梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

どうなりたかったのか、どうなったのか、どうなるのか

2019-02-12 11:06:57 | 雑記

齢71、まるで他人事のような歳になった、
世は「100歳時代」と言うからには未だ暫くは大丈夫そうだが死なないだけで100近くまで生きてもそれはちょっと遠慮したい、
今の所体調は悪くないがやはり足腰は弱ってきた感じはする
70になってからしばらくやめていたストレッチとスクワットをやり始めた
多少は歩くのが楽になった気がするのは気のせいか?
中卒で臨時工になって21で転職し36で結婚し、40歳で起業しバブルのおかげで年商が一億を超える所まで頑張ったがやはりバブル崩壊とともに会社は傾いて買った家も手放して借金を返す生活だ
子供達も既に40代の半ばと50歳目前で孫も成人を頭に無事育った、
年金では逼塞生活、未だ付き合ってくれる仕事仲間がいて何とか会社を維持している
有り難い事だが何時まで出来るか、
自分はどうなりたかったのかと思い返すがどうなりたかったと言う事が浮かばない
なりたかった者になったのかと言えば前記の如く「なりたかった、なりたい」と言う感覚は無かった気がする、
代わりに「成りたくない」と言うのが自分の原動力だったのじゃあないかと思う、
私は結構赤貧だったらしい、只自覚としてそれ程酷い貧乏だとは思っていなかった、
しかし日立製作所の亀戸工場に就職して昼夜と出される食事が同期の連中から「豚の餌か!」と
言われている時に自分には十分な食事だった時に(ああ、自分は随分貧しかったのか)と考えた位だが自分の田舎ではさして我家がそれほど酷いとは思えなかったのだが、
そのままあの工場に勤め続ければ恐らくそこそこの生活は保障されたのだろうとは思う
しかし工場の職工と言う組織では中学新卒は技術養成という人と私の様な臨時工から正式雇用された者で組織されていて30~40人単位で組になり組長と言う管理責任者は私の時にほゞ定年まじかの方が座っていた、
それらを束ねて課が有って課長の下には100~120人程度の職工が働いていた
或る日本社の幹部候補と言う大学卒が研修と言う事でやって来た事がある
当然新卒採用なので現場研修の時は24歳程度、しかし彼が配属され時現場を見て廻る後ろに課長以下組長連中がぞろぞろと大名よろしく練り歩いていた、
30にもならない若造は尊大にふんぞり返って2年後に定年になる課長以下組長連中は神妙に付き従って丁寧に仕事の説明をしていた、
この時(ああはなりたくない)と強く思ってしまった、
組織の中で中卒臨時工上がり、恐らくどう頑張っても組長にすらなれまい、
(ああはなりたくない)どうなりたいのではなく”ああはなりたくない”と思ったのだった
それから今まで恐らく「貧乏は嫌だ」とか「偉そうに命令されて働くのは嫌だ」とかどうなりたいのではなく「なりたくない」と頑張って来たのだったろう
随分消極的な生き方に見えるが結局今のままでは嫌だと言う部分が前に押し出したのだろうな
強くなりたいのでもなく、金持ちになりたいのでもなく只人並みに幸せになりたいと言うのが生きるモチベーション、
人並みとは何だと言われれば良く解らない、
出来れば残りはゆったりと行きたいね