梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

ヰタ・セクスアリス

2013-06-01 09:43:11 | 雑記

私の話をする、昭和29年か30年頃、記憶は定かでないが未だ小学校に上がる前だったのは確かなので恐らく5~6歳頃の事である
性的な遊びを教えてくれたのは私より1歳上の女の子だった、村には未だバスが通っていない頃で道路も遊び場の頃である、2軒隣の家の3人姉妹の長女だった、隣といっても田舎なので数百メートル離れているのだが農村なので小学以下の子供達は放し飼い状態である、未だ幼児なので近い事が遊びの条件になるので男女の区別は無い、
小学校に上がれば学校が交流の拠点になるので男女が別々の遊びをするようになるのだがそれ以下の子供達は兄や姉の遊びを真似るか独自の遊びをする、
彼女はその時には未だ学校に行っていなかったと思うが年子の妹と3人、私と隣の家の2歳下の男の子の5人で一緒に遊ぶ事が多かった、
いわゆる「お医者さんごっこ」と言うやつだが内容的にはお「お医者さん」らしい部分は始まりのきっかけだけで完全に「性的な遊び」である、お互いに下半身を脱ぎ捨てて見せたり触ったりする遊び(?)であり、野良仕事に出かけているとは言え親達に見つかると怒られるだろうという事は暗黙で理解していたので大抵は「納戸」か古くなった炭焼き窯の中、茅の中を上手に倒してむしろを敷いた秘密基地でする、
この時に長女からその遊びを教えたのは当時中学生だった彼女の従兄弟だということを聞いた、この秘密めいた遊びはずっと続き彼女に生理が来るまで続いたが当然3人姉妹と隣の子の組み合わせだが此方も興味はどんどんエスカレートして他の年下の女の子とも遊ぶようになる、どうやらその子達がまた年下の男の子を誘い込んで同じように遊んでいたらしい、最初に遊びを教えてくれた彼女は確か5年生の頃「生理が始まったからもう駄目」と言って引退したので今考えるとちゃんとした知識を持っていた様だ、
恐らく大人達もそう言う風に過ごして来たのだろうとは容易に想像出来るし同級生では無かったが恐らく別々にグループが有ったのだろう、
私の田舎ではこの方面は結構おおらかだった、どこぞの嫁さんとどこぞの旦那が茶畑でと言う様な話も子供の前で平気で話していたし、決してそれを追求すると言うこともなかった、お陰でその為か性犯罪はほとんど聞かなかった、
荏原町通りと言うバス通りに「登美子地蔵」と言う名の地蔵がある寺がある、立札を読んでみると未だ4歳だった少女が大人に強姦され殺されたと言う事が書かれている、時代は覚えていないのだが都会ではその頃から有ったのだろう、
昔田舎によっては夏祭りは公認の闇交歓だったと言う、当然避妊などはしていないから妊娠するがそれは村全体で暖かく(いいのか?)育てたらしい、そこには当然「私生児」に対する偏見もない、連綿と続く当たり前の事だった様だ、現代の性道徳はキリスト教の影響らしいが昔の方がよかったんじゃないかと思う事も多い