梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

飲むからたんねーとらやーやー

2013-06-11 19:19:53 | 雑記
「なむからたんのーとらやーやー」と言うお経がある、子供の頃隣の親父さんの名前が「寅雄」と言った(字は違うかも知れない)結構酒が好きで陽気な酒だった、飲むと子供の私にも色々面白い話をするので懐いていた、我が家の誰もがこの人を親しみを込めて「トラチャン」と読んで居たのだが彼の奥さんが念仏の会でこの経を読むと必ず「飲むからたんねーとらやーやー」と唱えていた事を思い出した。
この経はネットで見てみたら「大悲呪」と言うらしい、実際はもっと長ったらしい名前だが略してこう言うとかかれている、
広く禅宗で唱えられる経文だそうだがそう言えば我が家と言うか我が村の寺は曹洞宗だった、
菩提寺と言っても「長源庵」と呼ばれていたので寺と言うより「庵」だったのかも知れないが村の葬式法事は全てこの寺だったし過去帳もこの寺に有ったから昔から随分昔から寺だったのだろう、
この頃子供は和尚の事を「おっさん」と言っていた「おっさん↑」では無く「おっさん↓」のイントネーションで親しみこめてこう呼んでいた、何時もニコニコと笑っていて墨染めの衣である、形の良い頭を綺麗に剃り上げて居て痩身で姿勢の良い和尚だった、
おしょうさん→おしょさん→おっしょさん→おっさんになったんじゃないかなと思うがこっちにきたら「おしょうさん」より「おぼうさん」の方が多かったので此れでは「おっさん」とはならないかもしれない。
禅宗では「葷酒山門に入るを許さず」と言われるのだがこのおっさんは殆ど毎日村の酒屋で飲んでいた、家の親父と仲が良く碁敵とであり飲み友達の様な関係でよく我が家に酒を持って来て夜遅くまで囲炉裏の横で碁を打ったり酒を飲んだりしていた、
私が15で田舎を離れた時に50代に見えたがそれから数年して田舎に寄ったら既に亡くなって居て大黒さんが1人で寺守をしていたが得度されて居なかったので法事は本寺の世楽院と言う所から来ていたらしいがその大黒さんもなくなって永い間無住寺になっていたらしいが40代になって言った時には新しい坊主が入っていた、
寺も「長源庵」から「長源寺」になっていた、此処に両親の位牌も有る筈なので寄ってみたら「村から絶えた家の位牌は処分したのだが」と言いながら本尊の裏を探してみたら本当に偶々だろう白木の位牌に半紙を張った新仏用の位牌が母の分だけ出て来た、
供養をお願いして来たのだがあれから又20年近く経ってしまった、その間に墓も無くなり兄貴達も世を去り隣のとらちゃんも奥さんのらくちゃんもとうの昔に鬼籍に入った
若い頃はあんなに懐かしかった故郷もいまでは子供の頃遊んだというだけの土地になった、その山野もあの頃の面影は殆ど無い、外に出たものにとってはノスタルジーその物でも現実に済んでいる人々にとっては生活その物だから変わるのは当然の話だな
家の有った所には小ぶりの家が建っていた、都会の人の別荘だそうだ、時は只粛々と流れてゆく