河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

コロナによる個人事業者助成金

2022-08-21 11:36:12 | 絵画

多くの助成金が支払われ、多くの詐欺師も暗躍した。逮捕されたのはほんの一部にすぎないであろう。手続きも簡単でずさんで、一つ一つ丁寧に調査できなかったであろう。

特に飲食業は世界一多く、毎年、開業と失業とを毎年繰り返す数は同数ほど多く、今回の調査に嘘をついても明確な証拠もなかっただろう。

何故、飲食店が多いのか?それは商売として最も安易で資金さえ調達できれば誰でも挑戦できる商売だから。飲食業を支えるのはサラリーマンが昼食に弁当を持って行かないから、外食が中心で夜も近所の中華料理屋か飲み屋で一杯という文化があるからだろう。ヨーロッパの国にお昼の外食がないわけではないが、ロンドンではサンドイッチ屋が繁盛していたし、美術館では職員用に食堂があった。ドイツでもベルギーでも博物館や図書館、大学の食堂は外部からの客も利用できて、昼からビールやワインとかも飲めた。

しかし街の中に安価な小さな食堂とかは見当たらず、レストランの数も少なく、たまには行ってみようとすると、そこではランチと言えば少々高めの昼食となる。そうしたレストランは夜の格式ばったディナーが主なのだ。ドイツの図書館で働く労働者は朝6時ごろから働いて午後は自宅に帰って昼食し、そのままガーデニングや伴侶と散歩に出かける人も多い。個人主義の国は個人の主体性で、どこかの国のように集団で寄り集まり行動するのとは違う。

だから街の雰囲気もびっくりするほど異なり、伝統文化の形成が職業意識の面でも感じさせられた。日本の都会では歩いて移動できて、色んな業種が軒を連ねることが出来るが、地方の小さな田舎町ではスーパー(夜8時に閉店)などの大型店によってシャッター通りにされてしまい、個性的多様性はこの国では長生きできない。政治も金融も中央集権的な在り方で田舎の者には情報があっても物に変わらない。8時過ぎると街を歩く人もなく、だから飲食業も数が少なくファミリーレストランやチェーン店ならあるが、何処に行っても同じようなものだ。

限界集落という言葉は限界田舎町になってきた。浜田を離れて山口に行こう。山陰と山陽ではちょっと文化が違う。

伝統文化に守られてゆっくりと時間が流れるヨーロッパの町の「変化がなさすぎる」と感じていたあの頃がなつかしい。