基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

被災者の皆さんの早い安穏な生活の来る事を祈念して

2011-03-16 18:46:12 | 日記・エッセイ・コラム

 三月十一日(金)午後二時四十六分居間に家族三人で居る時、突然家がガタガタ揺れ始め立つこともできずにいると、家内は50号の居間の風景画が落ちるのではないかと抑えていたが最後はあきらめたか座った。

 テレビをつけると東北地方に地震とのこと、津波警報が出たことを知らせていた。東北、関東大地震の発生の知らせである。

 この瞬間はまさかこんなに大きな地震で、こんな大きな大津波が発生するとは誰が想像しただろう、画面に映る警報後の港や浜ののんびり風景から一転、徐々に増える波もあれば、初めから何メートルもある波が押し寄せるところもある、その変化の多さ、家々をなぎ倒しその上を海に有るわけの漁船、観光用かフェリーか?の大きな船まで陸地を上へ上へと押し登ってゆく、想像もできなかった光景があった。

 こんなエネルギーが何処から来たのか、何処のにあったろうか、始め8,2だったろうか?のマグネチュー度も8,8に替わり遂に9,0となるなど、専門家ににも想像がつかなかったか。

 今日でちょうど発生より五日間経過、過去に経験した事のない大惨事となり毎日テレビ、ラジヲ新聞等で報じられ、目を覆うようなことばかりである、死者行方不明者万人を越えたそうだ。

 とに角わが同胞が、避難所に或いは壊れた自宅などで過ごす人たちの早く安穏な生活に戻れるようご祈念申し上げ、暫らくこの八十爺さんの基左衛門の独り言をお休みいたします。


よーく見窮めよう各期成政党の動き

2011-03-12 18:46:23 | 日記・エッセイ・コラム

 大変な事となった、三月十一日午後二時四十六分居間に居たがグラグラと揺れて立つことが大変で動けない、我が家では佛壇の位牌堂と線香立が飛び出し壊れ、棚の飾り皿や楯置物などが落ちてきたり、柱時計が落ちたり茶箪笥やサイドボードの中の人形や置物が中で倒れるなど、被害甚大であった、幸い瓦が落ちるような事は無さそうなのが救いである。

 「震源は何処だ」とテレビをつけて驚いた、東北地方に地震があり、各地の揺れ状況や震度と津波の発生を真剣に知らせているではないか、東北の地震で此処がこんなに揺れるとは相当に大きな地震だな、と思っていると、次々に各地からの情報が放映され、さらにヘリコプターが取材を始めて宮城、福島、岩手の海岸線を飛んでいて、大きな漁港の市場に水が入り始めると、見る見る水位が上がり係留中の漁船が動き出し岸壁に当たり流されて行く、次の画面は川を津波がさかのぼると同時に畑や田圃を家や材木や家財を巻き込んだ津波がグングン進みビニールハウスやガラスのハウスさらにはあらゆる建物(コンクリイートは残るが)を飲み込んで行くではないか、何と恐ろしい光景だ。

 首都圏では建物から避難ひとした人たちの群れが道路や公園にたむろし、帰宅時間となると動かない共公交通機関の駅やターミナルに集まり途方にくれている。

 我々国民は報道される画面などで知るだけだが、これでは被害は北海道や関東にまで及び大変な事になる、人命にもおよびその総額は何兆円に成るだろう。

 今まで国家の将来や国民の生活、国防や外交など真剣に討議してきたように見えない、昨日は政府与党と野党各党はようやく話し合いの道を開き、本格的にこの大震災の対処方法を協議したようだ、そしてこの大震災の事後処理の為、協調して事に当たるようだ。

 「当ったりめいよ」、と言いたい。

これからどの政党が一番国家国民の為になるかよく見極めよう。


寒い雨の三月一日

2011-03-01 17:20:42 | 日記・エッセイ・コラム

 三月の第一日であるのに何と朝から曇りのち午後から雨、という天気何とも晴れ晴れしない三月入りである。

 それでもあの寒の内のように肌を刺すような寒さは無い、昨日からの雨で湿度は相当に高いせいだろう。やはり春はすぐ其処まで来ている、「桜は未だかいな」であろう、未だだけれど段々近づくところに、やがて咲いた桜に一層の愛着がわくのだろう。

 今日は午前市民病院へ定期の診察で行って来た、皮膚科では老人性掻痒の薬を貰い、顔の大きくなった黒子に液体窒素を付けて貰い次の放射線科へ、此処では今回で診察は終わりとのこと、内科で何時ものとおり高血圧と胃の薬を貰い帰る。今日は十一時半少し過ぎに帰宅、早かった。

 散歩は今日も雨で無理のようだ、あの保泉変電所の鉄塔の上のお荷物の正体を確かめられない残念。

Rimg0158 変電所の鉄塔の上のお荷物「東から見る」

Rimg0162 同じ物を「西から見る

 何時まで経っても好奇心の塊は直らない。