愛国心と日の丸論争は始まって大分経つが今の内閣になって一層拍車が掛かってきた様だ。何で為政者の人たちは法律まで作って国民を縛りたがるのだろう、自分の国を愛さない人が居るのだろうか?数の中には居るだろうか、生まれ育ち小鳥や鮒っこを追い回した山や川、両親や家族、親戚知人の住むこの日本の国土を、平和であるが故にはっきりと意識することは今では少ないが誰でも愛しているのではないか。
今日25日(土)の朝日新聞に歴史と向き合う 第6部 愛国心再考 ということで憲法学者 樋口陽一氏が対談解説している。その中で氏は「ここでは両者の区分を厳密にせずに、『愛国心』を、大きく二つに分けて考えてみましょう。一つは、自由な諸個人が取り結んで作った公共社会が国家だという考えの下で制度や理念への愛着を感じる愛国心、もう一つは、土地や血のつながりに国民のアイデンティティーを求める愛国心です。前者をシビック(市民的)な愛国心、後者をエスニック(民族的)な愛国心と呼ぶ人も居ます。然し、日本ではこの二つに潮流が自覚されずに『愛国心』が議論されてきたところに問題があるのです」
ということからシビック的愛国心をナチスの支配下のフランス在住のユダヤ人の死と考え方『私は、これまでそう生きてきたのと同じように、よきフランス人として死ぬのだ』と遺言した例、シビックな愛国心でも危険な面を持っているということでフランス革命後のナポレオン軍の侵略、シビックな愛国心の典型のアメリカが『民主主義の輸出』という理念の下でのイラク戦争を起こしたこと、だがアメリカは国内で多様な価値を認め、相互批判の土壌がある。と言っている。
「そもそも日本では、愛国心に二つの類型があることへの自覚が無いままずっと、『血と大地』に支えられ一心同体となった共同体を愛すると言う考えに引っ張られる傾向があるのではないでしょうか」と今回は閉めていたが、何れにしても『愛国心』とは強制されるものではなく自然にわき上がるものであり、愛する気持ちが湧き出るような国『国土も制度も』にして欲しい、物言えば唇寒しの戦前に戻らぬように。
これが私の偽らざる願いである。新聞記事に触発されて。