梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

ヘイトスピーカー

2013-06-08 20:10:24 | 雑記
最近ニュースやネットで知ったが韓国人の多い新大久保等に行って「韓国人は出て行け!」等と叫んでいる輩が居ると聞く報道でによれば「ヘイトスピーチ」と言うらしい、
最近は更にエスカレートして「韓国人は殺せ!」とまで言うらしいが此れを聞いた時正直耳を疑った、こんな低俗な連中が考えられないほど低級な行いを本当にしているとは本当に信じ難かった、
近年、反日教育の結果か中国と韓国の一部で「日本人は領土を掠め取った」とか「戦時中に犯した罪を謝罪しない」とか言う事を言い立てて日章旗を燃やす様な事をすると報道が有った、これを見て「本当にあの国は」と思ったのだが日本でもそれ以上の事をやっているとは俄かに信じ難かった、
反日、嫌日は中韓の教育方針のせいだと言うが日清戦争以降我が国が韓国と中国で戦争をやった事は間違いない事だ、如何なる理由で繕うと日本軍が彼の国を蹂躙した事は事実でありそこで起きた事は全て日本軍が侵攻した結果である、
其れは決して「卑屈になる」事ではなく真摯に認め謝罪すべきは謝罪しなければならない。
無条件に、且つ無制限の謝罪と賠償をすると言うのではなく現実に即した方法で此れからの隣国との関係を構築しなければかの大国に利するだけである。
アメリカのやり方を見ているとどうも「蛤鷺戦い漁夫の利となる」を目論んでいると思える節がある、
被占領国が有る程度経済力をつけてアメリカに利益をもたらしたうえ自費でアメリカ軍の先端を担ってくれるのは良いのだがその経済力と戦力で中韓と協力体制をされては困るのである。
韓国も中国も日本を敵視した形で米国と交渉をしている、それには沖縄問題、貿易問題、金融問題を日米で争う方が有利に働くのだが何しろ自民党は全くアメリカの言いなりであって嫌米感情は中々大きくならない、しかし数十年前日本を飛び越えて米中国交正常化をされた事を忘れては
いない。
アメリカにとって(ヨーロッパ諸国やロシアにとっても)嫌日感情が国内に広がる事は日中交渉の足枷になる事、そしてこう言う愚かな輩が国内で跳ね返る事も実にありがたい筈である、
しかし政治的な問題はさておいて特定な民族を名指して「殺せ!」などと言うのは同じ日本人以前に人間として恥ずかしいし情け無い行動である
本当に韓国人の行いがおかしいとか、日本人でない奴に日本の税金を使うなと言うなら(税金を納めていれば税の関係として正しい)日本で一生懸命生きている韓国人達に言う事ではなく日本の政治に対して発言するべき事だろう、
或いは政治的にどうこう言う前にそのスピーカーは一般日本人に向けて語るべきだ、恐らくその論法は普通の人々には到底受け入れられる事は無いだろう、
彼らの行動は自分自身の不平不満を民族問題に無理やりすり替え吐け口にしているだけだと思うが政治家警察はそれを傍観していてはならない。
「ヘイトを取り締まる法律が無い」と言うのは言い訳にもならない、同じ事を例えば特定な地域の日本人に向けたとすれば即時に制圧される筈である、特定の法律など必要ない、通常の「名誉毀損」でも「脅迫罪」でも取り締まる事は出来る問題である、
無論これらは「親告罪」だからかの人達から被害届けが出なければ警察としては取り締まれないが大人しく行進するだけのデモであっても届けをしなければならない筈だし右翼の「街宣」行為は警察の監視下におかれ規制されるはずであるが何故新宿書はそうしないのか理解に苦しむ
人権派と言われる先生方が居るなら何らかの告訴が出来ないのだろうか、これ以上日本人の恥を世界に振りまかないで貰いたい物だ

