梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

悲惨な事故と安易な運転免許

2019-05-13 14:59:31 | 雑記
南牧村でマイクロバスが運転手が離れた後走り出して谷に転落したと言う、
最近の車に関するニュースは私が免許を取った時代からすると「なんで?」と言う事が非常に多い、
一番はやはり「ブレーキとアクセルの踏み違い」だがこれはもう本当に理解できない事象だがおそらく「オートマチック」車しか乗らないせいだと思う、
マニュアル運転は常に左右の足を使う、発停止はクラッチペタルとアクセル、停止はブレーキとクラッチペタルを使う、
無論急停止の時はブレーキを全力で踏んづけるがクラッチも踏まなければエンストをする、
これは考えて行うのではなく運転と言う行為で反射的に行っている事で(危ない!ブレーキを踏まなければ)と踏んでいるのではなく危険を感じたら反射的にアクセルに乗せている右足はブレーキに行く、
岐阜の園児巻き添え事故も突っ込んだ女性はブレーキを踏まずに「ハンドルを左に切った」と証言しているようだし実際にブレーキをかけた形跡はないそうだ、
免許証をとったときに教習で言われたのは「ハンドルで逃げるな、ブレーキを踏め」だった、
自分が行った教習所は江戸川区にあったが当時は確か20教程程度だった筈で仮免許が取れると道路教習になるのだが最後の協定に中川放水路の堰堤道路を使って「パニックブレーキ訓練」をやらされた、無論教習所での教科にはない運転で実質道交法違反なので教官が単独でやっていたのだろう、
道幅はおそらく6m程度で海に向かって緩やかにカーブをしている、どこにも通じていないので車は入って来ない
此処を時速40㎞程度で走らせてまっすぐのところで急ブレーキを踏ませるのだ、
今考えればスピンすれば川に落ちる大変危険な運転だが一回だけだが大変役に立ったと思う、未だ東名高速道路は出来ていない頃で教官は「これから100kmくらいで走る事が始まるがそこで急ブレーキをかけると言う事をしなければならない」と言ってこの訓練を入れたそうだ、
当時の教科は「学科」「実技運転」の他に「構造」という試験があった、
クラッチの役割、エンジンの構造と動き、サスペンションとショックアブソーバの関係等々でこれも大変役に立った、
と言うのも当時の車はしょっちゅう故障するのだ、パンクは当然、エンジンが突然止まるとか、止めたら掛からないとか日常茶飯事に近い、
構造が解らないと途方に暮れる事になる、何しろ携帯電話なんぞは無く公衆電話もそんなに立っていない、
あるころから「構造」が消えてある時入社してきた20代の青年が「車が止まった」と電話してきたことが有る、
いろいろ聞きだしてどうやらオーバーヒートの様だ、水温計も見ていないのかと思いながら「ラジエターの水を見ろ」と言ったら「ラジエターって何ですか?」と来たものだ、
大抵始業点検で水の量は見ておかなければならないがまあ面倒なのでやらない事もある、
しかし「ラジエターが解らない」のでは車の乗る資格は無いと思うのだが「教えてくれなかった」と言うので聞いたら「構造は無い」と言う事だった、
キャブレターのオーバーフロー、燃料ポンプのエアだのヒューズが跳ぶなどもしょっちゅうだった、
最初の「サイドが甘かった」件だが当時のトラックのサイドブレーキはワイヤーでドラムを締めているだけなので積載が多いと滑り出す事もある、
従って大抵車止めを乗せていて傾斜地では噛ませておくのだがそれ以外にギヤはローに入れてハンドルは山側に切っておくと言うのは常識だった、
その前の軽井沢碓井峠バス事故も急坂を下るときにギヤをトップや高ギヤに入れない事はやはり常識だった、
今よりシンクロメッシュと言うクラッチが普及していないので速度が出たらギヤをダウンするのは殆ど不可能になる、
ある程度まではダブルクラッチで落とせるがそうだとしても一気に飛ばして落とせない
速度はどんどん上がってしまいブレーキは利かなくなる、
あれも構造が分かっていれば「エンジンブレーキで下る」と言う事が身につくはずである
「上るギヤで下る」と言うのが基本であるが今はオートマチックでシフトのLか2を使うのだがその意味が解らない、
タレントの竹山が「高齢者にはマニュアル免許しか渡すな」と言っていたが「自動運転限定免許」そのものが如何なものかと本当に思う、
1トン以上の物体が時速50km位で歩行者と同じ平面を走ると言う事はどういう事か理解することが免許証発行の条件になる、
当然だが同一平面にいる自転車や歩行者も理解しなければ事故は防げないだろう