梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

公僕とは(おおやけのしもべ)

2018-05-12 12:31:27 | 雑記
元原子力規制委員長代理の島崎東大名誉教授が「当時内閣府が長期評価の修正を求めた事を「明らかに圧力だった」と証言した、
此れをもとに東電の子会社は「最大で15.7Mの津波が想定される」と試算した、
しかし公表直前に防災対策を担当する内閣府から根拠となるデータの信頼性から「公表すべきではない」と要請された、
当時の東電役員は「他のデータもあり信頼に足るデータではない」として子会社の防災評価を却下した、
その結果は評価通りの地震と津波に襲われて原子炉はメルトダウン寸前になり、未だ収束していない。
東電幹部は「予測不能な自然災害であり業務上過失に当たらない」として争っているがこの証言によれば多くのデータと分析からこのような災害が予想されると報告し会社としての担当部署は「対処すべき」と言う意見を上梓している、
仮にその時点で他の意見もあったのでこちらを採用しなかったと言うのは結果的に「判断を誤った」と言う事になる、
その時点で判断をしなかったことは「やむを得ない」と言うが結果として被害を防げなかったと言う事は「やむを得ない事」で済まされる事では無かった訳で判断のミスだ、
東京電力と言う組織の最高権力者と言う事はすべての責任を負わなければならないと言う立場にある、
CEOと言ういい方も「最高責任者」と言う事で「最高権力者」ではないし、代表取締役と言う立場も「責任を持って権利を履行する」と言う役職だ、
今回争われている事は「その時点で予測が出来たか」と言う事になるだろうが「危険がある事」は評価を依頼された組織が「可能性がある」と評価したのにそれを却下しその結果が今の被害となったとすれば「その時点で予測不可能」と言う事には当たらない
その事を内閣府と言う官庁が「評価を変えろ」と言うのは全くおかしな話で何の為に学識研究機関に依頼をしたのか、
恐らく「危険は無い」と言うお墨付きが必要だったのだろうがその意図に反し「危険が存在する」と言う結果が出た、
これを握りつぶすどころか「結果を変更しろ」と言うのはその意図はどこに有るのか、
原子力発電の継続と言う目的が最初からありその事を阻害する意見は困ると言う事が良く見える構図が明らかになったと言う事だろう、
公官庁と言う組織は政治と法を運営する為の許認可組織である、
そこに何らかのバイアスが働くと言う事は「公」と言う部分がゆがめられている、
公とは国民の為に機能すると言う意味であり政財官と言う一部の組織の為に働くものではない、
だからこそ最大の権利を与えられているのだ、
警官のみが公に銃を持っているのはその銃口を庶民に向けないと言う原則の上で持たされている、
官公庁の許認可業務は無論多くの審査を受けての事だがそれでも最終的に判断を出すには人間の判断が働くだろう、
例えば医薬の許認可は3年~5年が掛かるがそれを受付けて審理に掛かるのには書類が完全に整っているだけではないと言う事を申請をしてた知り合いからも聞いている、
それでも許可した薬で大きな被害を出している事は何度もある
緑十字事件でも製薬会社が刑罰を受けているがそれを許可した厚生省が責任を取ったと言う事は聞いていない
許可をしなければ販売できないが許可したものが間違いだとしても責任が無いと言うと言う事は「権利は有ってもその結果には責任がない」と言う事だが一般社会ではありえない
それどころか一般製造会社には「製造者責任法」と言うものすらある
発売時点では想定出来ない件でも製造者が責任を負うと言うのが世界の常識になっている、
確かに公務員にそこまで責任を負わせるのは負担が大きすぎるかもしれないがその位の覚悟を持って臨み、自ら謝罪をする位の矜持は持って貰いたいものだ、
全権を与え彼らの収入を負担している国民を考える事が公僕と言う立場に課せられた責任である
公僕などと言う言葉は死語かも知れないが「公(国民全体)の僕(しもべ)」だと言う事をもう一度かみしめて貰いたい