悪貨は良貨を駆逐する

2013-06-07 19:18:43 | 雑記
安倍総理が「個人所得を年収で150万増やす」と言っている、読んでみると結局カウントの仕方を変えて見かけ上増えるという事に成りそうだ、
池田勇人総理の時「所得倍増計画」と言うのが有った、田中角栄総理は「日本列島改造論」だった、確かのこの頃は急激な右上がりの所得増で名目所得は倍増所ではなく昭和30年代から55年代までで恐らく10倍くらいに成っている、同時に物価も10倍近くになったので相対的にはそれ程でもないのだがそれでも生活レベルは劇的といって良いほど改善されただろう、
私が小学校の頃上の姉が紡績に就職した、その時の初任給はたしか千円に満たなかったと思う、私が昭和38年に日立製作所の臨時工になったときの初任給は総額で7600円程度だった、其処から寮費と会社で出る食事代、保険、税金、年金などを引かれると実質5500円程度が月収である、
昭和40年頃先輩が結婚して小岩に家を買った、平屋の3kだったと思うが確か300万程度だった、日立を辞めて東宝の関連会社に移った時給料が3万台になった、その頃から毎年新卒の初任給が二桁の%で上昇し、其れに併せて現役の所得も増えてゆきやがて不動産バブルを頂点にそれは急激に崩壊する、
そ多くの企業が倒産或いは倒産寸前に追い込まれたが「リストラ」と言う手法で多くの企業が生き残る事になる、従業員の解雇である。
その時貸し倒れによって多くの銀行がアメリカ式の経営指標で不良機関とされ、貸し渋り、貸し剥がしで日銀(国から)から無金利で国から手に入れた資金を滞留させて貸し出し、あっという間に黒字に転換した事も記憶に新しい、しかし貸し剥がしにあった企業は必死の努力も息の根を止められて多くの倒産、破産を生んだのだが経済はのっぴきならない状況のままである。
企業支出の殆どは人件費である、だから経営者でない国民が生活できるのだがまずこの最大支出を抑制する処から企業再生を目論んだ、此れは企業側の理論、アメリカ式の理論で日本が続けてきた「大店」の経営とは異質の物である、
アメリカが占領国として日本に君臨した財閥の解体を行ったが日本の財閥の幾つかは江戸時代からのいわば商社の様な物が多く、一見滅私奉公的に見えるのは其処に働く人達の生活を責任を持って維持する為のものであり奉公人が貧しい暮らしをしているのは店の恥だと言う気概が有った、
確かに明治維新で新政府に取り入った政商の様な存在も発生はしたがそれでもその財閥に属する社員が生活に苦しむと言う様な経営はされて来なかった筈である、
しかしアメリカ式の経営方式は会社の経営が思わしくなくなると先ず人を解雇する、人を減らせば当然会社として機能が下がって来るのだが其れを見極めると集めた金を持って閉めてしまうか別の方向に投資してゆく、
此れが日本には馴染まないと言うより恐らくヨーロッパの歴史の有る国々にも馴染まないだろう、
しかし経営とすれば当然一極集中する資金力で力をつけて来る、その資金力を持って北朝鮮が良く言う「無慈悲な」商行為を繰り返す、そしてこの道徳観の無いやり方は世界に蔓延してしまいヘッジファンドと言われる組織は中規模の国家予算を超える資金を駆使して世界の経済をかき回している、今の日本の企業も此れに対抗する為に同じ様な方法をとらざるを得なくなってしまう、資金の流出は日本の国際的な力関係にも影響する、
資金力が戦力であるとすると当然政治と結託して国家予算を利用する事になるだろう、しかし巨大な資金はそのおこぼれだけでも馬鹿にならない、それだけを目当てに蠢く輩が多くなりやがて綻びが出てくるだろう
「悪貨は良貨を駆逐する」とい言うが正しく今の世界的な経済動向は「悪貨」が荒れ狂っている状況だろう、この大風の前には庶民は余りに無力だ

