こんなこと、どうでもいいことなのだ。
もしかしたら僕が気づかなかっただけのことなのかもしれない。
ずっと引っかかっていて、最近少しわかったことでもある。
備忘録代わりに書いておく。
柳田國男とともに民俗学者として有名な折口信夫。
僕と誕生日が同じであることもあり、記憶のどこかにへばりついていた。
信夫と書いて「しのぶ」。
ずっと当て字と思っていた。
「信」は「しの」であり、「夫」は「ふ」だから「しのぶ」だと先日ふと思った。
柳田國男とは師弟関係でもありながら、お互いどこかで相容れない部分があったのだろうと思う。
折口が同性愛者であったことも互いの距離が近付きすぎない理由だったのかとも思うが、僕は二人の作品の多くは読んでおらず、あまり詳しいことは知らない。
柳田と同じテーマの文章を折口が知らずに発表した時は、折口はそういうことをしないと柳田が言っているところは、互いを認めていたのだろう。
しかし柳田は折口の考えをどこか容認せず、十数年かけてやんわりと否定するような文章も発表している。
国学院大学の教職のときに教え子たちとともに能登を旅をし、後の養子となる藤井(折口)春洋の実家も訪れている。
春洋とかいて「はるみ」。これも本名だ。
信夫の愛人であり、硫黄島での玉砕を前にして戸籍上は息子となった春洋。
どこか斜に構えた二人の本名からして、この人たちは出会う前から結ばれていたのじゃないかとさえ思う。
EPSON R-D1 + Leica Summarit5cmF1.5
先月地元のクラフトフェア会場に行く途中。
もしかしたら僕が気づかなかっただけのことなのかもしれない。
ずっと引っかかっていて、最近少しわかったことでもある。
備忘録代わりに書いておく。
柳田國男とともに民俗学者として有名な折口信夫。
僕と誕生日が同じであることもあり、記憶のどこかにへばりついていた。
信夫と書いて「しのぶ」。
ずっと当て字と思っていた。
「信」は「しの」であり、「夫」は「ふ」だから「しのぶ」だと先日ふと思った。
柳田國男とは師弟関係でもありながら、お互いどこかで相容れない部分があったのだろうと思う。
折口が同性愛者であったことも互いの距離が近付きすぎない理由だったのかとも思うが、僕は二人の作品の多くは読んでおらず、あまり詳しいことは知らない。
柳田と同じテーマの文章を折口が知らずに発表した時は、折口はそういうことをしないと柳田が言っているところは、互いを認めていたのだろう。
しかし柳田は折口の考えをどこか容認せず、十数年かけてやんわりと否定するような文章も発表している。
国学院大学の教職のときに教え子たちとともに能登を旅をし、後の養子となる藤井(折口)春洋の実家も訪れている。
春洋とかいて「はるみ」。これも本名だ。
信夫の愛人であり、硫黄島での玉砕を前にして戸籍上は息子となった春洋。
どこか斜に構えた二人の本名からして、この人たちは出会う前から結ばれていたのじゃないかとさえ思う。
EPSON R-D1 + Leica Summarit5cmF1.5
先月地元のクラフトフェア会場に行く途中。