今日でコルセット着用の四週目あと一週で五週目の診察日どんな結果が出るか、期待と心配でビクビクドキドキである。
良ければ着用解除だが、もう少しと言われれるか善衆会病院整形外科比嘉先生の診断結果に掛かっている、勿論レントゲンかMRIか使うだろうが。
今日でコルセット着用の四週目あと一週で五週目の診察日どんな結果が出るか、期待と心配でビクビクドキドキである。
良ければ着用解除だが、もう少しと言われれるか善衆会病院整形外科比嘉先生の診断結果に掛かっている、勿論レントゲンかMRIか使うだろうが。
遠く雷の音が鳴り始めた、上州名物もこの処来ないなあと思っていたが漸く来るか、とに角アッチイ―で猛暑続きだが今シーズンまだ三回くらいか今日でようやく四回である、何とも少なすぎる空気中には 水分有り余るぐらいだろうに上州だけは分け前無しか。
漸く五時頃から鳴り始めた遠雷も六時十分前頃にはポツポツと降り始めその内にザザーッと景気よく降り始めた、雷様もこの頃に成ると景気よく頭の上でゴロゴロピシャと鳴って居る、今夜はようやくエアコンなしで寝られるか楽しみだ、
と言って居る内に机の前のガラス窓が「カチカチ」と鳴り始める、雹だ大きくなったり小さくなったりガラスを叩く、
呆れた物だ今までの足らない分を振りまいたか六時十七-八分には音も小さく雨も小降りなる。
コルセット巻き爺さん相変わらず猛暑日をエアコンで過ごす、午後五時十分に二階の我が小さな部屋へ、室温三十八度エアコン着けて三十分漸く三十度に、ブログを始めたが最近は書く事がない台風二十号日本海を北上温帯低気圧になり北日本へ、まあ風も弱くなったが雨は本振りだろう大変だ、静かにオホウツクか北太平洋へ去って貰いたいものだ。
西国はこの処大変だ特に今夜通る岡山県倉敷市真備町は先の長雨で壊滅的被害を受けた処、お手柔らかにとお願いしたいが自然の力の恐ろしさ何とも避けようがない、あえて言えば人間には避難と言う方法があるがそれもどこまで可能か確証があるわけでもない、まあ全力を尽くして後は天命を待つのみである。
雨も坂東は二百五十ミリ程度か
我が坂東は今回は大分離れて二十号さん通るようお陰で雨風共に少ないよう、それでも上州は山寄を中心に台風周りの右寄りの雲が相当は降らせるよう、とに角長い長い猛暑の七月からの長い夏がいつ終わるか、この台風を機に早い秋の到来を祈るのみである。
オイドンの腰椎の圧迫骨折で六月末から我が家の狭い庭が草むしりがされず凄い荒れよう、此処に来て夏草に実がなり猫じゃらしまで出る様、早い骨折の回復と秋を待つより他なしと諦めている。
昨日(二十一日)は三日にコルセットを付けてやっと中間日にあたる様だ、その日が「善衆会に行って見ては」と言ったもりむら内科の診察日だった、地元整形やペインクリニックでも痛みは引かず困り抜いての相談だった、七月二十日善衆会病院へ伺い診察の結果比嘉先生に第一腰椎圧迫骨折と診断され、トラムセット配合錠を処方されて以来コルセットができるまで使い大分楽になった、薬局では「あまり長くは飲まない方が良い薬です」と言われたがお陰様で楽になったので助かった、もりむら先生にこの顛末を話しお礼を言っておいた。
群大でもそんな話を岡本先生にして「骨粗しょう症の骨密度では無かったがなー」と言っていたが致し方無しである。
陽気の方はこのところ爽やか日続き助かっていたが、台風十九号と二十号が双子の様に続いて発生列島に近ずき始めた所為か湿度が昨日あたりから上がり始めた、
まあ坂東には直接上陸や接近は無さそうだが二十号は西国に上がり日本海に抜けるよう、坂東の左側を通るので雨風は影響受けそうだ太平洋上を北上して貰うのが一番有難いのだが、止むを得ないか。
昨日の雨の後の風が気候の変わり目だった今も西の小窓からいい風が入ってくる、北海道では雪が降った処も在ったようテレビの画面ではテーブルの上にうっすらと雪が写っていた、又数日で盛夏のよう酷暑の日もある様だ。
とに角暑いのも嫌だが腰椎圧迫骨折の治療で月初めにつけたコルセットがようやく二週間、まだ三週間も期間が残る始末この窮屈さ考えただけでウンザリだ。
