長野マラソンの日に、一応友人達が走るので撮影に行きましたが、たとえ赤坂橋を通過するにしても制限時間ギリギリだろうと、陣場平まで車で登り、更にそこから2キロ以上山奥のカタクリの群生地へと登りました。午前中は東風も吹かず、花粉が舞わないので。撮影タイムです。

カタクリの開花は、昨年に比べると1周間から10日は遅れています。まだ蕾のものがたくさんありました。これらが全て咲くのは、ゴールデンウィークの初め頃かもしれません。撮影をしているとご婦人がひとり鈴を鳴らして来ました。こんな山の中をよくご存知ですねと言うと、密かに毎年一人で観に来るのだとか。素敵ですね。信州ではカタクリの群生地は珍しくなく、人知れず咲く場所があちこちにあります。私もいくつも知っていますが、信頼できる人にしか教えません。片葉のものや葉の小さなものは花を咲かせずに消えます。花が咲くまでに7年もかかるのです。つまり、実生のカタクリは、咲くまで無性個体で、咲いてやっと有性個体となるのです。その後もずっと咲くとは限らず、有性と無性を繰り返すこともあるようです。栄養状態とかそういうことなのでしょうか。

カタクリは春に咲いて消えてしまうスプリング・エフェメラル(春の妖精・春の儚い命)のひとつで、古名を堅香子(かたかご)といいますが、その由来については、籠を傾けたようにして咲くところから傾籠(かたかご)、片葉鹿子(かたはかのこ)の意味からという説などがあります。カタクリは気温15~20度で咲き始め、花びらの体温が25度で完全に反っくり返るのです。咲いた花は、日が暮れると閉じます。早朝に訪れると朝露をまとったカタクリは、皆下を向いて蕾の様に閉じています。そして日が当たるとまた開くのです。
花びらは、虫の目標となるように花の中に花の模様があるのも特徴です。クマバチやマルハナバチ、ギフチョウやヒメギフチョウが吸蜜に訪れ、受粉をします。カタクリの花は、花びらが透けるので、逆光で撮ると美しさが一層映えます。

「もののふの 八十(やそ)乙女らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子(かたかご)の花」大伴家持(万葉集)
当維持29歳の大伴家持が、赴任先の越中国府の伏木(現在の富山県高岡市伏木に5年間赴任)で、寺井の井戸(井泉の跡と歌碑がある)の周りにたくさん咲くカタクリを宮中の乙女になぞらえ、都を懐かしんで詠んだ歌だといいます。そう思うと写真のカタクリが、三人の美しい乙女に見えてくるから不思議です。
たくさんの乙女たちがカタクリの咲く泉の周りで賑やかに水を汲んでいると解釈するのが一般的なようですが、それだと単なる情景描写であまり面白くないような気がします。29歳で都から遠く離れて単身赴任ですから、宮中の若い女官達が懐かしかったと考える方が、カタクリを女官になぞらえる比喩として想像力が膨らむような気がするのです。現在に比べると遥かに人口の少なかった寒村の寺井に、若い娘がたくさん集まるというのも何か不自然ですしね。真実は家持さんに聞いてみないと分かりませんが。
もののふとは、宮廷に仕える文武の官のことで、物部と書きます。八十(たくさんという意味)にかかる枕詞ですが、数が多い氏と発音の同じ宇治川の宇治から、宇治川を導く枕詞となったということの様です。昔もやたらと役人が多かったのでしょうか。もののふとは、後に武士そのものを指す言葉に変化します。

カタクリは、小さな種にアリの好物のエライオソーム(脂肪酸や高級炭水化物などが大量に含まれる)という物質をつけており、アリが種を巣に持ち帰ることで増える日本に200種以上あるというアリ散布植物のひとつです。この山にもたくさんいるトゲアリは、エライオソームを食べた後、種を巣の外にばら撒きます。それが種蒔きになるのです。
近所のご婦人が、昔カタクリを掘って持ち帰ろうとしたけれど、球根が深くて諦めたと言っていましたが、庭ならともかく山に自生のカタクリは、簡単には掘り出せません。園芸店で買った方が早いです。彼女が照れながらご自分を花泥棒と言っていたのが可笑しく可愛らしかったです(笑)。根はその昔、片栗粉を採りましたが、今は漢方薬としてのみ用いられています。花も葉も食用になり売られています。おひたしや天ぷらがお勧めですが、食べ過ぎると下します。

