コウヤボウキ・・などもあるいい道だった。
高山サイエンスプラザ(今日は休館日)の近くでお弁当。
近くで大きい建物建設中 騒音や振動を表す表示板が出ていた。
初めて見た。
高山サイエンスプラザ 写っているのはアインシュタイン。
建物の中に絵があるのかと思ったら・・
建物横の「科学する子供たちの広場」のタイルモザイクの絵がガラスに映っているのだった。
向こうに見えるのが 奈良先端科学技術大学院大学 だそうだ。
高山茶筌の里
高山竹林園 案内図
多目的広場へ上る階段や手すりなども擬木ならぬ「擬竹?」
見たかった「竹の寒干し風景」 初めて見た。(多目的広場)
高山竹林園資料館に入る。
茶筌いろいろ。
形状や竹の種類や流派により60種類以上あるらしい。
(ちゃせんは一般的には茶筅の字をあてるが、高山では茶筌と表記)
『高山茶筅は、室町中期、高山領主の次男宗砌(そうせつ)が、茶の湯の開祖 村田珠光 の依頼により作ったのが始まり』(ネット)
茶筌作りはハチク(淡竹・白竹)が適しているそうだ。
流派によっては黒竹や、囲炉裏のススで燻された煤竹を使用する。
竹製の編み針(孟宗竹)
花入れなどいろいろ展示されている。
茶筌作り工程のビデオを見る。
片木の作業 上編みの作業
茶筌づくりは竹の伐り出しから始まる。
冬の寒い時期に、2・3年の竹を切り出す。
切り出した淡竹を湯で煮沸し、油抜き。汚れも落ちる。
厳寒期に寒干し。1か月~2か月 天日干し。
(万遍に日が当たるように途中で竹を回転させるらしい(ネット))
その後、倉庫で1年以上寝かせさらに乾燥させる。
寸法に切り、いよいよ茶筌づくりに取り掛かる。
寸法に切った竹を
・片木(へぎ)
穂先部の先の方の表皮を剥き、大割包丁で半分半分に割っていく。
肉の部分を取り除く。
・小割
1片を大小交互に10分割、更に十本ほどに裂いていく。
・味削
穂先の部分を温湯で煮て台の上に乗せ、肉の方の根元から先になるほど薄
くなる様に削る。しごいて丸みをつける。熟練を要する工程。
「茶の味は味削によって決まる」といわれるのだとか。
・面取り
穂の1本1本の角を取る。
・下編み
面取りの出来た太い穂を1本おきに糸で編んでいくと、太い穂は開く。
・上編み
さらに2周糸を掛ける。
・最後に全体の姿を整える。
全国唯一の茶筌の里。
500年余り続く伝統工芸
今も変わらぬ製法はすべて手作業。
ひええ~~。これは機械では出来んわなあ・・
高山の茶筌の国内のシェアはトップクラスだとか。
高山の茶筌業者は現在16軒だそうだ。
私のお気に入りのイヤリング
超ミニサイズとはいえ、本物の茶筌と同じ作り方で作ってある。
何十年か前、高山の工芸士の方が作られたものを購入。
もう1か所へ移動
下ると池があった。ホタルも飛ぶという。
開発で住宅地になってこんな自然もなくなってしまうのは残念。
何とかよい方向になることを祈る。
駅まで送っていただいて解散した。
今日の日本書記講座
日本書紀はひとまず置いて、K講師による天孫降臨のお話を聞く。
しばし神話の世界へ・・
「天孫降臨」とは古事記や日本書記に記されている神話で(簡単にいえば)皇室の御先祖となる神が高天原( 神々が生まれ、住まう場所)から降臨(天降り)、葦原中国(地上の国)を治めていくお話。・・でいいかな。
天照大神以降の「神様の系図」を見ながらお話を聞く。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)ー 番能邇邇芸命(ほのににぎのみこと)ー 火遠理命(ほおりのみこと)ー 建鸕鷀草葺不合尊 (たてうがやふきあえずのみこと)ー 神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと=神武天皇)へと系図は続く。
それぞれの結婚の話や物語が描かれる。
日本書紀の神代下本文で、ニニギノミコトが天下る時に、真床追衾(まとこおふふすま)にくるまれて神格を得るという秘儀のお話も。
古事記と日本書紀では神様の名の表記も違うし、6通りものストーリーがあるという。
それは古い話に、物語に関わる豪族の功績などが後から付け加えられたりすることにも関係するようだ。
ちょっとむつかしかったが、神武天皇につながり、今の皇室にもつながる物語だと思えば知っておいてもいいかなと思った。
有名な「海幸彦山幸彦」の神話の主人公「山幸彦」は「古事記」では火遠理命(ほおりのみこと)、「日本書紀」では彦火火出見尊(ひこほほでのみこと)というらしい。
ホームに「高屋山上陵 天津日高彦火火出見尊(あまつひこひこほほでのみこと)徒歩30分の所にあるとの案内柱がホームに立っていた。
行っておけばよかったかなあ。山幸彦さんとのご縁がつなげたかも。
バスの時間を調べ間違えてしまって、駅から歩いて行ける甘樫丘へ行くことにした。
あまり見るものもないが、ウォーキングのつもり。
丈六の交差点で、提灯が・・
丈六地蔵尊のお祭の準備 お供え物が置かれていた。
ここにお地蔵さまがあったか? 気づいていなかった。
お地蔵さまの姿はよく見えなかった。
こんな季節に地蔵盆? 夜に子供たちが集まってくるのだろうか?
