2017.03/10 (Fri)
神戸に戻って来てから、早朝散歩時に地元の産土神(と言っても、ご祭神は天忍穂耳命、とあったけど)の社に参拝している。
郷里の石見八幡宮に参拝していたのと同じことをしているわけだから、四、五年になるか。
雨が降らなければ往復五千歩ほどを早足で歩く。
作法通り、鳥居の前で一礼。毎朝、アイロンをかけたハンカチか手拭いを持って手水を遣い、神前で自分ルールで一礼。
それから二拝二拍手一拝。二拍手後の一拝の時、胸の裡で決めた文言を呟く。
さらに一礼して、数歩戻った石灯籠のところで向き直り、一礼。
鳥居まで戻って一礼。帰途に就く。
神社の石段を上るところから帰るところまで、決まりきったことを毎回繰り返しているのだが、やっているうちに色々な雑念というか違和感のようなものが湧いてくる。
手を拍つ時の、掌のずらし具合い。拍手の音。上体の倒し加減。
参道を歩いている時の姿勢。視線。腕の位置。拝礼時の手の位置。脇の締め具合。ただ「清明正直(せいめいしょうちょく)」を以て拝礼すれば良いのに、これらが気になって、なかなか祓い切れない。
しかしこれが、ここまで書いてきたように「形から入るしかない」ということなのだから、「これらが気になって、なかなか祓い切れない」というのは、(形ですらなっていないのだから)「清明正直」のすがた(容。容器)なんかできてない、ということだ。
逆に考えれば、これら、気になっていることを、一つ一つ自身の思い通りの形にしていけば(直していけば)、「清明正直」という「見えないもの」を「感じる」ことができるようになる、その下拵えができる、ということではないか。
そう思って、年明けからは特に気を付けてやってみるようにしてきた。
そうすると、日本の「拝礼」や「立礼」と、chinaの「拱手礼」、朝鮮の「コンス(拱手)」等はどうも全く違うものなのではないか、と感じるようになってきた。
拝礼をする。
祝詞を奏上するのが前提、と考えたら、手に何も持っていない場合、両手はどうなるのか。
一般的に日本の立礼は、上体はまっすぐのままで腰から前傾させる。その際、両手は身体に付けたまま自然にすらせて下す。
そうすれば脇があくことはない。
しかし、神前でそのようにすると、妙に違和感がある。腹を据えて行うものだから、両手をすらせて下すと、胸をすぼめる形になってしまう。
畏れ入る、畏まる、のは分かるが、一身をかけて参拝するのだ。腹を据え、胸を張ってもっと堂々と行うべきではないか。
何故、そういう形になるのだろうと考えてみた。
で、思いついたのは、「日本は、本来、(かかとを合わせる)立礼をしない」ということだった。
「立礼」は新しい。本来の礼式は「座礼」だ。正座での礼が基本にあって、立礼はその応用型と考えられる。
「座礼」では上体を前に倒すのに併せて両手を体側から前にすべらせ、上体が床と平行になった時、両手の親指と人差し指で作った三角形のなかに自分の鼻が入るような形にする。これが一番美しく、自然な形になる。
これを立ったままですると、両手が体側から正面の膝近くまで下ろされることになる。勿論、鼻は遠く離れている。
本来、日本人は「気を付け」の姿勢を取らなかった。西洋式に両のかかとを合わせて直立するのではなく、左右の足を肩幅程度に開いた逆八の字立ちで、そのまま会釈する。深々と頭を下げることはしない。古来からの礼法と、小笠原流に見られる礼法とは違うわけだ。今、一般的に行われている小笠原流と言われる立礼は、だから、座礼を基に考案されたのではないか、と考えるのが自然だと思う。
さてそうなると、神前での拝礼と日常の小笠原流と言われる立礼とは決して同じものにはならないだろう、ということにならないか。
日常の丁寧なお辞儀は上体を60度くらい倒すのだから、手は体側をすべらせて前に持ってくると中途半端な位置で止まることになる。神前での拝礼は90度近くまで倒すから手を下すより脚の付け根で留めて置く方が形が定まり易い。
それならいっそ普通の立礼も座礼のお辞儀と同じく、両手は脚の付け根に置き、両脇を締めたまま上体を倒す、というのが一番納まりが良く、美しく見えるのではないかと思う。
今でも鮮やかに思い出せるのは、ルバング島から帰ってきた小野田少尉が故郷の小野田神社(宇賀部神社)に参拝された時の最敬礼だ。
60度くらい上体を倒して、しかし、両腕はすらせて下すことなく、しっかりと体側につけられていた。
