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10年前の旧ユーゴスラビア自転車旅行記、走りつかれた夕食後、しかも
不安定なネット環境下で毎日記事UPしたので、手抜きの暫定版のままであった。
コロナで旅行もままならぬ10年後の2021年に、キチンと書き直してみた。
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2011-06/04 ベオグラードで交流会
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平均年齢が60台半ば、70歳台も数人居るグループなので時差ボケをしっかり治し、体調を整えてからサイクリングを開始することとしていた。そこで出発3日目はセルビア人との交流会を企画した。私は、今回の走行ルート地図とセルビア語で日本から来たこと書いたポロシャツを着て参加。
内戦後で、しかもセルビアは情報宣伝戦に負け、悪者扱いされている為もあり、経済的には苦しく、まだ古い車が沢山走っている。旧ソ連圏で、Fiat124を原型に1960年代から作られ続けていたラーダがまだ現役で沢山走っている。
そんな古い車が多い街中に、内戦後の復興を支援する為の、日本のODAで導入されたモダンなバスが走っている。
日本に対する関心も高く、ベオグラード大学には日本語学科があり、我々の通訳もここの卒業生である。そんな繋がりを生かして、セルビアの学生と交流会を行う。
日本語を学んでいる学生の為に、マンガから村上春樹まで、多種多様の書籍を各人が3冊づつ持参して、日本語学科に寄贈した。
東日本大震災の記憶も生々しいので、学生たちに、被災地に向けてのメッセージを書いてもらう。これらのメッセージは夏に支倉常長の足跡を辿ると同時に、東北の被災地で写真展を開いた際に、会場に展示された。
続いて、日本語学科の生徒の援助も得つつ、繁華街に出て、セルビア一般市民からのメッセージも集める。
遅い昼食を取り、市内を見物した後、ホテルに戻り、荷物をピックアップ。今回、飛行機の制約から、ほとんどの人が自転車を持ち込めなかったので、レンタル自転車となるのだが、その自転車が到着し、今日泊まる郊外のリゾートホテル、Hotel babeに向かう。
最後までレンタルで走った人もいたのかな?
パンク修理キットなど、誰かが持たなければならないから、調整が大変だったでしょうね。
しかも、18人の参加者をサポートするサポートカー運転手兼メカニックが居るので、何の問題もなしです。
唯一の問題はMTBが新しかったので、国境を越える時に関税逃れを疑われるトラブルが。数年前まで戦争をしていた国境越えの厳しさを味わいました。