梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

花の事

2013-06-05 19:00:46 | 雑記
子供の頃、村の家に咲いていた花を思い出してみると今殆ど見ない花が多い、まあ家の庭に植えて有ると言うこと自体農家では余り無かったがそれでもどの家にも咲いているという定番の花が有った、
やはり一番多いのは菊だったろう、都会で手を入れて綺麗に咲かすという様な菊ではなく殆ど手入れらしい手入れもしないで野放図に育った株でてんでに倒れたりして咲いていた、
黄色と白が殆どで匂いは今の花屋で見るものより強かった気がする、
毎年植えつけて割かせると言う様な花ではなく毎年放っておいても咲く様な多年生の花が殆どだった、村の家には必ずあった花で東京ではあまり見ない花に「ダリア」がある、
普通の平たい花弁の物も多少はあったが花弁が筒状になるタイプが殆どで「ポンポンダリア」と言っていたが恐らく正式な名称ではないだろうな、
初夏になるとあちこちで咲くものには「カンナ」があるが此れも都内では殆ど見ないな、
結構生命力が強いらしく川の土手や野良道の脇に咲いていた、黄色と赤が殆どだがカンナの赤は強烈で何処か「毒婦」と言う様な印象を感じる花である、この花と夾竹桃の花は咲く季節のせいで乾いた真夏の雰囲気を持っている、
百日草とか百日ダリアと言っていた花が有った、精々30cm程度の背丈で茎には短い毛の様な物が生えていて同じ様に裏側に白毛が生えた硬い葉が互生する、花弁は硬く色もはっきりしない、白っぽい黄色かオレンジで名の通り一度咲くと永い間咲いたままである、
お陰で埃が花弁を覆って更に地味な感じになってしまうが此れも大抵の家に有った、
我が家は農家ではなかったので家の前にある畑は段々小さくなり親父もお袋も花が好きだったのだろう、色んな花が植えてあった、
河原から赤ん坊の頭程度の石を拾って来て花畑の周りに置いて其処にお袋がクロッカスの花を並べて植えていた、夏になると棚作りの胡瓜の隣に夕顔と朝顔を交互に植えていた事も有る、夕顔はお袋のお気に入りで真っ白な大輪の花が徐々に闇に解けてゆくのを楽しんでいた、40代の頃借りていたマンションのベランダに夕顔を鉢植えにしたが中々花がつかない、やっと本当に大きな真っ白な花が咲いて子供達も喜んだのだが開いた夜に風が出て一晩で折れてしまった事がある、その後は育てなかったがもう一度やってみようかな、
お袋が無くなって自分と親父だけになったとき親父が何処からか「コロンブスと言うらしいが強いらしい」と言って貰って来た花があった、日本名は確か「アメリカ立ち葵」と言ったと思うが焦げ茶の茎で背丈は3m近くなり直径20cm位有る真っ赤な花を咲かす、
花弁は5弁でハイビスカスの様な花だった、そう言えばその陰になって咲いていた花は「七夕草」と言う花で此れも背丈がそこそこあったのだがこの花のお陰ですっかり陰が薄くなった、七夕草の花はままごとで赤飯といわれていたのを思い出した、
クロッカスの花が寂しくなったので田圃の畦に咲いているタンポポを取ってきてびっしりと石に沿って植え込んで、その内側にはレンゲの花を一面に植えた、
普通の赤と白のレンゲの他に白レンゲと言う真っ白の物が有り此れを集めて縞模様に植えて周りの黄色とで花壇を作ってみた、親父と二人の生活は東京に出るまで3年ほど続いたが夕飯と風呂の支度が自分の仕事だったので余り家から離れられない、楽しみが無いので学校の帰りに田圃から採ってきて自分だけの花壇を作るのを楽しみにしていたのだがこの時の経験で花が好きになったのか、それとも両親の影響で好きになったのか解らないが未だに花を見るのは大好きである、