CubとSRと

ただの日記

ふ~む 後半

2022年01月24日 | 心の持ち様
 字面を見るとなるほど納得、と思えるけれど、実際の漢字の国の下劣さは想像を絶する酷さだ、けど、これは漢字の国ならずとも似たようなもので、と少々脱線しながらも続けられた文章は、「~十族すべてみな殺した」という下劣の最骨頂へ。

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 《「皇帝」の地位も、アノ国ではこんなもの》 後半

 そういえば蒋介石軍を追う日本軍兵士に「支那の民が土下座して歓迎する」写真が朝日新聞(2017年3月29日付)に載っていた。
 民の心情は明末のときと同じだったのだろう。
 しかし日本軍は間もなく去った。代わりに蒋介石より残忍な毛沢東が天下を握った。この王朝は出だしから血塗(ちまみ)れの政治をやった。
 まず朝鮮戦争には中共に帰順した国民政府軍130万人を投入して消耗し尽くした。
 国内ではレーニンと同じに地主を毎日吊るし、反革命分子狩りもやって271万人を殺した。
 そして英国を追い越し米国に迫る「超英追美」を掲げて大躍進政策を始める。
 コメを密植して収穫を倍にしろとか愚かなことをやらせた結果、4000万人を飢餓地獄に落とし、現代に易子而食を再現した。
 その10年後には文化大革命を起こし、劉少奇以下2000万人を殺した。
 これだけ死ねば革命には十分だ。人心も倦(う)んでいた。なのに何も起きなかった。

 易姓革命の本場らしくもないように見えるが、実はこのとき、裏で無数の革命が進行していたことを神奈川大の小林一美名誉教授が調べ上げていた。
 この先生は支那の各省史を渉猟し、例えば山東省では共産党政権成立から30年間に217人が皇帝を名乗り出て、それぞれが朱元璋と同じに手兵を率いて蜂起していたことを明らかにした。彼らは勢力を伸ばしたものの、どの皇帝も捕まって手兵ごと殺されたという。
 安徽省でも同時期に80人の皇帝が出た。何年間か頑張った勢力もあったが、みな潰された。それが外部に知られなかったのは中共の鉄壁の検閲のせいだった。

 大躍進のときも文革のときも民は天命が改まるのを期待していた。それで合計で何百人も皇帝が期待に応えようと出現した。
 ただ中共はあまりにしたたかだった。明や元と違って第二、第三の朱元璋をみな殺してきた。それでも支那の民に言いたい。日本のため、世界のため、習近平を倒す易姓革命を諦めず、試み続けてほしい。

   (二〇一七年八月十日号)


  新潮文庫 
  「 変見自在 習近平は日本語で脅す」
        高山正之著 より


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 「共産党は人民から食料を収奪しなかった。必ず代金を払って行った。払えない時は借用書を渡して~」と読んだ覚えがありますが、「それホントかなぁ?」と高校時代でさえ思ったし。
 今のあの国を見ると、やっぱりそんな筈はない、と思います。
 それよりも「山東省では共産党政権成立から30年間に217人が皇帝を名乗り出て、~~どの皇帝も捕まって手兵ごと殺された」とか「安徽省でも同時期に80人の皇帝が出(て)~~、みな潰された」という情報の方が、さもあらん、と。
 何しろ「南京大虐殺」ではなく「南京大屠殺」と書くのが普通の感覚の国ですからね。



 
コメント
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