帰りに貝母(編笠百合)を見に寄りました。たった3日でずいぶんと咲きそろいました。写っているだけで全体の3分の1ぐらいでしょうか。四畳半もなかったところからここまで増えたわけで、農学部卒の息子も驚く繁殖力です。どこまで増えるのでしょう。ただここは昔畑だった場所なので、他とは土質が違います。おそらくガラッパチの方まで増えることはないだろうとは思うのですが。午後になって強い東風(こち)が吹くと、音の出ない鈴の様に一斉に波打って揺れ始めます。そのさまは、例えようもなく優雅で見飽きません。
「時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ」丈部(はせつかべ・はせべ)真麻呂(万葉集)
これが貝母のことであるという説があります。薬用に持ち込まれたのが江戸時代なのでしょうか。丈部真麻呂は、遠江国山名郡(現在の静岡県袋井市)で徴兵され九州に派遣され国境警備にあたった兵士・防人(さきもり)でした。
意味は、季節ごとに花は咲くのに、どうして母という花は咲かないのだろうか(咲くのだったら摘み取って共に行くのに)。防人というのは、21歳から60歳までの健康な男子が徴兵されました。任期は三年で、延長もされたそうです。食料・武器は自弁で帰郷は一人で帰るため、途中で野垂れ死ぬ者も少なくなかったとか。人民には重い負担になったようです。

貝母の花は、花びらが6枚。中央の先端が三裂する雌しべを囲んで6本の雄しべがあります。種は六角形の水車の羽のようなユニークな形の(さく)果で、割れて種が飛び散るのですが、その時に強風が吹いていると、5メートルぐらいは飛ぶだろうということが、現在の分布の仕方を見ても分かります。主に季節柄、東風に乗って西へ、稀に南風で北へも増えています。花にはニホンカモシカが食いちぎった痕が見られることがあります。と書いて写真をよく見ると、なんと花びらが7枚、雄しべも7本ではないですか。奇形か!? 放射能ではあるまいね。ここは地表でも0.04μSv/hなんだが。
「俯いて 知らぬ間に消ゆ 貝母哉」林風

貝母を撮影していたら、足元から何かが飛び立ちました。やがて留まると翅を広げて日向ぼっこを始めました。ルリタテハ(瑠璃立羽)です。4月の初めぐらいから見かけてはいるのですが、何度撮影しようとしても逃げられていました。一日の気温差が20度と寒暖の差があまりに激しく、自律神経失調症になってしまい、辛抱して撮影することができなかったからです。気温差が少なくなりやっと回復してきたので、ラストチャンスと構えました。とにかく早い動きをすると必ず逃げます。スローモーション動画の様に、ゆっくりと気配を殺して近づくのです。

今回は春にはなかなか撮れない生態写真が撮れました。信濃柿(豆柿)の樹液を吸う場面です。夏は至るところで樹液が出ますが、春はなかなかその場所を見つけられません。この穴はカミキリムシか蛾の幼虫の仕業でしょう。左から、一生懸命樹液を吸っています。真ん中は樹液を吸い終わって口吻を丸めているところです。これは途中で、やがてきっちりと丸まります。最後は、少し移動してまったりしているところ。樹液のアルコール分に酔ったのでしょうか。真夏に、コナラのたっぷりと発酵した樹液をたらふく飲んで、酔ってふらふらしているオオスズメバチを見ることがあります。体の大きな人間にとっては全く感じられないアルコール分ですが、彼らには充分すぎる量なのでしょう。樹液の出る場所を樹液酒場とか樹液バーという所以です。

しばらくこの状態で休んでいました。右下が樹液の穴で小さなハエの仲間でしょうか、吸汁に集まっていました。この写真で、レンズフードの先端からルリタテハまで15センチぐらいです。シャッター音で逃げないか心配でしたが、突然、花粉症の大きなくしゃみが出て逃してしまいました。まあ、その前に撮影出来たのでよしとしましょう。しかし、猛烈に目が痒くなりました。最後は、キブシ(木五倍子)の黄色い花穂(かすい)が作る玉すだれのカーテン。花言葉は「待ち合わせ・出会い」。花言葉はオスマントルコが起源らしいのですが、最近は日本花普及協会や業者が決めているそうです(笑)。

帰りに妻女山展望台に寄ると、堤防の上はこちら側も向こう側もマラソンランナーでいっぱいでした。友人達の結果は予想通りでした。参加することに意義があるのでしょう。散り始めた桜の遥か向こうに白馬三山が白く光っていました。息子から送ってもらった白馬村や小谷村の民話や実話が載った貴重な資料も非常に面白く、はまりこんだのですが。ここのところの体調不良でお休みしていました。また読み始めたいと思います。更に何かいいアイデアが浮かびそうです。
★妻女山SDPは、私がうちの山から始めた里山再生と活用の「里山デザイン・プロジェクト」の一環です。除伐から初めて、里山の保全だけでなく、植生や動物、菌類の調査と保護から、山菜やキノコ栽培、アウトドアスポーツから歴史探索までと、里山に関するありとあらゆることを総合的にデザインしていこうという試みです。
★妻女山SDPの活動については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】のトップページの、インデックスの一番下に1から12までをリンクしてあります。番号を順にクリックしてご覧ください。


