梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

新門の辰

2010-12-02 08:42:46 | 雑記
東京新聞で新門の辰五郎が取り上げられていた、町火消しの頭で浅草を守る10組の組がしらっだたがその人となりは時の将軍徳川慶喜に気に入られて京まで共をしたと言う、庶民には更に絶大の人気で彼の女房が病になり全快したお礼にと納められたのが浅草寺内のお稲荷さんだったらしい。今は3代目で浅草三社祭の責任者らしいがその心意気と言えば「義理と人情と痩せ我慢」と言う、こいつは粋だなと思う話だが、仕事で浅草商店会と多少関係は有るが中々そんな粋な江戸っ子には会えない。
このお稲荷さんは前に書いたが初めてその出自を知った、納められている狐の焼物がいい雰囲気だったので撮って置いたのだがこんなエピソードがあったのを知って見直して見た、もう一枚は私が東京に出て来て恐らく3年位後、昭和40年の年末か41年の1月頃の写真で前の夏にサイクリング車と交換したカメラ、ミノルタハイマチック7で恐らく富士フィルムのネオパンSSと言う感度100の物、(この頃は400は未だ無かった)f=1.7だったので多分解放で1/4位だったと思う、手持ちなので少しぶれているが逆に其れがいい感じになったと勝手に気に入っている、この写真を見る度に「降る雪や明治は遠くなりにけり」と言う句が浮かぶ。
しかし平成も22年を過ぎた今、「昭和も遠くなりにけり」と言った所か、まあ、感慨に耽っていられる状況ではないのだが生活レベルではなくあの頃が懐かしいのは歳ののせいかも知れない。