梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

煙草の事 

2013-06-20 18:23:36 | 雑記
大船の植物園の帰り道に小さな喫茶店が有った、少し咽が乾いていたのと少々歩き続けていたので休む事にした、
入る前に煙草が吸えるか確認したら「大丈夫ですよ」と言う、良く見たら煙草の販売店も兼ねている、吸えるのは当然だった。
女房が煙草を吸い始め私は珈琲を飲んでいたら丁度私たちとご同輩と見られる店主が「ご主人吸いすぎですか?」と言うので「いや、私は吸わないんですよ」と言ったら「珍しいですね」と言われた。
しかし最近は結構吸わないと言う男性は多くなって女性は増えていると言う、しかし私に関して言えば昔から男の方が吸わないで女性が吸う者が多い、
私の兄弟は直ぐ上は女が2人でその上に男が3人いるのだが姉2人は若い時から吸っている、兄はある年齢からだが吸わなくなった、
同居していた女房の母親も煙草を吸っていた、そして娘も吸う、しかし息子は吸わない、
尤も私自身、全く吸わなかった訳ではない、20代前半から30代にかけて吸って居たのだがある時友人と賭けをして止めてしまった、仲の良い友人で私より半廻りほど年上だったが酒の席で「煙草なんかいつでもやめられる」と言う話になった、周りの飲み仲間は「無理、〃」と言い立てたが2人で「いや、絶対にやめるといったらやめる」と言う話になってその場の悪友と行き付けの親父を証人に「此れから一年間どちらかが吸ったら互いに好きなだけ飲ませる」と言う約束をした、悪友たちは此れをその他の行きつけからお互いの会社の連中にまで広めて楽しんで居たのだが結果は2人とも無事一年が過ぎ其処から吸わなくなってしまった、
わが女房も姉2人も煙草を吸うのだがこれが今の女性達の吸い方と比べるとおかしな言い方だが実に綺麗な吸い方に見える、と言うより今町で見かける愛煙家女性達の煙草の吸い方が実に下品に見える、無論わが娘も含めてである、
姉も女房も咥え煙草と言う事をしない、当然歩き煙草もしない、しかし娘を見ていると歩き煙草は見た事は無いが咥え煙草はしょっちゅうである、町で見かける女性達も中には咥え煙草で自転車を運転している女性すら居る、
どうも咥え煙草の女性を見ると戦後の焼け野原で袖を引いていた絵を思い出す、「こんな女に誰がした」と言う歌詞が浮かぶ、無論私はこの時代を生きた訳ではないが昭和25~6年と言えば未だその空気があり、映画で髪を後から前に包んだ女性が暗い画面で男と顔を寄せていた場面を思い出す、
リアルタイムであれば黄金町や堀の内のいわゆる「ちょんのま」の女性達が薄暗い路地の小さな飲み屋の間口近くに丸椅子を置いて客を物色していた雰囲気がある、
又、不良グループの小娘達が吸うでもなく只ふかして気取っていた連中の「根性焼き」の記憶もやはり普通の娘とは一線を画していた、今の時代女性の権利と言う言葉とは関係なく形だけ男の真似をする事で対等になったと勘違いしているのではないか、

年金

2013-06-18 17:07:42 | 雑記
年金機構から葉書が来る、セキュリティに対応した貼付タイプで一度剥がすと戻らない奴だ、女房と2人に年に何度か来る、
開けてみると年金額のお知らせとか扶養形態の変更とか色々来るのだが基本的に殆ど緊急性の無いものだ、
年金の支払金額が変更にならないのに前回と同じ金額を書き込んだ葉書が毎年2度ほど来る、なんだろうと思って開けてみても結局何の意味も無い、
しかしこの葉書を作成するのに一体幾ら掛かっているのだろう、単価が低くても膨大な数量だから大変な経費だろう、恐らくこの印刷をしている会社は年金機構の関連会社で形だけの入札で契約しているのだろう、今まで散々保険金を無駄に使い、解体されたといっても結局名前の付け替えで同じ事をやっている、
年金機構と言う組織はいっその事全て民間に移管したらどうだろう、地域毎に分けるか業界毎に分けるかその方法は色々有るだろうが巨大な資金を民間に管理させて運用益の30%位を管理会社の取り分とする、同時に損益が出たらやはり30%の負担をさせる、
今も年金機構から運用を任されている投資会社も有るだろうがいっその事保険料の回収から保険金の支払まで一貫してその会社に移管してしまえば良い、
経費は別途請求にして経費見積を入札条件にする、国内に限定せず世界各国からの応札にし其れこそ自由競争にすれば今の経費は劇的に下がるだろう
しかしもっと根本的な問題として今後10年もすれば原資は完全に枯渇すると言う事だ、
毎年何兆円かの赤字だとすれば運用で何とかなると言うレベルの問題ではないだろう、
解決するには二つの方法しかない、年金の支払を下げるか、回収を増やすかだが我々の世代は年金を此れだけ払ったら60歳になったら此れだけ支払う、と言うお国の言葉を信用して所得の1割近くを納めて来たのだが此処何年かでこの約束は全て反故になった
「思ったより集まらないし支払いも増えたので」と言う理由であっさりと金額を下げ、支払開始を下げる、此れを見て現役世代が年金を支払う気になれないのは当然だろう
「支払った所で貰えない」なら個人年金に廻す方が確実である、此れは契約だから「思ったより伸びないので支払は契約通りには払えない」と言うのは通らない、
とすれば幾ら法で縛っても回収率は下がる一方だろう、個人レベルだけではなく天引きする会社だって個人と同額の負担をしなければならないのだから組織的に入らなくなる、
結局税金で賄うしかなくなるだろうがその為に消費税を上げれば経済は更に冷え込んでゆく、アベノミクスは大手企業の業績を底上げしたかも知れないが結局又株価は下がって来た、円安誘導も結局は庶民の生活に打撃を与え、大手企業の資金を底上げして恐らく効果は消えてしまうだろう、
大手企業と少数の巨大資産家が多くの富を抱え込んでいる現状を変えなければ根本的な解決にはなるまい、既に富の偏在は雪崩現象を起こす寸前だ、
保有に掛かる税金が偏在経済を均す為には効果的ではないかと思う


