庭に元気いっぱいチューリップの花が咲いた、僅か二輪だけだが可憐に豪華に咲いている。
今朝の上毛新聞ひろば欄を見て居てしみじみと感心させられた。この子は将来物事に何でも疑問を持つようならば、理系へ行って科学者か医師か、文系で学者か何れ立派な人に成るものと思わざるを得なかった。
藤岡市の一四歳の楯 和馬君と云う少年の投稿を見ての感想である。自分でライバルと云う数学が得意お兄ちゃん、しかも飛び抜けてと言う処がライバル視の視点かもしれない、お兄ちゃんを観察するところも鋭い、(「この問題分からない」と言った、しかし、次に来た言葉は「絶対に解いてみせる」だった。その後も頑固に問題に挑み続けた。暫くしてひらめいたらしく、鉛筆がものすごい速さで動いている。その時の兄の眼は、さっきまでのつらそうな目から、輝かしい目に変っていた、一つの階段を上がったように見えた。「この問題分からない!」の後には、自分で解くという気持ちが必要なのである。)この後「人間だれでも分からない事はある。それを何とか自分の力で解いたとき、とてつもない満足と、成長につながるのだと思う。」といっている。ちょっとやそっとで一四歳の少年の言える言葉ではない、さらにそのあと「自分も兄を超えるために自分自身の力で解こうと思う」と言っている。
まっこと感心させられた、その頃おいどん何をして居ただろう、大日本帝国海軍飛行予科練習生を受験し最終で胸囲で落とされた後、学徒動員で飛行機の部品を作って居たか。
そのころの若者の感性は、高度成長期に挫折を感じてい着て来た身には、思いもつかないレベルのモノでしょうが・・・本を読むことは、追体験なのか、頭でっかちになることなのか・・・好い方向で考えたいと思って、若いもんに「本を読め!」と、言ってる私・・・いいのかな?