基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

梨買いと野間清治企画展

2014-08-29 18:45:44 | 日記・エッセイ・コラム

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 大好きな梨幸水が終わってしまうのでは、と心配しながら高崎市里見町の新興園へ向かう、着いてみるとあるある未だ終わっていなかった。この榛名山麓の梨の味は里のものと違い、一味二味違うようだ、よく御袋と秋彼岸の帰りにバスの中で、「里見の梨は美味いよ」と言っていたが、そのせいで?美味いのか。

 配り物用を買い込み送付用を送り状で依頼し、同じ榛名山麓の高崎市保渡田町県立土屋文明記念文学館へ向かう、なる程初めてだが立派なものだ、今ここで桐生市出身の大日本雄弁会講談社創立者で社長野間清治氏の企画展を開いている。

Dsc_0719 初めての土屋文明さんの記念館

Dsc_0728 館内受付ロビー

 戦前小学校三~四年の頃か、講談社の絵本や幼年倶楽部、もう少し大きくなって少年倶楽部などみんなお値段は五十銭で、なかなか買って貰えるお値段ではなかった、そんな事で境町の中町だったか諏訪町だったかにあった古本屋お茶籐さんでいろいろして綴じ直した偽少年倶楽部を買って読んだものだった。

 初めの最後買ったもらったのは講談社の絵本「紀元二千六百年」だった、確か表紙は弓の先に金鵄が止まった神武天皇だっっと思う、嬉しくって何度読み返したことか、大通りの大店の同級生の家へ行くと何十冊も本棚へ並んでいるので羨ましいことこの上ない程だった。

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Dsc_0724_2 懐かしい講談社の絵本


伊工高先輩森田徳司弁護士逝く

2014-08-27 18:34:24 | インポート

 日本列島に沿い停滞して西から北まで大雨を降らせた前線が、ようやく太平洋側へ出てきたかムシムシとした日が続いた坂東平野も、雨と涼しさを持って来てくれたかここ二~三日凌ぎ良い日になっている。

 昨日は床屋ヘアー・プレールへ行きいい子になった来た、午後になり家内が「お父さん森田さんが亡くなったようですよ」との声に、あそうだ今日はまだ新聞を読んでいないと、見ると地方紙上毛新聞お悔やみ欄に乗っているではないか、春先市民病院であい元気に歓談握手し別れたばかりではないか、我々が卒業する頃先輩は母校伊工の事務官をしながら司法試験の準備をしていたが、その後数年して合格弁護士開業の話を伺う、こちらは群銀や民間を回り道して市役所職員、病院勤務などの中で先輩が顧問弁護士として大変お世話になつたところである。

 さらに途中五十三歳で商工会議所へ専務理事として呼ばれ、そこでも顧問弁護士だったかは憶えていないが当時色々あった大型店対策の商調協の問題などと県との協議の帰りに、前橋市の本町の郵便局本局の向かいにあった事務所に寄りお茶をいただいたり相談に乗って頂いたり大変お世話様になりました。

 葬儀は家内の病院通いで行けないので昨日夕刻通夜に出席させて頂いたが、当時の市民病院院長近藤先生としばらくぶりに逢い昔話と近況を話すうちに、お互い色々とその間あったようだがこうして会えたことは生きている証拠でまぁー目出度いことと思うところである、帰りがけに県の商政課の商調協担当の長谷川係長に声をかけらられ久しぶりに挨拶を交わすことができた。

 宝生流謡曲をたしなみ仕舞までやる先輩のあの姿をもう一度見たいが、もう見ることができない非常に残念というところ、これも人生の泡沫かもと諦めるか,おいどんも今年は七回目の午年の歳男、誕生日で八十四歳となるところ、この歳となると三つや四つの違いはどおってこともない、お互いに頑張るしかないか。

森田先輩のご冥福を謹んでご祈念申し上げ、 アンと花子ではないが、「ごきげんよう、さようなら」である。


新コースを歩きひと汗かく

2014-08-18 18:40:07 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は暑い日となった、前線がこの辺だけ途切れたようだ、夕刻から雷雨などといっていたが雲が多いがその気配なし、昨日は前線が有り曇りで涼しかったので前回コースをまたと思い歩いてきた。