カタクリの開花は、昨年に比べると1周間から10日は遅れています。まだ蕾のものがたくさんありました。これらが全て咲くのは、ゴールデンウィークの初め頃かもしれません。撮影をしているとご婦人がひとり鈴を鳴らして来ました。こんな山の中をよくご存知ですねと言うと、密かに毎年一人で観に来るのだとか。素敵ですね。信州ではカタクリの群生地は珍しくなく、人知れず咲く場所があちこちにあります。私もいくつも知っていますが、信頼できる人にしか教えません。片葉のものや葉の小さなものは花を咲かせずに消えます。花が咲くまでに7年もかかるのです。つまり、実生のカタクリは、咲くまで無性個体で、咲いてやっと有性個体となるのです。その後もずっと咲くとは限らず、有性と無性を繰り返すこともあるようです。栄養状態とかそういうことなのでしょうか。

カタクリは春に咲いて消えてしまうスプリング・エフェメラル(春の妖精・春の儚い命)のひとつで、古名を堅香子(かたかご)といいますが、その由来については、籠を傾けたようにして咲くところから傾籠(かたかご)、片葉鹿子(かたはかのこ)の意味からという説などがあります。カタクリは気温15~20度で咲き始め、花びらの体温が25度で完全に反っくり返るのです。咲いた花は、日が暮れると閉じます。早朝に訪れると朝露をまとったカタクリは、皆下を向いて蕾の様に閉じています。そして日が当たるとまた開くのです。
花びらは、虫の目標となるように花の中に花の模様があるのも特徴です。クマバチやマルハナバチ、ギフチョウやヒメギフチョウが吸蜜に訪れ、受粉をします。カタクリの花は、花びらが透けるので、逆光で撮ると美しさが一層映えます。

「もののふの 八十(やそ)乙女らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子(かたかご)の花」大伴家持(万葉集)
当維持29歳の大伴家持が、赴任先の越中国府の伏木(現在の富山県高岡市伏木に5年間赴任)で、寺井の井戸(井泉の跡と歌碑がある)の周りにたくさん咲くカタクリを宮中の乙女になぞらえ、都を懐かしんで詠んだ歌だといいます。そう思うと写真のカタクリが、三人の美しい乙女に見えてくるから不思議です。
たくさんの乙女たちがカタクリの咲く泉の周りで賑やかに水を汲んでいると解釈するのが一般的なようですが、それだと単なる情景描写であまり面白くないような気がします。29歳で都から遠く離れて単身赴任ですから、宮中の若い女官達が懐かしかったと考える方が、カタクリを女官になぞらえる比喩として想像力が膨らむような気がするのです。現在に比べると遥かに人口の少なかった寒村の寺井に、若い娘がたくさん集まるというのも何か不自然ですしね。真実は家持さんに聞いてみないと分かりませんが。
もののふとは、宮廷に仕える文武の官のことで、物部と書きます。八十(たくさんという意味)にかかる枕詞ですが、数が多い氏と発音の同じ宇治川の宇治から、宇治川を導く枕詞となったということの様です。昔もやたらと役人が多かったのでしょうか。もののふとは、後に武士そのものを指す言葉に変化します。

カタクリは、小さな種にアリの好物のエライオソーム(脂肪酸や高級炭水化物などが大量に含まれる)という物質をつけており、アリが種を巣に持ち帰ることで増える日本に200種以上あるというアリ散布植物のひとつです。この山にもたくさんいるトゲアリは、エライオソームを食べた後、種を巣の外にばら撒きます。それが種蒔きになるのです。
近所のご婦人が、昔カタクリを掘って持ち帰ろうとしたけれど、球根が深くて諦めたと言っていましたが、庭ならともかく山に自生のカタクリは、簡単には掘り出せません。園芸店で買った方が早いです。彼女が照れながらご自分を花泥棒と言っていたのが可笑しく可愛らしかったです(笑)。根はその昔、片栗粉を採りましたが、今は漢方薬としてのみ用いられています。花も葉も食用になり売られています。おひたしや天ぷらがお勧めですが、食べ過ぎると下します。

