
先月の夏至が過ぎたばかりの頃、もう7時半ごろでしたが、北向きの奥の部屋の窓があまりにも紅く染まっているので、思わず箸を置いて見に行きました。
太陽は沈んでしまっても、強い光が雲を染めていたのでしょう。
それは見事な夕焼けでした。
こんなふうに、広い範囲の空が見事な色になるのを「大夕やけ」と呼ぶらしいことを知ったのは、40年ほども前のことでした。
< 君逝きて 大夕焼けの ただ虚し > 十一
大学の頃からの一番の親友を失った父が、お葬式の帰り道に詠んだらしい一句が句帳に残っていました。
大動脈瘤破裂・・・今なら前もって手術なども可能なのに、そんなものを体の奥に抱えていることもご存じなく、銀行の頭取としての激務をこなされていたある日、突然に倒れたまま帰らぬ人となりました。
逝った人も見送った父も、まだまだ「死」なんて思っても見ない年齢だったので、驚きはひとしおだったことでしょう。
それからの数年、父はたて続けに同じグループの友人を見送ることになり、つらさを口にすることはありませんでしたが、どんなにか深い悲しみと寂しさに向かい合っていたことかと思います。
父が写経を始めたのは、それから数ヶ月の後からでした。
手がかじかむような冬の夜も、暑さにあえぐ真夏の夜も、一般家庭には冷暖房の設備などまだなかった頃のことです。
どんな日にも、静かに墨を磨っていた父の後ろ姿を忘れることが出来ません。
私は父の生前は不肖の娘でしたが、せめて今、寒さにも、暑さにも、決して愚痴は言うまいと思って暮らしています。
太陽は沈んでしまっても、強い光が雲を染めていたのでしょう。
それは見事な夕焼けでした。
こんなふうに、広い範囲の空が見事な色になるのを「大夕やけ」と呼ぶらしいことを知ったのは、40年ほども前のことでした。
< 君逝きて 大夕焼けの ただ虚し > 十一
大学の頃からの一番の親友を失った父が、お葬式の帰り道に詠んだらしい一句が句帳に残っていました。
大動脈瘤破裂・・・今なら前もって手術なども可能なのに、そんなものを体の奥に抱えていることもご存じなく、銀行の頭取としての激務をこなされていたある日、突然に倒れたまま帰らぬ人となりました。
逝った人も見送った父も、まだまだ「死」なんて思っても見ない年齢だったので、驚きはひとしおだったことでしょう。
それからの数年、父はたて続けに同じグループの友人を見送ることになり、つらさを口にすることはありませんでしたが、どんなにか深い悲しみと寂しさに向かい合っていたことかと思います。
父が写経を始めたのは、それから数ヶ月の後からでした。
手がかじかむような冬の夜も、暑さにあえぐ真夏の夜も、一般家庭には冷暖房の設備などまだなかった頃のことです。
どんな日にも、静かに墨を磨っていた父の後ろ姿を忘れることが出来ません。
私は父の生前は不肖の娘でしたが、せめて今、寒さにも、暑さにも、決して愚痴は言うまいと思って暮らしています。
実に生命力あふれた大夕焼け、
ず~っと見ていたい気持ちにさせられます。
日々愚痴って生活してます、
今日もぐちぐちブログでも、愚痴りました。
ああ、私って‥↘
この夕焼けに向かって叫びたいは~
少しはすっきりするかしら?
こんな夕焼けを見たのは何年前だったでしょう。
同じ大阪に住んでいながら全然気が付いていないなんて、自然の美しさを愛でるゆとりがないのかも…。
この写真ゆっくり拝ませていただきます。
お父様の、思い感じさせられました。
こんな夕焼けを見たら、手を合わせてしまいます。
嫌な事も忘れて笑みさえも浮かんできますよね。
ついつい言ってしまう愚痴・・・言ってる方も聞いてる方もいい気分にはなれないです。
私も気をつけよっと^^
夕焼けなんてチョッピリなんですよ。
見るたび愚痴は言おうまいと何度思ったでしょう。
口に出したらお終いだ・・・とぐっと、我慢でした、夫の入院中は
娘にストレスが溜るよ、退院したらもっとリラックしたら?とアドバイスされて、今ではお互い面白おかしく?愚痴っています
その方がストレスが少なく気持ちが楽になったみたいです。
ただじっと眺めている、それだけで心が洗われますね。
おそらく同じ日ぐらいに東京でも綺麗な夕焼けが広がっていました。ビルの合間から見ていたので、広がる夕焼けを撮影できませんでしたけど、夕焼けを見られたことだけでも幸せだなぁと思いますね。
そして鮮明なシルエット!
写真の撮り方がお上手ですね!
見事な夕焼け、「大夕焼け」って、言うんですね。
どんぐり屋さんが、お父様から教わった言葉を、
こうしてどんぐり屋さんの、見事なお写真を見ながら、知ることが出来る・・・、
その心の大きな川の流れ、こうして、続いていきますね。
人々の心は、言葉となり文化となって、次世代に生きていく・・・。
私も、大夕焼け、どんぐり屋さんの心と一緒に、伝えようと思います。