朝日の紫陽花

2013-06-14 19:26:02 | 雑記
紫陽花寺と呼ばれる寺が幾つか有る、このあたりだとやはり一番有名なのは鎌倉の名月院だろう、何度か入ったが大抵紫陽花の咲いていない時期に行くのでそれほど混雑はしていないが咲いて居ないと取り立てて言う様な風情の寺ではなかったな、
川崎の北、長尾にも有るがこっちの方が落ち着いて見られるんで実際の花の季節は此方に行く、
房総半島の真ん中辺りに麻綿原と言うところが有って見に行ったが此処もやはり少し季節を外してしまった、
都内の公園や神社にも結構咲いている、行く度に写してくるのだが中々面白い写真にはならない、その中で気に入っている一枚がある、、

朝日の紫陽花


此処は第一京浜から山手通りに入って直ぐ左側にある「東海寺」と言う古刹である、禅宗だったと思うが定かではない、この少し先を線路沿いに入ると沢庵禅師の寺が有るが殆ど人は来ない、電車で品川の前、御殿山の切り通しに差し掛かる前に左側にあるのだが寺が見えるわけではないので気が付かないのだろう、
話は変わるが昨日の午後、10年以上使っているSOTECのディスクトップがハングアップしてしまった、ウィンドウズの画面から個人情報を読み込むとリセットされて又チェックサムが始まる、どうしても戻らないので諦めてウィンドウズを再インストールした、アプリも全て消えてしまい必要なソフトを組み込んでゆく、とりあえず仕事に必要なCADとエクスプローラだけを入れて使い始めたら早速「あなたのPCをチェックします」と言う奴が次々来る、なかにマイクロソフトのロゴで来た物があったので試しに入れてみた、無料バージョンで「エラーをチェックします」と言うのでやらせてみたら数分流れて診断結果が出た、
「あなたのPCは382のエラーがあります、今すぐ修復を」となった、結果は解っていたが面白いので押して見たら「エラーを19修正しました、状況は非常に危険です」と真っ赤な文字とイラストが点滅して「今すぐ購入」と言うところにカーソルがある、HDをイレーズしてパティションを切りなおしてCドライブを1セクでシステムを入れ替えて仕事関係のメールを数十通やり取りした時間は恐らく3時間程度だ。此れではシステムソフトその物がエラーだらけだと言う事になる、
解っていても流石にあきれ返る話だ、昔良く聴いたシロアリ駆除の鷺そのものに近い、
ネットは必要不可欠だがこんな連中も一緒に呼び込んでしまうのが本当に腹が立つ、何となく「お母さん助けて詐欺」(面倒ななまえだ)の犯人像と重なる所があるな、