花の事

2013-06-05 19:00:46 | 雑記
子供の頃、村の家に咲いていた花を思い出してみると今殆ど見ない花が多い、まあ家の庭に植えて有ると言うこと自体農家では余り無かったがそれでもどの家にも咲いているという定番の花が有った、
やはり一番多いのは菊だったろう、都会で手を入れて綺麗に咲かすという様な菊ではなく殆ど手入れらしい手入れもしないで野放図に育った株でてんでに倒れたりして咲いていた、
黄色と白が殆どで匂いは今の花屋で見るものより強かった気がする、
毎年植えつけて割かせると言う様な花ではなく毎年放っておいても咲く様な多年生の花が殆どだった、村の家には必ずあった花で東京ではあまり見ない花に「ダリア」がある、
普通の平たい花弁の物も多少はあったが花弁が筒状になるタイプが殆どで「ポンポンダリア」と言っていたが恐らく正式な名称ではないだろうな、
初夏になるとあちこちで咲くものには「カンナ」があるが此れも都内では殆ど見ないな、
結構生命力が強いらしく川の土手や野良道の脇に咲いていた、黄色と赤が殆どだがカンナの赤は強烈で何処か「毒婦」と言う様な印象を感じる花である、この花と夾竹桃の花は咲く季節のせいで乾いた真夏の雰囲気を持っている、
百日草とか百日ダリアと言っていた花が有った、精々30cm程度の背丈で茎には短い毛の様な物が生えていて同じ様に裏側に白毛が生えた硬い葉が互生する、花弁は硬く色もはっきりしない、白っぽい黄色かオレンジで名の通り一度咲くと永い間咲いたままである、
お陰で埃が花弁を覆って更に地味な感じになってしまうが此れも大抵の家に有った、
我が家は農家ではなかったので家の前にある畑は段々小さくなり親父もお袋も花が好きだったのだろう、色んな花が植えてあった、
河原から赤ん坊の頭程度の石を拾って来て花畑の周りに置いて其処にお袋がクロッカスの花を並べて植えていた、夏になると棚作りの胡瓜の隣に夕顔と朝顔を交互に植えていた事も有る、夕顔はお袋のお気に入りで真っ白な大輪の花が徐々に闇に解けてゆくのを楽しんでいた、40代の頃借りていたマンションのベランダに夕顔を鉢植えにしたが中々花がつかない、やっと本当に大きな真っ白な花が咲いて子供達も喜んだのだが開いた夜に風が出て一晩で折れてしまった事がある、その後は育てなかったがもう一度やってみようかな、
お袋が無くなって自分と親父だけになったとき親父が何処からか「コロンブスと言うらしいが強いらしい」と言って貰って来た花があった、日本名は確か「アメリカ立ち葵」と言ったと思うが焦げ茶の茎で背丈は3m近くなり直径20cm位有る真っ赤な花を咲かす、
花弁は5弁でハイビスカスの様な花だった、そう言えばその陰になって咲いていた花は「七夕草」と言う花で此れも背丈がそこそこあったのだがこの花のお陰ですっかり陰が薄くなった、七夕草の花はままごとで赤飯といわれていたのを思い出した、
クロッカスの花が寂しくなったので田圃の畦に咲いているタンポポを取ってきてびっしりと石に沿って植え込んで、その内側にはレンゲの花を一面に植えた、
普通の赤と白のレンゲの他に白レンゲと言う真っ白の物が有り此れを集めて縞模様に植えて周りの黄色とで花壇を作ってみた、親父と二人の生活は東京に出るまで3年ほど続いたが夕飯と風呂の支度が自分の仕事だったので余り家から離れられない、楽しみが無いので学校の帰りに田圃から採ってきて自分だけの花壇を作るのを楽しみにしていたのだがこの時の経験で花が好きになったのか、それとも両親の影響で好きになったのか解らないが未だに花を見るのは大好きである、

薔薇

2013-06-04 17:31:22 | 雑記
今時分は何処に行っても薔薇の花が咲き誇っている、何時頃から日本に来たのか知らないが東京では本当によく見かける、
普通の家でも見事に咲き誇っていて通勤途上の目を楽しませてくれる、
公園は尚更で大抵植物園には「薔薇園」が有る、毎年新しい種類が増えて来て其々に請った名前が付いている、色も花の大きさもどうやら流行が有る様だ、今は大体大輪の物と逆に小さな花が群生するタイプの物が半々位か、
色は10年位前に出て来た薄紫の花が主だったが今年は黄色と赤と言うより臙脂といえる様な色合いが多かった