ジャノメエリカが満開のところがあった。
甘樫丘周辺で、アラカシのどんぐり。成熟時期が遅い。
アカメガシワ 冬芽
ニセアカシア 冬芽
イヌビワ 冬芽
ニワトコ 冬芽はほどけかけている
トイレ前のコンクリートの上にいたのは・・
ヒメツチハンミョウ と思う。 お腹の大きい雌。
青い金属光沢の体。短い翅は短く飛べない。
カンタリジンを出す危ないやつだとわかっているから捕まえませんよ。
天気が良くて影が濃いので、写真が撮りにくかった。
今日は昆虫はこれだけしか見なかった。
帰りも駅まで歩く。
シロバナタンポポとホトケノザ 春の野原。
セイヨウタンポポも咲いていた。
風もなく暖かいポカポカ陽気。
川辺だから寒いかと着こんだ上着はお荷物になった。
恩智川から池島遊水池あたりの野鳥観察会におじゃました。
恩智川(おんちがわ)は淀川水系の1級河川。
水の流れが緩やか過ぎて流れている方向がわからない。
右岸を南へ歩く。
恩智川は北流して、寝屋川に合流するそうだ。
何~んにもいないなと思っていたが、対岸にイソシギ。
コガモやマガモ・ハクセキレイなど。
マガモ・カルガモ 日が当たって羽根の色もきれいに見えた。
カワセミが川の上をス~~~ッと飛んで行った。きれい~~。
氾濫危険水位 避難判断水位 氾濫注意水位 などの表示板
川幅が広くなって湿地のようになってきた。
周辺にはたくさんの遊水池が設けられ、平常は市民に開放されている。
いくつかの遊水池は雨の降り方によって段階的に水をためるため。
これらを見ていると昔の人が川の氾濫でさぞ苦労されたことかとわかる。
川や遊水池や湿地は野鳥の生息地になっている。
コガモ 逆立ち採餌。
隠れ家になりそうな水辺。
クイナらしいものの姿はちらりと見えたが・・はっきり見たい。
階段を下りて遊水池になっている広場に降りる。
モズが枝先に止まって獲物探し?
