六八コンビのヒット曲に「上を向いて歩こう」と言うのがある、
「上を向いて歩こう、涙がこぼれない様に、泣きながら・・」と言う歌詞で一世を風靡し海外でも随分売れた、
海外では恐らくメロディが売れたのだろうが当時の若者達にはこの歌詞が心に沁みた、
昭和30年代後半からの庶民生活は何時も「涙がこぼれない様に・・」頑張っていた、
(何時かもっと幸せになれる)と頑張って生活をしていたがだからと言って「今が不幸」かと言えばとりたてて(不幸な生活だ)とは考えていなかった気がする、
すくなとも自分は(自分は不幸だ)と具体的に考えていたことは無かったし一緒に働いていた連中もそんな話になったことは無かった、
同じ坂本九の歌にも「見上げてごらん、夜の星を」と言うのもあり、島倉千代子と守屋浩の「星空に両手を」でも若者は自分たちを星屑になぞらえて「ささやかでも星の一つ」と生活を営み、「きっともう少し幸せになれる」とその日を暮らしてきた
あの頃は確かに東京でも安アパートの建っている町では見上げれば未だたくさんの星と天の川も見えた、
小さな窓の明かりに帰り狭い6畳くらいの部屋にわずかなお勝手と共同トイレに洗濯機置き場の住まいでもそんなに自分たちが不幸だとは考えていなかっただろう、
しかし今の都会は明るすぎる、深夜になっても「見上げてごらん、夜の星を」とはならない、星屑になぞらえる事すら出来ない都会になってしまった、
若者には夢が無いと言うが今を肯定できなくてなんで夢が持てよう、隣の友人も同じような生活をしているのになぜ自分だけ不幸だと考えるのか
今の日本は社会的にも比喩的にも人工的な光量が多すぎる、そうなったのは何時頃からか、そうなったのは何のせいなのか、
「降る雪や明治は遠くなりにけり」は大正ロマンを産んだかもしれないが「昭和は遠くなりにけり」は夢を失った若者と先行きに不安を抱えた高齢者と一握りの高額資産家を生み出した
今上天皇が来年退位された後どんな時代が待っているやら
「上を向いて歩こう、涙がこぼれない様に、泣きながら・・」と言う歌詞で一世を風靡し海外でも随分売れた、
海外では恐らくメロディが売れたのだろうが当時の若者達にはこの歌詞が心に沁みた、
昭和30年代後半からの庶民生活は何時も「涙がこぼれない様に・・」頑張っていた、
(何時かもっと幸せになれる)と頑張って生活をしていたがだからと言って「今が不幸」かと言えばとりたてて(不幸な生活だ)とは考えていなかった気がする、
すくなとも自分は(自分は不幸だ)と具体的に考えていたことは無かったし一緒に働いていた連中もそんな話になったことは無かった、
同じ坂本九の歌にも「見上げてごらん、夜の星を」と言うのもあり、島倉千代子と守屋浩の「星空に両手を」でも若者は自分たちを星屑になぞらえて「ささやかでも星の一つ」と生活を営み、「きっともう少し幸せになれる」とその日を暮らしてきた
あの頃は確かに東京でも安アパートの建っている町では見上げれば未だたくさんの星と天の川も見えた、
小さな窓の明かりに帰り狭い6畳くらいの部屋にわずかなお勝手と共同トイレに洗濯機置き場の住まいでもそんなに自分たちが不幸だとは考えていなかっただろう、
しかし今の都会は明るすぎる、深夜になっても「見上げてごらん、夜の星を」とはならない、星屑になぞらえる事すら出来ない都会になってしまった、
若者には夢が無いと言うが今を肯定できなくてなんで夢が持てよう、隣の友人も同じような生活をしているのになぜ自分だけ不幸だと考えるのか
今の日本は社会的にも比喩的にも人工的な光量が多すぎる、そうなったのは何時頃からか、そうなったのは何のせいなのか、
「降る雪や明治は遠くなりにけり」は大正ロマンを産んだかもしれないが「昭和は遠くなりにけり」は夢を失った若者と先行きに不安を抱えた高齢者と一握りの高額資産家を生み出した
今上天皇が来年退位された後どんな時代が待っているやら