まあ治さなければ仕様も無い痛みが取れて骨が自然にくっ着くのに約一か月と少しかかるのだろう、医者の云うう事を聞かない患者は昔ずいぶん見て来たので参考になる、人事異動も逆に役立つことが多い、まあ我慢我慢の人生だろう飛ばした異動をした御本人も早めの旅立ちの様だった。
今年の夏は長い人生の中でも特段の長さだった、なんといっても六月下旬二十六日だったか七日だったかの梅雨明けだった、八十七回迎えた夏だが初めての様まあ子供頃は知らないが気象庁も始まって以来と言ってたから本当だろう、この処東北、北海道等へ大雨を降らせた線状降水帯も関東へ入り弱まったようだが、空気が北の気団に入ったかいい気持ちの風が吹き始めた、嗚呼アリガタヤである。
雲の動きで前線動きが分かる
昨日だったか山口県であった二歳の子供の行方不明事件で見つけた大分県の尾畠春生さん七十八歳が有名人に,六十五歳で鮮魚商を止めてボランテアに成ったよう、東日本大震災から最近の西日本大雨災害等あらゆる災害のボランテアへマイカーで出掛けていたが、今度は佳希ちゃんの不明事件でお隣県へ早速参加し見事発見と言う偉業をなしとげた,ご立派と言うより他なしと言う所だ。
世の中にはまだまだこのような奇特の人が沢山いるのだろうと思うと嬉しくなる。
台風十三号予報円の中刻々と坂東へ、勢力も強く成って来たような予報だが上州までは大きな影響はない様だ。
朝の内に善衆会病院で貰った書類をもって装具代請求にと市役所へ向かう、まだと思った雨が全面ガラスにたまに当たるよう、国保課の老人保健担当なのだろう手続きを済ませる、「振り込むときに自宅へハガキでお知らせします」との事、
次に会計課と群銀出張所のある東棟一階へ、序でに病院支払いで残り少なくなった手持ち金をATMで補充する事にして帰路へ、
外はアスハルト張りの庭が黒く濡れていたホンの数分だったのに早いもんだ、然し平成の大合併で市役所も大きく変わったもの、でも昭和の合併で新築したとき取った敷地が今も使えるとわ大した先見性だ、当時の上層部のメンバー見識を見直した。
地獄の四週間だったがコルセット装着にと痛み止めで生き返った、六日月曜日は三か月ごとの大学病院の診察日自分で運転と思ったが倅に頼んで行ってきた、到着第一番は採血である採血場は相変わらずの混み様百番待ちで小一時間で終わり、乳腺内分泌外科へ主治医は中沢佑子先生だが産休で代わりに徳田先生処方箋を頂き退席、中沢先生は男児無事出産との事御目出とうございます、
次に放射線科へ岡本先生に紹介と問い合わせのお礼を言い「変わった事は」「実は第一腰椎の圧迫骨折でコルセットを」「前回のCTスキャンではこんなに綺麗で骨密度の減少もみられなかったのだけど」、と写真を見ながらの話でその間良くロキソニンゲルをなすり込んで我慢した話をしてゲルをお願いして頂く、次いで会計ここもすごい混み様やはり百番待ち小一時時間待って会計、JCBカードで済ます。
倅と構内のイタリアンレストランで昼食して退散駐車場が屋上で暑チイチー市民病院前の薬局で薬を頂き帰宅、暫らくぶりの行動で結構歩いた様万歩計なく実績不明。
帰宅後は例により午睡歩いた割には疲れない、長いイテテーの割に脚力落ちてないなど自己満足の午後だった。
列島鉄板焼きのよう何時まで続くのだろう、本当は予報は今日当たりから幾らか暑さ内ばにと言う様だったが又延びた、来週半ば来襲予定の台風十三号でも近づかないとと駄目か先の長い話だ、しかしお天道様次第の気候の事雨ごい位きりないかとの事、お祈りでもいたしましょうか。
善衆会病院の診断の結果昨日楽しみにして待っていた比嘉医師の発注によるコルセットが出来てて着装してきた、前橋装具(有)の担当が説明着装を担当たが五十五年前より少し大きめだった、此れをして帰り半日強着けていただけで随分楽になった、金曜日まで待つのは長かったが。
これから暫く次の診察日までは最低五週間だが着けなければ成らないこの暑さの中大変だ、然しあの圧迫骨折の痛さのことを想うと「我慢我慢」という事になる、強かった痛み止め二週間も胃のむかつきの我慢もして、今度は弱いのに変えて貰ったりしたのと新たに骨密度を検査し、骨粗しょう症の薬が増えたりしたがとに角あの五五年前の痛みを想い出す痛みが治るのだったら何でもするというが本音だろうと思う処だ。