広場で凧あげかと思ったら、ラジコン飛行機だった。
枯れたホテイアオイがびっしりの池。これは何とかしてほしい。
ダイサギやアオサギがいた。
何かの構造物の柵の上にいるのはチョウゲンボウらしい。
教えてもらって見ることはできたが、チョウゲンボウだか何だか・・
観察眼に感心する。
帰り道、今日はヌートリアを見ないと思っていたら・・
川岸に1匹いた。見ている分には可愛いものだけど・・
繁殖力が強く、野生化して各地に広がり、巣穴による畔の破壊や野菜への被害、在来生物への影響が強いとして、特定外来生物に指定されている。
元は、軍服の毛皮用にと海外から連れてこられ、戦後の食糧難には飼育しやすく、繁殖力が強いヌートリアは重要なタンパク源になると国をあげて養殖に力を入れ・・・
人間の勝手に振り回されている。
鳥合せでは26種+数種 記録された。
久々の京都府立植物園
少し早めに来て、午後からの講演の前にひと回りした。
ナルキッスス カンタブリクス スイセンの仲間 満開
スノードロップ 夜になると花が閉じ雫形になる。 見ごろ。
オオアブラギリ(シナアブラギリ)の冬芽。若い幹は緑色。
先日、うまく写真が撮れなかったので、今日は是非写真を撮りたい。
・・と頑張った。
バクチノキ 果実があったが、これは赤く色づいていた。
生態園に行かずに、あまり行かない半木神社の方を廻ることにした。
ロウバイ 満開 雌性期のよう。
水琴窟の音を聞こうと近づいたら・・
ヤマガラが水を飲みに来た。 慌てたが‥写真を撮れた。
この後、ヤマガラは草地を歩き回っていた。
シジュウカラやエナガも見れた。
ヤバネヒイラギモチ(チャイニーズホーリー・ヒイラギモチ・シナヒイラギ)赤い果実
老木のせいか葉の棘は少ない。
なからぎ神社にお参り。
『周辺の「半木の森」は園内唯一の自然林。開園以前からの植生を知ることができる貴重なエリアです』の看板あり。
林内に足を踏み入れることはできないが、カゴノキの大木があった。
カゴノキ 幹は鹿の子模様にはがれる。
イチイガシのどんぐりがたくさん落ちていた。
植物園外周から植物園会館の近くへ。
ヒマラヤスギ 球果がたくさんついていた。
何気なしに見ていたら「シマモクセイ」の樹名板が。(植物開館前)
見たかった木がこんな見やすい所に!うれしい。
キンモクセイと並べて植栽されていた。
2022.10.8 京都左京区黒谷町の「金戒明光寺」に連れて行ってもらった時、シマモクセイの大きい木があって「区民誇りの木」の札が立っていた。
材が固くて、ナタオレノキの別名があることも教えてもらった。
残念ながら花が終わったばかりで、ぜひ花を見たいとずっと思っていたのだ。
京都府立植物園なら来る機会もある。ぜひ花を見てみたい。
午後は、京都園芸倶楽部例会「厄除け・魔除けの植物」の講演。
疫病退散・魔除けの風習は。地方毎に大きく違い、その風習は急速に消えているというお話があった。
身近なところで見守ってくれている 屋根の鍾馗像・玄関の蘇民将来・角大師(知らない)・・
沖縄ではシーサー像(家の玄関の門柱の上にある)・三叉路の石敢當・玄関にヒンプン(知らない)・・
年中行事
初詣は氏神様で年越し。年越しそばを食べる。
2日と3日は、人の少ない神社へ行き、ゆっくりお参り。
注連飾りは2年前から省略している。(部屋にはいろいろ正月飾り)
お節は縁起のよい食材を使って作り、食べる。
七草がゆは、自分で採りに行って作って食べる。
15日には小豆粥を食べる。
節分の豆まき。豆は後で食べる。歳の数食べるのは無理になった。
柊と鰯を飾る風習は、昔は家でもやっていたが・・今は鰯を食べるだけ。
そして、恵方巻を食べる(たいてい娘の手づくり)
ひな祭り。小さいお雛様の飾りをあちこちに飾り、ひなあられやちらしずしを食べる。
端午の節句 家の中に飾りもの。柏餅は買ってきて食べる。
去年からショウブを採ってきて菖蒲湯を沸かして入っている。
お月見も買ってきた団子を食べる。ススキぐらいは飾る。
冬至はユズ湯を沸かす。
こうやって見ると、家では食べる風習は残っているようです。
私たちは、深く考えていなくても、いろいろと縁起や厄除けなどを取り入れて暮らしているものだと気づく。
節分の「柊と鰯」の風習は、会場の大勢の参加者の内、今もやっている人は数人だった。(京都の方)
