河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

我欲に拘ること

2022-08-05 12:47:24 | 絵画

人は誰しも自我に気づき、我欲を大切にすることが必要だ。もし子供の頃にそれが許されれば、この日本は変わる。

しかし残念なことに、この国ではそれを許さず、集団の価値観で定型人間を作る。戦後の復興に労働力が必要だからか、自民党は型をはめた。この頃勝共連合や統一教会が忍び寄って岸信介の時代には反共、反ジェンダー、古典的家族主義と全体主義的に共闘関係になっていたことが、今になって納得される。

子供の頃を思い出してみてください。自分の意思を貫くことが出来だでしょうか。主体的であったでしょうか。中学時代は男子は丸坊主、朝の朝礼は運動場で校長が鶴の一声。逆らおうものならビンタものだった。山口高校に入学して間もなく、一年生全員講堂に集められ、応援歌の練習をさせられ、上級生に胸ぐらをつかまれこぶしを押し付けられた。不快極まりなかった。そのせいか、卒業式には前夜、教育基本法を立て看板に書いたものを運び込もうとして、バットを持った教員に捕まった。そして「お前たちには人権はないんだ!!」と怒鳴られた。これは作られた社会であり政治だった。

今だからこそ、「子供に主体的な意思を尊重する教育を求め、一人一人の個人性にあった多様な価値観を認め、自分でものを考えることが出来る能力を養わせる」そして「自己責任」を教える。これは欧米の民主主義が「個人性、自由、責任制」を目指した結果、多様な能力が人々に保障されている現実を教えている。

子供たちは自分の好きなことをすべきだ。我欲を知って、突出した趣味(こだわり)を持って自己主張できるようになろう。知性と感性が伴えばなおよい。他者と比較する必要はない。釈迦が生まれて間もなく「唯我独尊」と言ったように、自分こそ大事だと、自分が自分であることが自覚できれば必ず幸福になれる。

なんだか、また新しい宗教のように思われても困る。「河口教?」ではないのです。日本ではまだ民主主義が実現されていないのは政治が悪いのに決まっている。しかし彼ら政治家の頭は変わりようがない。変われるのは子供達からだろう。

私は絵の中でしか「息が出来ない」。