水ノ塔山から東篭ノ塔山、西篭ノ塔山への縦走往復から始まったわが家の夏休み。下界は猛暑でしたが、赤ゾレの気温は18度。吹き上げる爽涼な冷風に、家族一同山を下りたくないの大合唱。コキンレイカ、マツムシソウ、ヤマハハコ、グンバイマイヅル、ウスユキソウ、マルバダケブキ、ハクサンシャジン、ハクサンフウロに、なぜかコマクサまでがお出迎え。花を堪能の山歩きでした。
早朝5時半、妻女山、斎場山を望みながらの畑仕事。長芋畑はハッカの香り。見上げれば毘の旗がはためく妻女山(赤坂山)。連日大河ドラマの影響で観光客が訪れていました。たまたま展望台に寄った折りには、調度居合わせた観光客に、本当の妻女山と斎場山、陣場平などの説明をボランティアでしたりして。
それよりも驚いたのは、国蝶オオムラサキの乱舞、オス同士の壮絶な戦いが見られたことでした。まさに平成の川中島妻女山の合戦。この山にオオムラサキがいるのは知っていましたが、これほどの大群を見たのは初めて。早春のヒオドシチョウのバトルも激しいのですが、それに勝るとも劣らず。勢い余って自分より遙かに大きいツバメまで追いかける始末。しかも、二日ほどおいて再訪すると影も形もありませんでした。あれはまさに謙信と信玄の亡霊か。
ある夜は、息子を連れて父が世話人をする清水庵地蔵堂へ。801年、坂上田村麻呂が建立したとされる正法寺が起源のこの草庵には、行基作といわれる石像が二体あり、集落の心の拠り所となっています。また、ある夜みんなで夕涼みに千曲川の土手を歩いているときには、遠花火とたった数個ですがペルセウス座流星群見ることができました。
その、第四次川中島合戦で有名な、妻女山ですが、現在妻女山と云われているところは、赤坂山で本当の妻女山ではない。真実の妻女山はここだという私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」が、ほぼできあがりました。古文書が多く読みにくいでしょうが、次男が作った3Dによる妻女山地図や武田別働隊の進軍経路図、古地図、古い写真などもあり盛りだくさん。地元でしか分からない事実もあり、歴史好きには楽しんでいただけるページだと思います。ご高覧ください。
また、今回のトレッキングのフォトレポは、モリモリキッズでアップしました。信州の高原の爽涼な風を少しでも感じていただけたら幸いです。
早朝5時半、妻女山、斎場山を望みながらの畑仕事。長芋畑はハッカの香り。見上げれば毘の旗がはためく妻女山(赤坂山)。連日大河ドラマの影響で観光客が訪れていました。たまたま展望台に寄った折りには、調度居合わせた観光客に、本当の妻女山と斎場山、陣場平などの説明をボランティアでしたりして。
それよりも驚いたのは、国蝶オオムラサキの乱舞、オス同士の壮絶な戦いが見られたことでした。まさに平成の川中島妻女山の合戦。この山にオオムラサキがいるのは知っていましたが、これほどの大群を見たのは初めて。早春のヒオドシチョウのバトルも激しいのですが、それに勝るとも劣らず。勢い余って自分より遙かに大きいツバメまで追いかける始末。しかも、二日ほどおいて再訪すると影も形もありませんでした。あれはまさに謙信と信玄の亡霊か。
ある夜は、息子を連れて父が世話人をする清水庵地蔵堂へ。801年、坂上田村麻呂が建立したとされる正法寺が起源のこの草庵には、行基作といわれる石像が二体あり、集落の心の拠り所となっています。また、ある夜みんなで夕涼みに千曲川の土手を歩いているときには、遠花火とたった数個ですがペルセウス座流星群見ることができました。
その、第四次川中島合戦で有名な、妻女山ですが、現在妻女山と云われているところは、赤坂山で本当の妻女山ではない。真実の妻女山はここだという私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」が、ほぼできあがりました。古文書が多く読みにくいでしょうが、次男が作った3Dによる妻女山地図や武田別働隊の進軍経路図、古地図、古い写真などもあり盛りだくさん。地元でしか分からない事実もあり、歴史好きには楽しんでいただけるページだと思います。ご高覧ください。
また、今回のトレッキングのフォトレポは、モリモリキッズでアップしました。信州の高原の爽涼な風を少しでも感じていただけたら幸いです。