梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

煙草の思い出

2013-06-21 18:34:16 | 雑記
子供の頃、大人達が吸っていたのは皆煙管だった、仕事に出かける時には腰に煙草入れと煙管入れをぶら下げて出かけてゆく、従って煙草は「刻み」である、
確か「みのり」と言う名前だった、少し黄色がかった茶色の袋には稲穂がデザインされていた、煙管はそれ程大きくなく全長で20cm位だったと思う、
真鋳の吸い口と雁首を細い竹の管で繋いでいる、雁首の大きさは多分直径も深さも1cm程度で下が窄まっているので一回に入る量はかなり少ないので大抵数ふくを続けて吸う、
最初のいっぷくを吸い付けながら煙管を咥えておいて右手で煙草を丸めておき、其れを持ったまま左掌に吸い付けた火の点いた煙草をポンっと乗せると掌の上でころころと廻しながら先ほどの丸めた煙草を器用に雁首に詰め、其れを左掌の上の吸いさしを使って火を移すのだ、(熱くないのか)と見ているのだが殆どそう言うやり方だった、
なにしろ一度の煙草は2.3回吸えば燃え尽きてしまうので今の紙巻の様には吸っては居なかったんじゃないかなと思うが俗に「煙草の害は巻いている紙も大きい」と言われている上に咥え煙草も「チェーンスモーカー」も難しいのだから今よりは害は少なかったんじゃないかと思う。
親父の煙草は最初はこの「みのり」だったが何時の頃からか紙巻の「しんせい」と言う奴に替わっていた、この頃「あさひ」と言う煙草もあったのだが此れが刻みなのか紙巻なのか覚えていない、
ゴールデンバットと言う煙草は未だ田舎に行くと売っているらしいがデザインはしゃれていたな、
姉が吸っていたのは両切りのピースで未だにピースである、確かにあの煙草は吸わなくても良い匂いがした、後でフィルターの着いた「ロングピース」が出たので両切りは「ショートピース」と言っていた、
自分が吸い始めた頃丁度「セブンスター」が出た頃で其れまで主流は「ハイライト」だった、その後煙草は段々マイルド二となって行き「セブンスター」も「マイルドセブン」に替わる、
あの頃は殆どソフト包装でキャラメルといわれた箱型はあまりなかったな、ホープと言う奴が有って此れのショートタイプが箱で「ショッポ」と言っていた
チェリーと言う奴とセブンスターが初心者用だったと思う、その頃仕事場は日比谷の映画街だったので面白半分に輸入煙草を皆で買って比べて見たりした、
帝国ホテル側からみゆき通りを数寄屋橋の方に進むと左側に洋もく専門の店があって此処で買う、国産煙草は未だ100円以下だった時代に300円だの400円だのだがそれでも皆で色々買ってみる、別に気取ってみるのではなく好奇心の様な物だった
面白かったのは「イヴ」と言う奴で細巻きで一本づつ色が違う、パッケージも非常に凝ったつくりだった、パーラメントと言う物も女性受けをしていた
辛くてとてもと言うものにドイツ製のゲルベゾルデが有ったが今では見る事が無い
一般的に有名なのはラッキーストライクとキャメルだったがどちらも映画や小説でよく登場する銘柄だった、たしかフィリップマーロウが吸っていたのがキャメルだったんじゃなかったかな、デザインも洒落ていて旗の台にこの名前のスナックが有ったがカウンターの上に絵が掛けられていた、
煙草が世界的に片身が狭くなっているが吸わない自分からしてもあれはあれで1つの文化の様な気がするな