大船の植物園の帰り道に小さな喫茶店が有った、少し咽が乾いていたのと少々歩き続けていたので休む事にした、
入る前に煙草が吸えるか確認したら「大丈夫ですよ」と言う、良く見たら煙草の販売店も兼ねている、吸えるのは当然だった。
女房が煙草を吸い始め私は珈琲を飲んでいたら丁度私たちとご同輩と見られる店主が「ご主人吸いすぎですか?」と言うので「いや、私は吸わないんですよ」と言ったら「珍しいですね」と言われた。
しかし最近は結構吸わないと言う男性は多くなって女性は増えていると言う、しかし私に関して言えば昔から男の方が吸わないで女性が吸う者が多い、
私の兄弟は直ぐ上は女が2人でその上に男が3人いるのだが姉2人は若い時から吸っている、兄はある年齢からだが吸わなくなった、
同居していた女房の母親も煙草を吸っていた、そして娘も吸う、しかし息子は吸わない、
尤も私自身、全く吸わなかった訳ではない、20代前半から30代にかけて吸って居たのだがある時友人と賭けをして止めてしまった、仲の良い友人で私より半廻りほど年上だったが酒の席で「煙草なんかいつでもやめられる」と言う話になった、周りの飲み仲間は「無理、〃」と言い立てたが2人で「いや、絶対にやめるといったらやめる」と言う話になってその場の悪友と行き付けの親父を証人に「此れから一年間どちらかが吸ったら互いに好きなだけ飲ませる」と言う約束をした、悪友たちは此れをその他の行きつけからお互いの会社の連中にまで広めて楽しんで居たのだが結果は2人とも無事一年が過ぎ其処から吸わなくなってしまった、
わが女房も姉2人も煙草を吸うのだがこれが今の女性達の吸い方と比べるとおかしな言い方だが実に綺麗な吸い方に見える、と言うより今町で見かける愛煙家女性達の煙草の吸い方が実に下品に見える、無論わが娘も含めてである、
姉も女房も咥え煙草と言う事をしない、当然歩き煙草もしない、しかし娘を見ていると歩き煙草は見た事は無いが咥え煙草はしょっちゅうである、町で見かける女性達も中には咥え煙草で自転車を運転している女性すら居る、
どうも咥え煙草の女性を見ると戦後の焼け野原で袖を引いていた絵を思い出す、「こんな女に誰がした」と言う歌詞が浮かぶ、無論私はこの時代を生きた訳ではないが昭和25~6年と言えば未だその空気があり、映画で髪を後から前に包んだ女性が暗い画面で男と顔を寄せていた場面を思い出す、
リアルタイムであれば黄金町や堀の内のいわゆる「ちょんのま」の女性達が薄暗い路地の小さな飲み屋の間口近くに丸椅子を置いて客を物色していた雰囲気がある、
又、不良グループの小娘達が吸うでもなく只ふかして気取っていた連中の「根性焼き」の記憶もやはり普通の娘とは一線を画していた、今の時代女性の権利と言う言葉とは関係なく形だけ男の真似をする事で対等になったと勘違いしているのではないか、
入る前に煙草が吸えるか確認したら「大丈夫ですよ」と言う、良く見たら煙草の販売店も兼ねている、吸えるのは当然だった。
女房が煙草を吸い始め私は珈琲を飲んでいたら丁度私たちとご同輩と見られる店主が「ご主人吸いすぎですか?」と言うので「いや、私は吸わないんですよ」と言ったら「珍しいですね」と言われた。
しかし最近は結構吸わないと言う男性は多くなって女性は増えていると言う、しかし私に関して言えば昔から男の方が吸わないで女性が吸う者が多い、
私の兄弟は直ぐ上は女が2人でその上に男が3人いるのだが姉2人は若い時から吸っている、兄はある年齢からだが吸わなくなった、
同居していた女房の母親も煙草を吸っていた、そして娘も吸う、しかし息子は吸わない、
尤も私自身、全く吸わなかった訳ではない、20代前半から30代にかけて吸って居たのだがある時友人と賭けをして止めてしまった、仲の良い友人で私より半廻りほど年上だったが酒の席で「煙草なんかいつでもやめられる」と言う話になった、周りの飲み仲間は「無理、〃」と言い立てたが2人で「いや、絶対にやめるといったらやめる」と言う話になってその場の悪友と行き付けの親父を証人に「此れから一年間どちらかが吸ったら互いに好きなだけ飲ませる」と言う約束をした、悪友たちは此れをその他の行きつけからお互いの会社の連中にまで広めて楽しんで居たのだが結果は2人とも無事一年が過ぎ其処から吸わなくなってしまった、
わが女房も姉2人も煙草を吸うのだがこれが今の女性達の吸い方と比べるとおかしな言い方だが実に綺麗な吸い方に見える、と言うより今町で見かける愛煙家女性達の煙草の吸い方が実に下品に見える、無論わが娘も含めてである、
姉も女房も咥え煙草と言う事をしない、当然歩き煙草もしない、しかし娘を見ていると歩き煙草は見た事は無いが咥え煙草はしょっちゅうである、町で見かける女性達も中には咥え煙草で自転車を運転している女性すら居る、
どうも咥え煙草の女性を見ると戦後の焼け野原で袖を引いていた絵を思い出す、「こんな女に誰がした」と言う歌詞が浮かぶ、無論私はこの時代を生きた訳ではないが昭和25~6年と言えば未だその空気があり、映画で髪を後から前に包んだ女性が暗い画面で男と顔を寄せていた場面を思い出す、
リアルタイムであれば黄金町や堀の内のいわゆる「ちょんのま」の女性達が薄暗い路地の小さな飲み屋の間口近くに丸椅子を置いて客を物色していた雰囲気がある、
又、不良グループの小娘達が吸うでもなく只ふかして気取っていた連中の「根性焼き」の記憶もやはり普通の娘とは一線を画していた、今の時代女性の権利と言う言葉とは関係なく形だけ男の真似をする事で対等になったと勘違いしているのではないか、