河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

聖書を買った

2020-10-27 15:28:29 | 絵画

最近、最新約の新旧約合冊の聖書を買ったのだが、二十歳の頃も新約と旧約聖書を持っていたが、引っ越す度に、いつごろか見当たらなくなっていた。当時は激動の時代で、記憶も定かではない。仕方なくまた買ったのだ。(突然、信仰に目覚めたのではありません)

70年安保の時が18歳で、山口高校を卒業して、東京で浪人中の頃。安保の頃は時に赤いヘルメット(反帝戦線)、個人的には黒いヘルメット(アナーキスト、べ平連)であった。70年の6.23デモで代々木公園出口で水色のヘルメット達が討ち死にした・・・つまり機動隊に突っ込んで皆ボコボコにされて逮捕されるのを見た。私は赤いヘルメットでデモの最終地点である日比谷公園に向かっている最中に、機動隊に横から腹を警棒で何度も突かれた。デモをしているだけで警察から暴力を受けたのだ。多くの機動隊員は即席の募集でかき集められた若者で、全国からやって来た同じ年くらいの若者であった。高校を卒業したくらいの若者だ。少し年を食ったやつが暴力的だった。

日比谷公園に入ったデモ隊は皆投げるための石を捜していたが、どこも小さなものから手ごろな石は無く、コンクリートの溝のふたを起こして、投げつけて割っていた。それを機動隊に投げるのだが、大きすぎて届かなかった。その内、機動隊の催涙ガスの一斉射撃が始まって、そこいら中が白い煙で見えなくなっていった。ガス弾は放物線を描いて撃つことになっていたのだが、実際は水平射撃で、あからさまにデモ隊を狙っていた。このガス弾に当たって、知り合いが顔を撃たれて、ガス弾の燃える粉末を浴びて、顔半分がただれて半年ばかり治療する羽目になった。

デモ隊はボコボコににされる一方で終わった。翌年の春芸大の試験に落ちたが、滑り止めの東京造形大学に合格して、仕方なく入学した。

この頃である、人生の意義について悩みぬいた。モルモン教も覗いてみたし、座禅も組んだ。しかし哲学書も高橋和己も何の役に立たなかった。生きる上で何を自分に求めるのか、他人に何かを求めるのではなく、自分が自分の生き方を決めるとだけ自覚したのだ。(本当の自覚はブリュッセルに行って、自分の能力に悩んだ時に得られた)

この頃だと思う、悩みながら聖書を買ったのだ。何かの助けになったかと言えば、西洋古典絵画を学ぶ上で、キリスト教やギリシャ神話は制作テーマとして当たり前の内容として出て来て、何をどう表現しようとしたのかを考える上では聖書はちょっとした参考書だった。

絵を見るとき、観念的に何が描かれていることから入るのではなく、見た感じがまず一番先に「訴えているもの」をそこに存在させているかどうかで、その作品を鑑賞してきた。つまり聖書のテーマであれば、結局何がどう描かれてあるかは二の次で、作者が「芸術的世界観」を持っているかどうかが興味の対象だったのだ。まだイタリア・ルネッサンスの曙の前に当時の画工としての技法や点前(たてまえ)を記述したチェンニーノ・チェンニーニは「無いものを在るがごときに描く」のが画工の仕事だと、信仰心で描いたイコン画家とは異なり、既に芸術家としての個人的表現能力に重きを置いていることを宣言したのだ。こうした自立心が無ければ、天才を輩出する文芸復興にはならなかっただろう。しかし、当然のこととして、画工たちにとっても聖書に書かれた場面は事実関係を尊重した物語を想像する力は求められたのだ。

旧約聖書を読まれた方は、そこに書かれていることは謎解きで「虚構」のように感じるだろう。旧約聖書が書かれて時代には「言語」が象徴的な意味を持っていて、言葉を交わす人々には独自の世界を理解したのだろう。

そうそう、私が最も若い時に・・・それは3歳の時であったが、父の仕事で田舎の山の中から、山口市に引っ越して最初に住んだ家がフランシスコ・ザビエルが洗礼を行った家の三畳と四畳半の二部屋を間借りして一家四人は住んだ。当然、水はザビエルが洗礼を行った井戸から飲み、風呂もそこから水を汲んだ。そこの大家さんはカソリックの老夫婦で優しい人たちだった。三歳児の私は実に親切にしてもらった。また離れの二階にはプロテスタントの牧師さん夫婦が住んでいた。私は田舎では三歳保育で保育園に通っていたが(二つ上の姉と二人で1kmの道のりを毎日通っていたのだ)。ザビエルの家では私はまだ3歳だったから、すぐそばの大殿小学校を道を挟んで出入りし、汚いどぶでオタマジャクシをとって遊んでいた。時々牧師さんの部屋に呼ばれて、紙芝居や遊びを教えてもらった。その縁で日曜学校にも通ったが、長続きしなかった。訳は知らない。幼稚園に行き、隣の小学校に行く頃、また引っ越した…今度は大きな家だった。

そういう訳で、キリスト教と聖書はさほど違和感が無かったのである。

フランドル絵画に魅了された私はファン・アイクは勿論だが、好みとしてはボッシュやブリューゲルに傾倒した。そこに描かれている「ヨハネの黙示録」から描かれた世界は私の感性をぞくっとさせた。要するに人間の世の終末であり、この世に「生まれたことに対する回答」なのだと思い、自分に受け入れさせているのだ。

聖書を全面的に受け入れてエヴァがアダムの肋骨からできたなどとは思わないから、アメリカ合衆国の福音派のようなややこしさはない。しかし昔持っていた聖書の冒頭にこう書かれていた「はじめに言葉ありき、言葉は神であった」という一節に、私はこの「言葉」とは「宇宙の法則」のことであり、宇宙すべてを支配しているとすれば、宇宙を構成する最も小さな単位である「素粒子」こそ、すべてを支配している・・・と解釈した。その素粒子が法則を持っていて我々を作っていると思うようになった。どのような法則なのかは「人間として生まれ、生き死ぬ宿命」の中に感じて絵にしてみようと思うようになった。

世の中、子供は怖いおじさんがいなくなったら、その者はお終いさ。総理大臣になると怖いものが無くなるみたいだね。学者さんたちには「総合的、俯瞰的活動を求める」なんて言っておいて、自分はこれからの日本をどうするのか所信表明演説では「スカのミックス」では省もないだろうに。

生きている実感が人格形成の中身によって、個々人でこうも違うと・・・・。権力志向した者は、その権力をふるうとき優越感があるのかね?

他者に対する優越感は人殺しの次に罪深いと・・・聖書に書かれているそうな。絵を描くとき優越感はないけど、自己満足があるんだけど・・・それを人に見せるつもりだから・・・見せるときには優越感があるかも。