CubとSRと

ただの日記

名前について

2022年01月19日 | 心の持ち様
 12年前の「今日」の日記です。以前のブログからこちらに転載したので一度は掲載しているのですが。
 その際は毎日4,5篇転載したのでほとんど人目に付くことはなかったのではないかと・・・。

 きっかけとして使わせていただいたブログは今どうなっているのか分かりませんが、朝鮮に関するいろいろなことを教えていただきました。
 教科書で学んだ「創氏改名」のことも、学ぶことすらなかった「独立門」が建てられる前に同じ場所にあった「迎恩門」のことも、朝鮮の見方を知る上で大変な勉強になったと今でも思います。
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 「名前について」
           2010.01/19 (Tue)

 「Reconsideration of the History」というブログに、
「コリアンに問う!!民族固有の名前を捨て去ったのは自分たちではなかったのか?」
という小論文があります。
 意外と知らないことではないかと思ったので、ちょっと紹介してみます。

 その前に。
 まず、この題名から分かるように、学校では
「日韓併合時、韓国は日本になったのだからと、名前を日本風のものに『直す』政策が採られた。これを『創氏改名』と呼ぶ。学校では日本語を教えた。結果、韓国の文化は途切れ、衰退していった」
 こんな授業が行なわれた筈です。

 これ、間違いではありません。「そのとーーり!」なのです。
 そして我々は罪の意識に悩む。
 「名前も文化も奪うなんて、我々は韓国、朝鮮に対してなんてひどいことをしたんだ。いくら謝っても足りない、万死に値する。我々の先祖の罪は我々が償っていかねばならない!」

 大和民族というのはなんて素晴らしい民族!そして、百万回死んでも直らない「お人好し」民族!。
 あほらしさを通り越して、感動しすぎて泣けてくる。こんな神様か仏様のような民族の存在は人類の奇蹟だ。日本人に生まれて本当に良かった。
 
 取り乱してしまいましたが、本題に戻ります。
 これを習った時、「?何か変だぞ?」とは思っていたのです。でも、何が変なのか分からなかった。

 私の子供の頃、隣の家も、そのまた隣の家も(と言っても、その二軒だけですが)朝鮮人の家でした。長屋の一軒と、大きな、邸宅とまではいかないけれど裕福そうな家の違いはありましたが、両家とも通称(日本名)を名のっていました。勿論、ごく普通に近所づきあいをしていたし、彼らの方も地元民として普通に生活をしていた。そして、結婚式などは朝鮮式のもので、旧来の文化をなくしたわけでもない。
 何よりも、当時の(私の周囲の)日本人にも、彼ら朝鮮人にも、「名前、文化を奪った」とか「名前、文化を捨てさせられた」とかいった意識は全く感じられなかったのです。
 
 そうです。罪の意識を持つようになったのは、学校で教えられるようになってから、なのです。

 上記のブログには「創氏改名」の締め切り(?)が近い、と改名を勧める(命令、促す等でなく)宣伝ビラが載せられています。
 「これを過ぎると改名はできませんよ。」とは書いてあるけど、改名をしなかったら、罰が与えられるというものでもないらしいのです。
 意地の悪い見方をすれば、「そう(改名)せざるを得ない状況に追い込んで行っていたんじゃないか」とも言えます。そうとっても不思議ではない。ただ、帝国議会にも帝國陸軍にも、朝鮮名の国会議員や将官は多数居たそうですから、やはり「強制して改名させた」と言うのは無理がある。

 更に、改名しなかったからと言って、日本に不利益になるわけではないし、改名したからと言って日本に利益があるわけでもありません。意識の低い、日本人一般庶民がいじめの対象にする可能性はありますが。
(ただ、そんな人々は改名してもいじめるでしょう?「あいつは朝鮮人のくせに日本人名をつけて」って。)

 実は問題はここではない。創氏改名は日韓併合の後、初めて行なわれたのではない、のだそうです。それよりもずっと前、それはもうはるか昔から行われていた。
 日韓併合時の場合が強制ではないように、朝鮮民族は唐の時代からそれまでの朝鮮固有の名前を自分の意思で「捨てている」のです。

 新羅は唐の力を借りて朝鮮半島を統一しました。統一後、独立国として生きようとしたのですが、唐が許す筈もなく、その強大な軍事力の前に破れ、属国となったのです。それ以来、高麗も、李氏朝鮮も、シナの属国として生きることを余儀無くされた。そして人々の名前は、元の時代にはモンゴル風、だったのが以降はシナ風の一字姓が当たり前になり、大韓帝国の時代まで続いたのだそうです。
 
 ということは、
「日本が我々朝鮮民族の大事な名前を奪った」
と主張し非難する以前に、はるか昔に、自らが名前を捨てた過去をどう捉えているのか、ということの方が問題なんです。
 気の毒なのは分かっています。大陸につながる半島の住民でなければ、千数百年にわたって属国だなどという理不尽な歴史は持たずに済んだのかもしれません。日本のような島国だったらとは思います。
 でも、だからと言って、偽りの歴史を持とうとすれば、過去はともかく肝腎の「未来が歪んでしまう」ことを、考えなければならないし、我々も偽りを受け入れてしまえばどうなるのかということを、考えなければと思うのです。

 我々もまた、偽りの歴史を持てば(受け容れたなら)、未来を歪めることになる。
 天皇陛下が、どこの国とも公平、平等に接するよう勤められるのを思い出すまでもなく、人間の尊厳を認めるなら、国と国との間は発展の度合いに関係なく常に対等であるべきで、土下座外交も朝貢貿易もあってはならないのです。
 偽りの歴史は、押し付けることも受け入れることも、歪んだ未来を拓くことにつながります。それは当事者の二国間にとどまらず、世界を歪めることにもなりかねません。




コメント
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