節分の鬼除けは、ところによっては柊ではなく、トベラの葉を貼るところもあるそうだ。
鰯ではなく、ボラの幼魚イナやサンマの所もあるとか。
今治市ではタラノキにトベラを挿すところもあるらしい。
へえ~~の連続。
どちらにしてもこのような風習もだんだん見られなくなってくるのかも。
「雷避けにキササゲ」の話も。
見たこと聞いたことはあっても知らないことも多かった。
今日で阪神大震災から30年とか。月日の経つのは早いです。
でも、直接経験された方にとっては気持ち的にはそんなに遠い日にはなっていないだろうと思う。
他人事ではないと思いつつ・・
今日は用事があって大阪へ来た。
天神橋筋商店街
『大阪府大阪市北区にあるアーケード商店街。
天神橋を起点として、北は天神橋筋七丁目まで伸びる、全長約2.6キロの商店街。長さは日本一といわれる。
昭和レトロな感じ。いつも少ししか歩かないが、一度、端から端まで、2.6キロ、ゆっくりと、店も覗きながら歩いてみたいなあ。
いつもついでだが、大阪天満宮へ立ち寄る。
大阪天満宮 表門
大注連縄がかかる。
天井を仰ぎ見る。これは「方位盤」というそうだ。直径は164㎝もあるらしい。
東西南北と十二支の名と、そしてそれぞれの動物が彫刻されている。
変わっているのは 酉の位置に鶏ではなく鳳凰がいること。
これには
『方位の十二支は、北の「子(ね)」から始まり、東は「卯(う)」、南は「午(うま)」、西は「酉(とり)」となります。
ですから、西方には、本来なら「鶏」が据えられるはずですが、何故か「鳳凰」になっているのです。
その理由について、天満宮では、次のように伝えてきました。
──冤罪により左遷された菅原道真公が、大宰府へ向かう途次に、河内道明寺の伯母覚寿尼を訪ねられ、夜を明かして別れを惜しまれたが、鶏の鳴き声に出立を促された。このため、当宮では菅公の御心を思い計って、鶏や鶏卵はお供えには用いない。・・・』
(https://ameblo.jp/maturiya-umenosuke/entry-10338071974.html より)
今まで見ていなかった「方位盤」を見れてよかった。
大阪天満宮 拝殿前。いつ来ても参拝客が多い。
お参りしておこう。
用事も済ませ、また奈良の田舎に帰る。
橿原神宮駅前で植木にバケツで水やりをしておられる男性の姿が見えた。
地植えの木に水やり?と思ったが、若木があるのかも。
駅前の黄色いポスト。
宮崎市と姉妹都市締結50年を記念して2016年に設置されたもの。
宮崎市と橿原市は、神武天皇に繋がる縁がある。
宮崎市の青島海岸や、高千穂峡にも「幸せの黄色いポスト」があるそうだ。
参道の途中にヒメリンゴ? 鉢植えなのによく実がついている。
橿原神宮
今年初めて橿原神宮に来た。
巳年の大絵馬 おめでたい松竹梅の図柄を配され、可愛い「巳さん」
タチバナが植えられていた。
さざれ石
『細かい石の集まった隙間に炭酸カルシウムや水酸化鉄が入り込み固まってこのような一つの岩になりました。学術名は「石灰質角礫岩」』との説明板
立派なアカマツ
あまり人目につかない、北神門の手前奥に・・
ハクショウが1本ある。 中国原産の3葉性のマツ。
幹が変わっている。
樹齢を重ねると、樹皮はうろこ状に剥げて、その後がモザイク状になる。
幹だけ見ると、マツの仲間とは思えない。
私が初めてハクショウを見たのは、2007年京都大文字山へ行った時。
次は神戸の相楽園
その後、宇治市植物園・大阪公立大付属植物園・万博公園・住吉大社・大阪城公園・京都府立植物園・鶴見緑地などで見ている。
場所はよく覚えていない。
よく植えられている割には目立たないため気が付かない。
奉納された薦樽
昔、この中には酒がはいっていると思っていたが・・
お酒はビンで納め「樽は空の状態で奉納する」と知った。
横に奉納された会社名が書かれた板があった。
深田池 今日もヒドリガモとオオバンのみ。(カワウもいた)
どちらも「カモ」と思ってしまうが、ヒドリガモはカモ科だが、オオバンはクイナ科なので、カモではない。
社務所に飾られていたもの。手前は奉納された松の格花
気になったのはその背景になっているもの。
木の根なのか? 調べたがわからず。
その後、予約して下さった養生殿のレストランでランチと交流会。
普段あまり参加出来てないのに、ランチと交流が楽しみで参加。
久しぶりの人も多く、元気をもらって帰った。