最近物忘れで、何かをしようと思い立って、立ち上がって歩き始めて、「今、何をしようとしたのだっけ・・・」と分からなくなって往生する場面が多い。出かけようとして、帽子を捜して・・・次は何?それでどうするのだっけ?・・・と。
そこで、インスタントコーヒーをマグカップに入れて、何かを思い出して一歩踏み出すと、マグカップのことは忘れてしまう。後に台所にあるマグカップを見て「なんじゃこれ!!」と・・・その経緯が分からなくなっている。
で、先ほど、つい昔のことを思い出した。今日は11月3日文化の日だが、9・11のことを思い出して、ブログに書いておこうと突然思った。
美術館の出張でパリに行き、シャンゼリゼ通りの一本裏道に多くの画廊があり、そこにある購入候補作品の保存状態を確認し、その画廊にたまたまいた彫刻の台座に詳しい詳しい女性にあって、ローマ彫刻の台座の基本寸法を教えてもらい、西洋美術館所蔵のフランス18世紀のコワズボの胸像彫刻の台座の免振対策が必要で、大理石の台に固定できるために必要な処置が行える寸法などを調査していたのだ。その画廊には直接的に参考となる台座は無かったので、コペンハーゲン(デンマーク)の有名な彫刻館を訪ねる事にした。デンマークはこれが初めての訪問だった。
コペンハーゲンには世界的な彫刻コレクションとして有名なCarlsberg Glyototek(カルスベルグ グリプトテーク)があり、ギリシャ・ローマ彫刻のコレクションからフランス近世、近代の彫刻、当然ながらデンマークの彫刻家の作品も収蔵されていた。私の目当ては彫刻ではなく「ギリシャ・ローマ彫刻を置いている台座であったが・・・。そのためにパリからコペンハーゲンに飛んだのだから・・・仕事の域もここまでくれば、日本の美術館の保存担当者として「やるべきことはやっている」と言えたろう。
で、肝心の基本寸法の調査だが、彫刻は一般的にギリシャ・ローマの建築から円柱の柱、四角柱の柱から切り取った台座を採用している。胸像の台座の天板(設置する丸い柱のような部分の上の面のこと)の直径は32cmから34cm程度と判明した。しかしこれだと、コワズボの胸像の方の台座の底面の寸法がはみ出ると思い・・・結局、調査にやって来て、基本は明らかだが実際に適用できるかどうかは別だと思わざるを得なかった。(胸像彫刻の場合、彫刻の台の部分が丸いか角いかで当然台座となる部分は円柱か角柱か決まる。アンバランスはあり得ない)調査中に32cmはメジャーで測らなくても、感覚的に見ただけで判別できるようになったから、展示室内で監視の人に怒られることもなかったね。
結局仕方がないから、館内の所蔵作品の「鑑賞」を始めた。この彫刻館には少しだが絵画もあるし、びっくりしたのはフランス近世近代の彫刻コレクションの豊富さである。その中に、なんとロダンの《カレーの市民》があった。ご多聞に漏れず台座の高さは30cm程度で、ロダンの制作意図は無視されている。それはロダンが死ぬ前に遺書として「カレー市の《カレーの市民》は市民の身近なところにおいてくれ」と書いてあった為に、どれもこれも皆低い位置に展示すべきだと思う学芸員がいるためだ。(近代美術専門の学芸員は文献資料の読み方も「文学的」と言われるだけあって、視点の感性は作者の制作意図を振り返ることはない)
グリプトテークの中心はまるで熱帯植物の植物園に迷い込んだような世界が創られている。この彫刻館を作ったカール・ヤコブセンはカルスベルグビールの二代目社長で、彼の趣味で冬が日照時間が短い北欧の生活に夢の世界である自然光一杯の展示室の中に植物を置いたのである。保存担当の私としては、ついつい温湿度記録計を捜して、環境条件を確認しようとした。(西洋美術館で展覧会をするとき、展示室に気持ちを和ませる観葉植物を置いて欲しいとかいう要望があって、展示室に一時期置いたことがあったが、私はカビとダニ、それを食べるクモの発生を苦慮して「撤去!!」させたことがある。嫌われたね・・・!
グリプトテークは私立美術館で彫刻がほとんどだからね。
このグリプトテークのすぐ傍にチボリ公園という有名な公園があって、気晴らしでもするかということで、別に足した目的もなく歩いていた時、飲み物など売る売店で客がテレビにくぎ付けで騒いている。中の一人が、近くを歩く私を呼び止めて「テレビを見て!!」と言う。
なにこれ!!??っと思ったが、一人が「まるでサイエンスフィクションだ!」と言っていた。テレビを見ていた2,3人はデンマーク語で騒いでいて詳しくは分からなかったが、中の一人が英語で「ニューヨークでテロがあった。貿易センタービルに旅客機が突っ込んだ。これはリアルだ」と言っている。もう私は無言で、テレビを見た。そして2機目がビルに突っ込んでいるのを見た。そして映像は繰り返し放送されて、私はこれは現実に、ほんの今しがた起きた中継映像であることを受け入れた。ニューヨークとコペンハーゲン(ヨーロッパ標準時)は時差が5時間程度だから、朝方のテロだ。9月11日、私の頭の中は「真っ白」だった。
早く帰国しなくては・・・と思ったが、翌日の朝の空港はそれこそ大変であった。飛行機が飛ばないかもしれないと思ったが、アジア人単独で通関はそれほどではなかったが、ムスリムと思える人たちは女性でも厳しく調べられているような感じだったが・・・・これは始まりの一日に過ぎなかった。
その後、何処をどう経由して帰国したか覚えがない。
もう一度、グリプトテークは訪ねて見たいが。物忘れが問題だ。