雨に咲く花

2013-06-12 18:39:15 | 雑記
雨に咲く花と言う歌があった、井上ひろしの歌で随分流行したしその後大勢の歌手がカバーしている。この季節の花はやはり紫陽花が目立つが今路地や公園で咲いている紫陽花は殆ど西洋紫陽花で日本古来の紫陽花は少ないそうだ、
若い頃林道を走るのが好きで山道を走ると細長い枝を伸ばした紫陽花を見る事があるが基本的に額紫陽花か球紫陽花だった、今の園芸種と言われる西洋紫陽花は一説によると幕末にシーボルトが持って返って広めた物らしい、花の名前になっている「オタクサ」はシーボルトの日本妻だった「お滝」の名前だそうだ、
暗くなって路地を通っていたら良い香りがしてきた、見渡してみたらどうやら梔子の香の様だ、花は地味だが本当に良い香りがする、特に雨模様で空気がしっとりとしていると遠くまで広がってゆく、
田舎では意外と梔子は無かったが隣家の茶部屋脇に小さな株があった、子供の頃の事で花の香より花が落ちた後黄色にオレンジが混ざったような袋状の実がなる事が記憶にある、
母親が和裁の仕事をしていてこの「梔子色」が好きだった、日本では本当に微妙な色を分けて名前をつけている、我々の小学校の頃はアメリカ式が入った直後だったので余りこう言う微妙な色合に名前が有るとは教えてくれなかったのだが母親も父親もこう言う色の知識は良く教えてくれた、最近この微妙な色の話が流れるのはコマーシャルだけだが其れでも消えてしまうよりましか、
そう言えば味も日本では一味多いと言う、「辛味、塩味、甘味、酸味」の他にいわゆる「旨味」と言うのが当たり前に有るのだが、西洋調味料には無かったらしい、出汁味と言うのは和料理では一番上位におかれている、世界中で「味の素」が使われているのだから彼らが味音痴だと言う事では無さそうだ、しかし日本人からするとどうも他国の味は濃い気がする、それに付いてこんな話が有る、
日本の料理は「なるべく素材の味を生かす」と言うのが本道であるがフランス料理では「素材の味が残っていると言うのは「調理が完璧では無い」と言うらしい、刺身なんぞは言語道断で「切っただけの物が料理だと、日本人は何を考えているんだ」とフランス料理の調理師が言えば和食の板前は「何でもかんでもバターの味だ、あんなのは料理の訳はない」と言ったと言う、
どちらも言いたい事は解るがやはり私は薄味で素材の味を引出した物の方が美味しく感じる、尤もこれもある程度年齢を重ねてからの話で若い頃は油が強く味の濃いものが好きだった事も確かだ。
最近は特にそう言う傾向になってきた様だ、白身の刺身と青魚の焼いた物か煮た者で箸休めに浅漬けでも有って上手い酒を飲むのが最高だな、
但し我々夫婦はこの後必ず甘い物を少し取るのが習慣で娘や息子には酒を飲みながら和菓子を食べて居ると「気持ちが悪い」と本当に嫌そうな顔で言われている。

飲むからたんねーとらやーやー

2013-06-11 19:19:53 | 雑記
「なむからたんのーとらやーやー」と言うお経がある、子供の頃隣の親父さんの名前が「寅雄」と言った(字は違うかも知れない)結構酒が好きで陽気な酒だった、飲むと子供の私にも色々面白い話をするので懐いていた、我が家の誰もがこの人を親しみを込めて「トラチャン」と読んで居たのだが彼の奥さんが念仏の会でこの経を読むと必ず「飲むからたんねーとらやーやー」と唱えていた事を思い出した。
この経はネットで見てみたら「大悲呪」と言うらしい、実際はもっと長ったらしい名前だが略してこう言うとかかれている、
広く禅宗で唱えられる経文だそうだがそう言えば我が家と言うか我が村の寺は曹洞宗だった、
菩提寺と言っても「長源庵」と呼ばれていたので寺と言うより「庵」だったのかも知れないが村の葬式法事は全てこの寺だったし過去帳もこの寺に有ったから昔から随分昔から寺だったのだろう、
この頃子供は和尚の事を「おっさん」と言っていた「おっさん↑」では無く「おっさん↓」のイントネーションで親しみこめてこう呼んでいた、何時もニコニコと笑っていて墨染めの衣である、形の良い頭を綺麗に剃り上げて居て痩身で姿勢の良い和尚だった、
おしょうさん→おしょさん→おっしょさん→おっさんになったんじゃないかなと思うがこっちにきたら「おしょうさん」より「おぼうさん」の方が多かったので此れでは「おっさん」とはならないかもしれない。
禅宗では「葷酒山門に入るを許さず」と言われるのだがこのおっさんは殆ど毎日村の酒屋で飲んでいた、家の親父と仲が良く碁敵とであり飲み友達の様な関係でよく我が家に酒を持って来て夜遅くまで囲炉裏の横で碁を打ったり酒を飲んだりしていた、
私が15で田舎を離れた時に50代に見えたがそれから数年して田舎に寄ったら既に亡くなって居て大黒さんが1人で寺守をしていたが得度されて居なかったので法事は本寺の世楽院と言う所から来ていたらしいがその大黒さんもなくなって永い間無住寺になっていたらしいが40代になって言った時には新しい坊主が入っていた、
寺も「長源庵」から「長源寺」になっていた、此処に両親の位牌も有る筈なので寄ってみたら「村から絶えた家の位牌は処分したのだが」と言いながら本尊の裏を探してみたら本当に偶々だろう白木の位牌に半紙を張った新仏用の位牌が母の分だけ出て来た、
供養をお願いして来たのだがあれから又20年近く経ってしまった、その間に墓も無くなり兄貴達も世を去り隣のとらちゃんも奥さんのらくちゃんもとうの昔に鬼籍に入った
若い頃はあんなに懐かしかった故郷もいまでは子供の頃遊んだというだけの土地になった、その山野もあの頃の面影は殆ど無い、外に出たものにとってはノスタルジーその物でも現実に済んでいる人々にとっては生活その物だから変わるのは当然の話だな
家の有った所には小ぶりの家が建っていた、都会の人の別荘だそうだ、時は只粛々と流れてゆく