帰りに貝母(編笠百合)を見に寄りました。たった3日でずいぶんと咲きそろいました。写っているだけで全体の3分の1ぐらいでしょうか。四畳半もなかったところからここまで増えたわけで、農学部卒の息子も驚く繁殖力です。どこまで増えるのでしょう。ただここは昔畑だった場所なので、他とは土質が違います。おそらくガラッパチの方まで増えることはないだろうとは思うのですが。午後になって強い東風(こち)が吹くと、音の出ない鈴の様に一斉に波打って揺れ始めます。そのさまは、例えようもなく優雅で見飽きません。
「時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ」丈部(はせつかべ・はせべ)真麻呂(万葉集)
これが貝母のことであるという説があります。薬用に持ち込まれたのが江戸時代なのでしょうか。丈部真麻呂は、遠江国山名郡(現在の静岡県袋井市)で徴兵され九州に派遣され国境警備にあたった兵士・防人(さきもり)でした。
意味は、季節ごとに花は咲くのに、どうして母という花は咲かないのだろうか(咲くのだったら摘み取って共に行くのに)。防人というのは、21歳から60歳までの健康な男子が徴兵されました。任期は三年で、延長もされたそうです。食料・武器は自弁で帰郷は一人で帰るため、途中で野垂れ死ぬ者も少なくなかったとか。人民には重い負担になったようです。

貝母の花は、花びらが6枚。中央の先端が三裂する雌しべを囲んで6本の雄しべがあります。種は六角形の水車の羽のようなユニークな形の(さく)果で、割れて種が飛び散るのですが、その時に強風が吹いていると、5メートルぐらいは飛ぶだろうということが、現在の分布の仕方を見ても分かります。主に季節柄、東風に乗って西へ、稀に南風で北へも増えています。花にはニホンカモシカが食いちぎった痕が見られることがあります。と書いて写真をよく見ると、なんと花びらが7枚、雄しべも7本ではないですか。奇形か!? 放射能ではあるまいね。ここは地表でも0.04μSv/hなんだが。
「俯いて 知らぬ間に消ゆ 貝母哉」林風

貝母を撮影していたら、足元から何かが飛び立ちました。やがて留まると翅を広げて日向ぼっこを始めました。ルリタテハ(瑠璃立羽)です。4月の初めぐらいから見かけてはいるのですが、何度撮影しようとしても逃げられていました。一日の気温差が20度と寒暖の差があまりに激しく、自律神経失調症になってしまい、辛抱して撮影することができなかったからです。気温差が少なくなりやっと回復してきたので、ラストチャンスと構えました。とにかく早い動きをすると必ず逃げます。スローモーション動画の様に、ゆっくりと気配を殺して近づくのです。

今回は春にはなかなか撮れない生態写真が撮れました。信濃柿(豆柿)の樹液を吸う場面です。夏は至るところで樹液が出ますが、春はなかなかその場所を見つけられません。この穴はカミキリムシか蛾の幼虫の仕業でしょう。左から、一生懸命樹液を吸っています。真ん中は樹液を吸い終わって口吻を丸めているところです。これは途中で、やがてきっちりと丸まります。最後は、少し移動してまったりしているところ。樹液のアルコール分に酔ったのでしょうか。真夏に、コナラのたっぷりと発酵した樹液をたらふく飲んで、酔ってふらふらしているオオスズメバチを見ることがあります。体の大きな人間にとっては全く感じられないアルコール分ですが、彼らには充分すぎる量なのでしょう。樹液の出る場所を樹液酒場とか樹液バーという所以です。

しばらくこの状態で休んでいました。右下が樹液の穴で小さなハエの仲間でしょうか、吸汁に集まっていました。この写真で、レンズフードの先端からルリタテハまで15センチぐらいです。シャッター音で逃げないか心配でしたが、突然、花粉症の大きなくしゃみが出て逃してしまいました。まあ、その前に撮影出来たのでよしとしましょう。しかし、猛烈に目が痒くなりました。最後は、キブシ(木五倍子)の黄色い花穂(かすい)が作る玉すだれのカーテン。花言葉は「待ち合わせ・出会い」。花言葉はオスマントルコが起源らしいのですが、最近は日本花普及協会や業者が決めているそうです(笑)。

帰りに妻女山展望台に寄ると、堤防の上はこちら側も向こう側もマラソンランナーでいっぱいでした。友人達の結果は予想通りでした。参加することに意義があるのでしょう。散り始めた桜の遥か向こうに白馬三山が白く光っていました。息子から送ってもらった白馬村や小谷村の民話や実話が載った貴重な資料も非常に面白く、はまりこんだのですが。ここのところの体調不良でお休みしていました。また読み始めたいと思います。更に何かいいアイデアが浮かびそうです。
★妻女山SDPは、私がうちの山から始めた里山再生と活用の「里山デザイン・プロジェクト」の一環です。除伐から初めて、里山の保全だけでなく、植生や動物、菌類の調査と保護から、山菜やキノコ栽培、アウトドアスポーツから歴史探索までと、里山に関するありとあらゆることを総合的にデザインしていこうという試みです。
★妻女山SDPの活動については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】のトップページの、インデックスの一番下に1から12までをリンクしてあります。番号を順にクリックしてご覧ください。