伊豆の河津に「バカテル公園」と言う薔薇が主体の植物園が有る、其処から歩いていけそうな所に良く泊まった事のある旅館が有るのだが一度も言ったことが無い、東京の旧古川邸と言う公園も薔薇が有名なんだが此処も行った事はない
女房も自分もそう言う意味では薔薇が好きだと言う事は無さそうだ、しかし咲き誇る薔薇の花を見るとやはり美しい
一重先の「コックテール」という種類も悪くは無いが華やかさが欠けるせいか薔薇園で見ることは余り無いな
バーボンにはバラの名前の付いた物が2種類あるが余り見ない、フォアローゼスと言う物はそれでも時々見かけるがもう1つの「テキサスの黄色い薔薇」と言う奴は30年ほど昔勝った事があったがその後見ていない、
その頃気に入っていたカナディアンに「オールドカナディアン」という奴があり、2年ほど前に東京駅の地下で見つけて買って見たが(こんな味だった?)と言う印象だったので若しかしたら今飲んだらそれ程でもないのかも知れない、
そう言えば名前を忘れてしまったのだが「三菱商事」が扱っていた梅酒でくどい甘さの無い素晴らしい物が有ったが此れも何時の間にか見なくなった、細長い四角の瓶で確か緑色のガラスだったと思うがもう一度飲んで見たい酒だ
地ウィスキーと言う奴も少ないが幾つか有る、若しかしたら地方に行けば有るのかも知れないが都内で手に入る物は少ない、京都に「キングウィスキー」と言うメーカーが有って此れが結構美味しかったのだが最近になって「宝酒造」に吸収されたと聞いた、
宝酒造はホワイトリカーのメーカーかと思って居たのだがそうでもないようだ、紹興酒のパコダ(塔印)は寶酒造だった気がする
しかし最近はもっぱら紙パックの甲乙混合焼酎である、又少し色々と飲んでみたい物だ

似ている、

2013-06-03 18:16:45 | 雑記
フェイスブックに数年前に長患いの後亡くなった友人の息子が出ていた、友人といっても私より半周りも年上だったが永くそして深い付き合いだった、私たち夫婦の仲人でもある、
糖尿病が段々悪化して透析を繰り返し、寝たきりの期間を数年続けて70歳を少し廻って亡くなった、
子供はとうに諦めた40代半ばを過ぎて授かった子なので大変な可愛がり様だった、友人が亡くなった時彼は未だ20歳を過ぎて間もなかったのではないか?
フェイスブックの扉は小さな男の子だったが彼に良く似ている「久しぶり、息子か?子供の頃の君にそっくりだね」とメッセージを入れたら「おじさん久しぶり、俺よりお父さんに似ているよ」と返って来た、
言われて見直してみると確かに良く似ている、彼が亡くなって数年経ってから彼そっくりな子供が産まれて来る、ちょっと感激した、(確かに血は連綿と続くんだな)と思ったがその後で少し心が寂しくなった、今までしんな事には何も感じていなかったのだが、
私には娘と息子が居て各々子どもが居る、孫にも恵まれているのだが2人とも血は繋がっていない、女房の連れ後である、それなりに難しい事も有ったが今では何の違和感も無く親子である、しかし友人がこの世を去ってから暫くして友人にそっくりの子供が出て来ると言う事に行き会うと人間の不思議さと言うか血の繋がりの妙に心が震える気がする、
しかしそう言う意味では私と言う人間の子孫と言う者は居ないし、出来る訳もない、こんな話は無論女房や息子娘に知られる事は出来ない事だがこう言う気持ちになるとは思いも寄らなかったので自分で驚いている、
元々自分で自分の性格が余り好きではないので(自分の子供の頃と同じ様な子供が出来たら本当に嫌だな)と考えて居た位だから(自分の血)には全く思いは無かったのだが彼の子供が数年前居なくなった友人とそっくりだと言う事実に直面した時、(ああ、此れって凄いな)と素直に思えた、
私は子供が好きである、子供もその事を敏感に感じるらしくみんな懐いてくれる、しかしその情が自分で怖かった事も子供を作らなかった原因でもある、
2人の子供達の後に自分の血の入った子供が出来た時自分が本当に分け隔てなく育てられるか自信が無かった、仮に同じに扱ったとしても二人の子供達の感情にどんな影響を及ぼすのかが不安でも有った、今こう言う形で血の濃さの様な物を感じるとやはり此れでよかったのだと思う、



先日大船フラワーセンターに行った、睡蓮と薔薇が見ごろだったが温室の出口で此れを見つけた、どうやらバナナの切り株に乗っかっている様だが花では無さそうだ、芽なのかも知れないが一寸見は花みたいな感じだな