8月はなぜか悲しい思い出の多い月ですね。
けれど、その悲しみをダイレクトに語れる人々が次第に少なくなってきました。
いつか、遠い先には
第2次世界大戦のことも、
原爆のことも、
東北の大震災のことも
いま私たちが戦国時代の様子をTVドラマの中で見るような感覚でしか感じられない人ばかりになるのでしょうね・・・
それを時の流れと言えばそれまでですが、なにか悲しい。
私の友人のお兄さんは、戦争の終わりごろに、一緒に歩いていたお友達が飛行機からの機銃掃射で一瞬のうちに亡くなってしまったそうです。
そして、ご自分だけが助かったことを重荷に思い、生きてこられました。
一緒にいても、誰かが死に自分が助かるということは、なんともつらいことでしょう。
なぜこんなことがあるのだろうと口惜しいでしょう。
一緒に死にたかったとも・・・
私にもそんな経験がありました。
そして長い苦しみの後に思ったことは・・・
もし自分も一緒に死んでしまっていたら、誰が弔ってくれるというのだろう。(死んだ人は身寄りが無かったのです)
私は、先に逝った人をしっかりと弔い供養して、ちゃんと成仏してもらうために残されたのではないかと知りました。
命ある限り
その人だけでなく
多くの先に逝った人々を供養しよう
いつからかそう思うようになりました。
それが、生き残った
今も生きている
自分の使命であると・・・
そのためには、少しでも長く生きられるように、体を大事にしなくてはいけないとも思うのです。
お遍路をしたり、お寺参りをするよりも、「今ここで」自分に出来ることをするのが一番良いのだと思います。
日常の中で、忘れないで祈り続けることこそ、大切なのだと。
これはたぶん、鈴木明子さんや渡辺和子さんなどの本の影響だと思っています。
けれど、その悲しみをダイレクトに語れる人々が次第に少なくなってきました。
いつか、遠い先には
第2次世界大戦のことも、
原爆のことも、
東北の大震災のことも
いま私たちが戦国時代の様子をTVドラマの中で見るような感覚でしか感じられない人ばかりになるのでしょうね・・・
それを時の流れと言えばそれまでですが、なにか悲しい。
私の友人のお兄さんは、戦争の終わりごろに、一緒に歩いていたお友達が飛行機からの機銃掃射で一瞬のうちに亡くなってしまったそうです。
そして、ご自分だけが助かったことを重荷に思い、生きてこられました。
一緒にいても、誰かが死に自分が助かるということは、なんともつらいことでしょう。
なぜこんなことがあるのだろうと口惜しいでしょう。
一緒に死にたかったとも・・・
私にもそんな経験がありました。
そして長い苦しみの後に思ったことは・・・
もし自分も一緒に死んでしまっていたら、誰が弔ってくれるというのだろう。(死んだ人は身寄りが無かったのです)
私は、先に逝った人をしっかりと弔い供養して、ちゃんと成仏してもらうために残されたのではないかと知りました。
命ある限り
その人だけでなく
多くの先に逝った人々を供養しよう
いつからかそう思うようになりました。
それが、生き残った
今も生きている
自分の使命であると・・・
そのためには、少しでも長く生きられるように、体を大事にしなくてはいけないとも思うのです。
お遍路をしたり、お寺参りをするよりも、「今ここで」自分に出来ることをするのが一番良いのだと思います。
日常の中で、忘れないで祈り続けることこそ、大切なのだと。
これはたぶん、鈴木明子さんや渡辺和子さんなどの本の影響だと思っています。