神戸に戻って来てから、早朝散歩時に地元の産土神(と言っても、ご祭神は天忍穂耳命、とあったけど)の社に参拝している。
郷里の石見八幡宮に参拝していたのと同じことをしているわけだから、四、五年になるか。
雨が降らなければ往復五千歩ほどを早足で歩く。
作法通り、鳥居の前で一礼。毎朝、アイロンをかけたハンカチか手拭いを持って手水を遣い、神前で自分ルールで一礼。
それから二拝二拍手一拝。二拍手後の一拝の時、胸の裡で決めた文言を呟く。
さらに一礼して、数歩戻った石灯籠のところで向き直り、一礼。
鳥居まで戻って一礼。帰途に就く。
神社の石段を上るところから帰るところまで、決まりきったことを毎回繰り返しているのだが、やっているうちに色々な雑念というか違和感のようなものが湧いてくる。
手を拍つ時の、掌のずらし具合い。拍手の音。上体の倒し加減。
参道を歩いている時の姿勢。視線。腕の位置。拝礼時の手の位置。脇の締め具合。ただ「清明正直(せいめいしょうちょく)」を以て拝礼すれば良いのに、これらが気になって、なかなか祓い切れない。
しかしこれが、ここまで書いてきたように「形から入るしかない」ということなのだから、「これらが気になって、なかなか祓い切れない」というのは、(形ですらなっていないのだから)「清明正直」のすがた(容。容器)なんかできてない、ということだ。
逆に考えれば、これら、気になっていることを、一つ一つ自身の思い通りの形にしていけば(直していけば)、「清明正直」という「見えないもの」を「感じる」ことができるようになる、その下拵えができる、ということではないか。
そう思って、年明けからは特に気を付けてやってみるようにしてきた。
そうすると、日本の「拝礼」や「立礼」と、chinaの「拱手礼」、朝鮮の「コンス(拱手)」等はどうも全く違うものなのではないか、と感じるようになってきた。
拝礼をする。
祝詞を奏上するのが前提、と考えたら、手に何も持っていない場合、両手はどうなるのか。
一般的に日本の立礼は、上体はまっすぐのままで腰から前傾させる。その際、両手は身体に付けたまま自然にすらせて下す。
そうすれば脇があくことはない。
しかし、神前でそのようにすると、妙に違和感がある。腹を据えて行うものだから、両手をすらせて下すと、胸をすぼめる形になってしまう。
畏れ入る、畏まる、のは分かるが、一身をかけて参拝するのだ。腹を据え、胸を張ってもっと堂々と行うべきではないか。
何故、そういう形になるのだろうと考えてみた。
で、思いついたのは、「日本は、本来、(かかとを合わせる)立礼をしない」ということだった。
「立礼」は新しい。本来の礼式は「座礼」だ。正座での礼が基本にあって、立礼はその応用型と考えられる。
「座礼」では上体を前に倒すのに併せて両手を体側から前にすべらせ、上体が床と平行になった時、両手の親指と人差し指で作った三角形のなかに自分の鼻が入るような形にする。これが一番美しく、自然な形になる。
これを立ったままですると、両手が体側から正面の膝近くまで下ろされることになる。勿論、鼻は遠く離れている。
本来、日本人は「気を付け」の姿勢を取らなかった。西洋式に両のかかとを合わせて直立するのではなく、左右の足を肩幅程度に開いた逆八の字立ちで、そのまま会釈する。深々と頭を下げることはしない。古来からの礼法と、小笠原流に見られる礼法とは違うわけだ。今、一般的に行われている小笠原流と言われる立礼は、だから、座礼を基に考案されたのではないか、と考えるのが自然だと思う。
さてそうなると、神前での拝礼と日常の小笠原流と言われる立礼とは決して同じものにはならないだろう、ということにならないか。
日常の丁寧なお辞儀は上体を60度くらい倒すのだから、手は体側をすべらせて前に持ってくると中途半端な位置で止まることになる。神前での拝礼は90度近くまで倒すから手を下すより脚の付け根で留めて置く方が形が定まり易い。
それならいっそ普通の立礼も座礼のお辞儀と同じく、両手は脚の付け根に置き、両脇を締めたまま上体を倒す、というのが一番納まりが良く、美しく見えるのではないかと思う。
今でも鮮やかに思い出せるのは、ルバング島から帰ってきた小野田少尉が故郷の小野田神社(宇賀部神社)に参拝された時の最敬礼だ。
60度くらい上体を倒して、しかし、両腕はすらせて下すことなく、しっかりと体側につけられていた。
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