CubとSRと

ただの日記

発想

2022年01月02日 | 心の持ち様
 昨年の半ば、岡潔の対談集の紹介記事を「古事記が読めない」と題して転載しました。
 中にこんな文章があったからです。
 
 《岡潔「実際、古事記を読んでみますと、奔放自在なのに驚きます。今日の人の夢にしても、あの時代に比べたら、なんとも平板的なことに思えますね」
 井上靖「古事記を読みますと、ほんとうにそう思いますですね。そして、今の人の考え方で、あの時代を解釈しますと、ぜんぜん間違ってしまいます。合理的な解釈というやつですね」。
 岡潔「それこそ盲人象をなでるという解釈になるのです」。》
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  「自然」に由来する「感情」。この「感情」が動くことを「感動」と言い、この「感動」が「思い(意い)」となり、人(自他、或いは我汝)を動かし、世の中が形成される。
 この(感情から形成されてきた)世の中を見詰めることで「理」が見出され、その「理」で以てより良い世の中を作るために「感情」の基になる「自然」とは何かを問い返す。その繰り返しが「社会」であるはずなのだが、いつしかその由来(問い返し続けること)を忘れるようになっていく。
 意図的に忘れさせることも行われる。革命だったり、科学万能思想(自然、感情の軽視)だったり。

   2021年06月03日 | 心の持ち様

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 現代の「常識」という奴で物事を措定したり、断定したりする。現代人にはそれしかできないのは事実だが、しかしそれではまともな把握は出来ないことも事実。
 ではどうするか。簡単だけれど難しいこと。
 「本当にそうだろうか」と「疑う」のではなく、「疑問を持つこと」だ。「疑念」は停滞しか生まないが、「問い掛け」なければ前進はない。

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「教養が邪魔をする」

 2010.07/19 (Mon)

 大学の時、ほんの少し、「古事記」を習いました。
 怠け者だった(今でも、ですが)せいか、まともなことは、ほとんど覚えていません。
 ただ、印象に残っている二つ三つは、あれから三十年近く経った今でも、つい先日のことのように思い出されます。

 専門的なことで言えば、「~に成りませる神の名は○○、又の名を○○」という慣例的な表現で、「又の名を~」というのは同じ神の別名ではなく、全く別の神の可能性がある、ということでしょうか。

 八百万の神々の坐(いま)す我が国。この我が国の神々と、ギリシャの神々は、全く違います。一口に多神教、と言っても、成立は全く違うのだ、というのが、この「又の名を○○」で説明されている。そう思います。

 日本では、森羅万象の全てが神ですが、それぞれに、また、四魂があったりする。
 ギリシャの神々はいくつかの抽象的な概念も、神として人の形(厳密に言えば、人の方が神の形をしているのだそうですが)をして、存在し、その形を中心として、色々な神の側面(多面的に神を捉える)を定義しています。

 色々なところで、また、思いも寄らない形で何かに気付いたり、教えられたりする、ということは、日常誰しも経験をすることですが、最近、どうも、この色々な角度から何かを学び取ることの重要性、又、楽しさを、あまり世間は気にかけなくなってきたのではないか、と思っています。

 あの「説明責任」、という言葉なんかは、その最たるもののように思えます。
 「説明」は分かる。「説き明かす」ことです。これはうれしい。
 「分かりたい」と思っているところに、丁寧に、平易に話してくれる。
 「責任」は、「任されたことを全て受け止める」。時には一命を賭して、です。
 「分かりたいところについて、説き明かしてくれる」。これはいいけれど、「説明責任」となると、「分かりたい」のを「説いてくれる」ことに対する感謝の気持ちが感じられないように思うのですがどうでしょうか。

 「説明責任がある。」聞く方は、分かりたいから、というよりも「我々はそれを聞く権利があり、あなた方は説明をしなければならない。」
 あんまり楽しそうじゃないですね。
 「説明責任を果たせ!」(言ってみろ、聞いてやろうじゃないか。でも納得しないぞ!)
 初めから反論する気みたいです。
 
 あ、脱線していました。
 「色々な形から何かを学ぶ」、ということでした。 
 「古事記の話。印象に残っていること」に戻ります。

 印象に残っていることで、最も大きなこと。
 それは、その時の先生が、古事記の定本をつくられたのですが、底本として採用されたのが、「真福寺本」だった、ということです。

 古事記は御存知の通り、とても古い本で、当時は、まだ印刷術もなかったわけですから、本来は、手書きの一冊だけです。当然、それが原本として残ることはありません。
 だから、今の世に知られる「古事記」は、全て、それ以降の写本(勿論手書き)ということになります。

 書き写すにつれて、誤字、誤文ができてしまうのはやむを得ないことなのですが、同じく、誤字誤文でなく、写本をした者が、同じ字だから、と簡略に書いたり、同じ意味だから、と文章を書き直したりすることもあります。
 今、それをやったら、著作権法上、色々とあるのかもしれませんが、当時はそんな法律もなく、第一、自分の家に置いておくだけだから、書き方、写し方を変えたって、問題はありません。

 そんな風だから「古事記はどの写本が原本に一番近いのか」なんて研究が必要になってくるわけです。
 わかるわけないですよね、原本が、ないんだから。

 私は、この先生に真福寺本を底本とした理由の説明を聞いた時、感動しましたよ。
 「この先生、すごい先生なんだな!」
 見た目とのギャップもあって、ちょっと雰囲気で言えば刑事コロンボ、いや、アルテュール・ポワロみたいな推理、ブラウン神父?(そんなことはどうだっていいんだけど)、何だか人間心理の観察というか、人間性にまで分け入ることの大切さを気付かされたというか、とにかく衝撃、でした。

 真福寺本というのは、いくつかある古い写本の中で、最低最悪の本なのだそうです。何故か。
 有名な写本の中では、一番、誤字誤写が多く、また、その間違い方も半端じゃない。
 何でここに、こんな言葉が出て来るんだ?と思うような間違いかたをしているし、文章の意味が通らないような写し方をしている。
 まあ、「クイズ ヘキサゴン」の問題を、誤読するのを正しく推理する、みたいなものですか。

 早い話、他の写本は間違え方も、きっと、この字を書くつもりだったのだろう、とか、誤写というよりも、わざと意味が通るように「書き改めた」のであろう、という何らかの法則のようなものが見えるのだけれど、真福寺本は無茶苦茶だ。つまり、とんでもない間違いをしている。原因は筆写した者の学問レベルが低いからに、ほぼ間違いない。

 というわけで、他の相当に学問(それによる教養)のある者が、写した写本に比べ、真福寺本と言われるそれは、ランクの低い、研究対象としては、二~三級の写本だった。
 それをその先生は、敢えて「撰んで」底本とした。

 「教養が、邪魔してないんです。きっとこうだろう、とかこういう意味だろう、などの推理をしながら写したのと違って、訳も分からずそのまま写しているから、とんでもない間違いをする。しかし、だから、あまりに唐突で、逆に本来のものを推理しやすい。見方を変えれば、一番信用のできる写本ということになる。」

 「目からウロコ」とは、このこと。筋が通っているでしょう?
 「なまじの教養が邪魔をする。」

 本当に、こうやって教養は「良かれと思って邪魔をする」
 「そういえば・・・・」ってこと、ありませんか? 


 
コメント
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