 東毛広域幹線道路も完成に近づき興味がそれ程でなくなったので、前回から広瀬川の豊受橋から豊東橋の間を歩くこととした、南側は県道サイクリングコースとなっているので歩き良い、一周すると約六五〇〇歩程で4kmくらいで丁度一汗かくにあっている距離だ。

Dsc_0715 豊受橋から豊東橋方面を望む

Dsc_0716 豊東橋から当毳し方面を望む


秋風は何時から

2014-08-16 17:55:50 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は朝から雨、午前の雨の止んだところをお盆送りを済ませたが、午後はまた降り出しだんだんに強くなり、時々遠雷まで混ざりなんとなく劇的な様相、秋風は今年の夏は吹いたのだろうか、ちょっと考えてみるが判らない、昔から「土用半ばに秋風が吹く」と言っていたが全然という感じ、地球ボッコレたか。

 天気図を見ると一昨日あたりから列島沿いにある秋雨前線には少し早い前線が、今日は南下して列島の真上に来てあちらこちらに豪雨をふらせているようだ、去年一昨年とは対照的にアッチイ的な暑さでなく、ムシムシ的なウエットな嫌な暑さである。

 我が方も今夜あたりから豪雨が降るのかどうか、マアマア程度にして貰いたいところである、あの有名な高橋治さんの「風の盆恋歌」の頃、越中富山の八尾町のいわゆる旧暦のお盆の頃にならないとダメなのか、なんとなく夕闇のなか胡弓、三味線の音にあわせて踊る編笠姿の男女の列が浮かび上がる様な時が、本当の秋なのか、ナアーと想うこと頻りである。


言ったとおり明日アッチイチイになリそ-

2014-08-10 18:21:06 | 日記・エッセイ・コラム

 今日も十一号のせいで室温二十八度、午前中から時々ザーッと豪雨が降る台風独特の天気で凌ぎ良い、だが明日は言ったとおり台風一過三十七度になるようだ、またまた炎熱地獄がやってくるかと思うと恐ろしいことだ。

Dsc_0712 恐ろしいような雲行き

Dsc_0713 それでもこれで今回は終わりか

 昨日は退院後二ヶ月ぶりに広瀬川サイクリング道路を、時々小雨の降る中六千五百歩「約4、000m」ほど歩き自信満々のところである。

 しかし八十爺無理はできないあの暑さの再来では御免被りたい、誰かさんに「いい歳をして若ぶって」などと後で言われないよう節制して過ごそう。

 そうそう土屋文明記念文学館で今開かれている、大日本雄弁会講談社社長で創業者で桐生市出身の野間清治氏の展覧会でも見に行ってこようか、あの頃五十銭した講談社の絵本や 買ってもらえなかった少年倶楽部、家にあった講談全集など見てみたいものばかりであり、群馬の少年を優先採用して育てた人としても惹かれる人だ。


この暑さ日本一でなく二位だった

2014-08-08 17:31:33 | 日記・エッセイ・コラム

 あまりの暑さに今月最初の投稿になってしまった、御免なさい。五(火)、六(水)日の両日我が群馬県伊勢崎市が、五日に同県内館林市気温三九度二分についで気温三九度と暑さ日本二番目になってしまい、暑いことソレこそアッチーチーであった。

 それが今日は鹿児島県沖にある台風十一号の影響か朝から涼しい、先になった十二号が東シナ海から朝鮮半島経由で日本海に入り、前述のアッチーチーとなってしまったが今回はどうなる事か、予報によると列島横断で日本海入りのよう、想像するのも恐ろしい。

 我が小さな書斎(四、五畳)のこの小部屋は、二階の西北隅のため夏暑く冬寒い作りとなっている、おいどんがブログなどを書く時間帯は夕刻六時前後、この頃は西の窓からものすごい西日が入り、蒸し風呂いやコンロに掛けた焙烙の上の様、まさに炎熱地獄か、と言う事でPCを開けるのも億劫と言う処、それが今は部屋の気温二十九度と久しぶりに凌ぎ良い、台風十一号君よこのまま太平洋岸を北上してくれないだろうか、八十爺はでないと今月はまた長いお休みを戴かねばならなく為るかも。