昨日、試しにと録画していた菅田将暉主演のドラマを見ていました。
「名探偵コナン」の決め台詞「真実は一つ!」を、菅田将暉延ずる「久能整(くのうととのう)」は、端で笑って「それは違う」と。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「真実は一つ!」 いやいや「事実は一つ!」だよ
2019年12月14日 | 重箱の隅
「嘘つきは誰だ」、なんていうけど、「嘘」は「真実」と同じで、状況、心情などの種々の条件によって決定される。
「完全なウソ」はない、と思ったほうが良い。
嘘の中に僅かな真実を混ぜ込むのが詐欺師の手口だ。ハイ、そこまで。
脱線しないうちに。
・・・・・・・・・
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和元年(2019)12月13日(金曜日) 通巻6304号
(読者の声1)82年前の今日。南京陥落の日です。
日本軍が南京入城、蒋介石軍は武漢へ逃げ、さらに重慶へ逃げこんだ。
毛沢東は、そのもっと遠隔地の延安の洞窟にこもり、ひたすら身を守っていた。
ところが、戦後の歴史では「敗残逃亡紀」が「長征」となり、洞窟の逼塞は「耐久戦」と書き変えられた。
笑い話から82年、ありもしなかった南京大虐殺の政治洗脳が、日本人を去勢させた。こういう風に老生は近代史を見ておりますが、如何?
(FH生、茨城)
(宮崎正弘のコメント)
まったくその通りです。三十年以上も前から渡部昇一先生たち先人の努力によって、中国の嘘放送は満天下にさらされています。
しかし、だらしないのは日本のメディアでしょう。かれらが中国とGHQの合作洗脳工作に、まだ脳死状態が続いていますから。
(読者の声3)戦争の分析
3.プロパガンダ
政治的な謀略宣伝にも注意が必要です。日本悪者論が否定されたので、被害者偽装が行われています。
しかし南京市民30万人大虐殺事件などは物証皆無、人口統計から科学的に否定されました。歴史の真実は神ならぬ身、人間には分かりません。
そこで明白な事実から因果関係を構築し、その事件の真実の可能性を狭めることが歴史研究者の仕事と考えています。
( 落合道夫)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「事実を!」
2010.12/22 (Wed) 心の持ち様
一昨日でしたか、sengoku38氏を筆頭に海保職員50人もの処分が決定されると知りました。
sengoku38氏は辞職願を出したが海保は受理しなかった、とあったのを読んだ時には「これは懲戒免職のつもりか、それとも海保の政府への抵抗か」と推定に迷いました。
テレビドラマなんかでよくありますよね。自分の正義心から、世間に迷惑をかけた責任を感じて一大決心をして辞表を書いて上司のところに持って行ったら、上司は「当然」みたいな顔して受け取っておいて、事件解決後「これはなかったことにするぞ」なんて言って懐から開封もしてない封筒を取り出して目の前で破る、なんて場面。
勤め人、特に公務員なら噴飯もののシーンでしょう。
受け取ったら自分のところで留めては置けない。必ずすぐ上司に渡さなければ職務不履行で懲罰を受けるのが当たり前です。だから受け取らない。それが正解。
受け取らないことで「それは知りません」と突っぱねることも出来る。勿論、一か八かです。下手すりゃ自分の首が飛ぶんです。でも受け取って留めていたら100%首が飛ぶ。
そういう風に、少しも隙間をつくらない。ガチガチの状態をつくる。
「そうしなければ人間という者は怠けるもの」という捉え方を、戦後は採用してきました。「全て疑ってかかれ」、です。
結局、それだからそれに対する工夫をする。よく言えばそれも「向上心」ですが実際は「狡い」、「汚い」ことをやって規則の網の目をくぐることを専らにするようになる。
NHKのニュースは「二番目に重い『停職』処分」という表現を繰り返していました。厳罰に処した、という表現です。
実際は「免職」なら年金はないわけで「停職」となれば年金もあるし「辞職」すれば退職金も出ます。
この辺、軽く見られがちだけれど大変な違いなんです。金額の多寡は問題じゃない。
「武士は食わねど高楊枝」って瘦せ我慢の代名詞ですが、今の時代は世間の目が江戸時代とは比べものにならないくらい桁違いに厳しい。
武士は人口の一割。もし、罪を得て浪人となったにしても「二本差し」というだけで九割の人は一目置いてくれる。
けど今はそうではない。「免職」となればほぼ全ての人が冷たくなる。
罪人や殺人犯でも見るような目で、世間全てがその免職になった当人のみならず家族まで爪はじきにする。
村八分なんてものじゃない。完璧に「出て行け、死ね」、です。
「人はパンのみにて生くるにあらず」。
「生きていくために必要なもの」は、食べ物以上に「心の支え」です。
辞職は覚悟の上だったと思います。法律には詳しい人だったそうですから、下手すりゃ免職ということも考えていたでしょう。
正直、現政権のやり方からすると免職の可能性は大だ、と思ってました。それが「免職」ではなく「停職」だった。
テレビではあまり採り上げませんでしたが、やはりこれ世論が大きかったんじゃないかと思います。
政府としては、シナへの格好付けのために厳罰に処したい。
けどそれをやると間違いな、更に支持率が落ち込む。
でも、あれだけ「政府主導」と言ってきたんだ、やらぬわけにはいかない。支持率の浮揚とまではいかずとも、これ以上の低下は何としてでも避けたい。
今、政府は必死になって人気取りに努めている。それは分かります。本当によく分かる。
「総理が主導して~」。恥ずかしくないのかと思うくらい、こちらが赤面するくらいなりふり構わぬ連日のパフォーマンス。
「身から出た錆び」だけれど、それを認めないで椅子にしがみつこうとすれば色々な事件の責任は全て周りになすりつけるしかない。当然のやり方です。
「真実は一つ」と言います。大嘘です。
「事実は一つ」だけれど、真実は見る人の立場によって千変万化します。
「真実を伝えよう」というメディアには、だから根本に欺瞞があります。真実を伝えようとすれば、「立場で事実を伝える」しかないからです。だからメディアは本質的に「嘘」を抱えている。
「相互浸透」「量質転化」などはあっても、二極対立(白か黒か)はない。相対的な存在の影響のしあいの末に量質転化が起こっても、それは絶対ではない。
「止揚」で完結するのではなく「止揚」の瞬間に新しい対立が始まる。
冷戦が終わったら世界は平和になったか。
そんなことないでしょう?
sengoku38氏が免職されるべきか、英雄と称せられるべきか。その判断は為政者の仕事です。
けど、為政者もまた絶対ではない。だから世論に負けて免職にもっていけなかった。間違いなしに国民の声、意識の高まりに対して政府は完勝できず、「停職」とした。これは「事実」からの推測、です。
sengoku38氏は辞職することで公務員としての責任を取ろうとした。立派です。
政権は海保に全責任を取らせ、国交大臣をはじめとする閣僚には関係ないとした。これも「事実」です。汚い、卑劣なやり方です。
我々はこの二つの事実から、では人間として次に何をなすべきか考えるべきじゃないでしょうか。