成人式の始まりは「祝ってやろう」「頑張ります!」で、「元服」とか「烏帽子式」「名替え式」と名称は変わっても「祝ってやろう」「頑張ります!」の心持ちに変わりはなかった。
そうだったのが、いつの間にか「祝ってやろう」が形式と事務に流れ、「頑張ります!」が「この日以降は『バカ』をやるのはやめよう、『卒業』だ」、と「バカの仕納め日」になり、今成人式は漂流を続けている・・・・。
・・・などということはない。テレビの新成人インタビューなどでは「一人前の大人として社会に貢献できるように」みたいなことを語る新成人の方が間違いなく多い。
でも、例えば会社という小さな社会だって新人には研修期間がある。成人式を終えていきなり「一人前の大人として社会に貢献できる」なんてことはあり得ない。心意気はあっても(それだけでは)できない。今は「心意気を買ってくれ!」しか言えない。成人式を「バカの仕納め日」としか捉えていなければ。
さて。
先日、Xで見たんだけど。北九州市の成人式の乱痴気騒ぎは実は眉を顰めるようなものではなく、普段は真面目な消防士や公務員事務職の者も多くいるという。
そして却ってそういう新成人の方が主流で数も多く、彼らはこの日のためにコツコツと貯金した大枚をはたいてあの豪華な刺繡入りの白い紋付きの羽織・袴、大漁旗、改造車などを用意する。
そして式当日は行事そっちのけで大騒ぎをして、式の翌日にはまた地味で堅実な生活に戻るのだ、と。
だから、彼の地の成人式は市をあげて観光の目玉に押している云々。
正直、呆れてものが言えない。
新成人も新成人なら大人も大人だ。成人式の捉え方が間違っている。
新成人の方は、或る意味「ガキ」、の一言で済む。「バカの仕納め日」としか捉えていないならそうなってもしょうがない。(それを良いといっているのではないが。)
問題は大人の方だ。そういう捉え方を許すのみならず、観光資源として捉えようという考え方。当人たちは「若者のやっていることを今日だけは大目に見てやろう、一石二鳥だ」、と思っているのかもしれない。その考え方は薄汚い。
「成人式を金儲けの手段に」、なんてのは大人のする事じゃない。
「祝ってやろう」という気持ちはどこへ行ったんだ。
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