梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

魚取り

2010-08-21 17:52:45 | 日記
未だ小学生の頃良く魚を取って遊んだ、釣りもやったがどちらかと言うと魚を取る方が多かった、釣りは簡単で村の雑貨屋に行くと10円でセットを売って居た、透明の袋に入って居て糸巻きにナイロンテグスが巻いて有って3~4m位だったかな?針が2本、鉛の重しが2つと丸い浮きにはゴムのチューブが付いて居た、竿は自分で調達と言うと大変そうだが川の岸に自生している篠竹を適当に切って来ると枝をはらいテグスを付けるだけだ、餌はミミズかご飯粒、薩摩芋の蒸かした奴を賽の目に切ったものだった。鮠ともろご(一般的なモロゴとは違うかもしれない)は流し釣りで、有る程度流れの有る所を狙って上流に入れて竿が届かなくなるとまた上流に入れると言う釣り方で雨の後少しして濁りが取れかけた頃は結構釣れた、鮒はミミズか薩摩芋だが此れに炒った糠をまぶすと結構釣れる、こちらは大抵川ではなく用水池で釣る、時々鯉も掛かるが大した大きさでは無いので髭を確認して(ああ、鯉だ)という程度のものだったが此れは村の暗黙の決まりで元の池に戻していた、と言うのは用水池は稲刈りが終えると下に溜まった泥と用水を田に落とす為の穴をメンテナンスする為に年に一度水を抜く、この時に池に放してある鯉と鰻(こちらは大人たちが川で採ってきて放しておく)を取って村人で調理するのが楽しみなので釣って良いのは鮒と雑魚だけだった、その他にザリガニが多く居て此れは子供の遊び材料になる、川釣りが出来ない程度の幼児はこちらで遊ぶ、30センチ程度の棒にタコ糸を付けて最初は親からもらったするめを付けて垂らすと簡単に取れた、暫くしてスルメがふやけてくると釣れたザリガニのしっぽを切って殻をむいて餌にする、此れで十分釣れたが食べるわけではなく釣るのが面白かっただけである、何時だったか大きなザリガニがやたらに取れてうれしくなってしまいブリキの雑巾バケツに入れて土間に置いて居たら夜になってバケツの中で暴れだしその音が部屋中に広がって親父が外に出した事が有ったのが思い出される。釣り以上にやったのはタモとモリで魚を取るのだがモリで魚を突く事は先ず出来ない、此れはタモを水辺の草の根元に置いて上流から追い出すのに使うだけだった、此れで採れるのはやはり鮠だった。こっちは遊びで採るのだが大人たちは酒のつまみ用なので真剣に取る、効率の悪い釣りは仕しないで竹で作った籠を水の落ち口に伏せる方法だった、この地方では「うげ」と言っていたが一般には何と言うのかは知らない、もうひとつは近年になって出て来たガラス製の物でとっくりの太い様な形で、底の部分が内側に落ち込んだ形をしていてその先端に直径10㎝~15㎝の穴が空いて居る、徳利の注ぎ口にあたる所に布を巻いて止め、中に炒った糠を入れて川の深み、と言っても1m程度の所に置いておく、一昼夜位で引き揚げると真っ黒になる位魚が入って居た、これを腸だけ抜くと口から竹串をさして囲炉裏の上に藁苞を下げて置きそこにさしておくと燻製が出来上がるのである、これを幾つかづつおろして味噌をつけたり醤油だったりで焼酎を飲んでいた、恐らくいまではやらないだろうがやってもあの頃程は獲れないんじゃないかな、