知事選もあと三日となったが結果如何に、想いはいろいろだろうが関心は高まってきたようだ。 戦後公選知事となってもう何回選挙をしたろう、初代は北野さんだったろうか?そのころは中等学校生で勿論選挙権はなかったが初の知事は何党の誰かなどと騒ぐ大人のニュースが自然耳に入ってくる年頃だった。何かこの後コーヒー豆事件などという事でじきに退任してしまったりしたが、何を遣っているのか刑事事件にはならなかった様だった。
今回の選挙ぐらいおかしな選挙も少ないのではないか、小寺さんを過去4回推薦した自民党県連が対抗馬をたて、しかも公認までして小寺落しを画策するというのは如何したものか、自民党の言うことを聞かない首長は入らないと言うことか、いろいろ有った様だが。
二十六歳ぐらいで群馬へ来て群馬の土になろうと当時全国最年少の知事になった人だ、五選は長い様だが人によりけり、過去失政もなく立派に県政を回してきた人である。 ここで上州人気質がどう出るだろう? 願わくは最後の小寺知事を実現し、五期二十年の任期を全うして有終の美を飾らせたいのが上州人気質では無いだろうか。浅い付き合いだったが俺はそう想う、曽我代表と同志の皆さんのご健闘を祈る。
頭痛を押して出かけた結願御礼だったようだ。月曜日頭が痛いのがなかなか治らないないので大竹ペインクリニックへ行き、ブロックと薬でスッキリ。翌日は咽喉の痛みだけ酷くなり広瀬耳鼻科へ、診察と薬を貰い帰るが、翌水曜日は更にひどく発熱も加わり小田島内科へ、午後より更に熱が上がり夜中には38度4分となり唾も飲めない痛さとなる。ネッパツのだるさと痛さで一晩中眠れず、朝方チョッとウトウトした程度で小田島医院は行き今度は薬を少し変え点滴をして帰る。午後気持ちだけおじやを猫の餌ぐらい食べ薬を飲んで寝る、5時頃か目が覚めると汗びっしょり着替えて寝る、今度は10時か11時か寝巻きの袖が水から上がった様だ。家内に着替え一式貰い敷布団のうわしきも換えなければ成らないような騒ぎだ。朝また着替え点滴のために小田島医院へ伺う、相変わらず唾も飲めない痛さだ、また猫の餌ぐらい食べられそうか。2度目の点滴でダイブ眠れ3度目の点滴をお願いし日曜と今日の海の日の休日に備える。
昨日の日曜日から普通の御飯を少し食べてみる、「体が疲れているんだね」との小田島ドクターの御託宣、年寄りの冷や水かあまり若ぶらない方がよい様だね。
少し家の中を掃除などして動いて見たり、このブログを書いて見たりしたがもう限界、頭がポーだ、歳を考えて歳を考えて、ここチョッと二月ほど動きすぎ。
納経帳を見ると結願御礼の寺、善光寺とその対の寺、別所北向き観音とあるので行かなければ終わったことに成らないので六日に出かける。
今回は倅も行っていないので行きたいと言うので連れて行くことにする、朝八時過ぎに出発、やはり朝は時間が掛かる本庄インターまで何時もの倍近い時間が掛かる。関越道くだりに乗り藤岡ジャンクションで上信越道に入る、家内はトンネルの多いのに驚き勘定などしていたが結果はどうなったか、SAで一度休憩し予想より大分早い十時半に善光寺に着いてしまう。さすが牛に引かれて善光寺参りなどと言われるだけあって立派なものだ。 このとき「写経二巻ですね」と言われ般若心経と観音経の二枚を二巻というのを始めて知った、長い参道を歩いて門前の直ぐ前の古そうな呼び込みの無い蕎麦屋へ入る、駐車場へ行きながら目をつけておいた店だ。 更科蕎麦ととろろ蕎麦を頼み待っていると、店の正面の蕎麦打ち場へ職人らしき人が入り捏ね始めたので、家内が驚いて「これから打つのかねえ」と言っていたが、杞憂に終わり直に出てきて安心する、やはり美味い本場の老舗の蕎麦である。
十二時少し過ぎに信州別所温泉の北向き観音に向けて出発、今度は時間があるし近いので国道などの普通道を行く、早い1時間ほどで着いて一番近い駐車場は入る、有料だが労災の身障者を歩かせるわけには行かないのでここへ置く。 石段を登り参拝、写経を納め御朱印を頂き少し歩いてから旅館南條へ向かう、車で一分掛かったかどうか、
南條の間口の狭いことしかし奥行きは長い、部屋は八畳間とパンフレッイとにあったがバストイレつきで十畳ぐらいか浩宮が泊ったというのでもっと上等かと思ったがまあまあか、シニア割引プランではしょうがない、31600円ほど払う飲み物入りで。
七日は予定無しだが九時頃出発佐久までドライブを楽しもうと無言館へより戦没学生の製作した美術品を見学、家内も本など買ったようだし相当感激したようだ、 次は家内が味噌が欲しいと言うので旅館で聞いてきた味噌蔵新田醸造へ向かう、道を一本間違えたりしながら辿り着きお目当ての味噌などを買い込み佐久え、昼飯の騒ぎをしながら道の両側を注意していてようやくレストランをみつけ飯にありつく、佐久インターから高速にのり三時少し過ぎには我が家へ、今回は少し短い357キロメートルであった。
今日は久し振りに本格的に梅雨空だ、午後二時過ぎ雨の中チビ達(児童)を堤防の上で待っていても風と雨でぬれてしまう。でも梅雨は嫌いでないやはり豊葦原の瑞穂の国の住人かな。
この時期になるとあの忌まわしい原爆忌が近づく、そこへ変な小父さんが変な事を言ってしまい、それが防衛大臣だというからややっこしい。俺だって広島長崎の原爆投下は未だ許していないし今後アメリカが謝罪しても許さない、当時十四歳の工業学校生だったが、化学の先生に「近くマッチ箱くらいの物質で軍艦ぐらいやっつけられる物が出来る」と聞いていたが、軍部の発表した新型爆弾がどんな物か全然分らず、原子爆弾と分るまでには大分経っていた。
森羅万象すべてを破壊し、人間を黒焦げにし遠く離れた人たちまで皮膚がただれ垂れ下がり「みず水」と言いながら死んでいった何十万人の人たちのためにも許せない。でなくても大都市も中小都市も敗戦受諾の瞬間まで無差別爆撃を繰りかしたのだから、これがヨーロッパの都市だったら、白人の国だったら、トルーマンは如何したろう、降伏を早めるための脅しと言うのだったら、人のいない山や海に落としたろうか聞いてみたい。
安倍さんあなたの内閣は何人辞めたり死んだりしたのですか、あなたは其れでもリーダーだと思っているのですか、衆議院も解散総選挙をするべきでしょう、そして人心一新して世界の平和のため悲鳴を上げ始めている地球のため、わが国の持てる知恵と技術で貢献しましょうよ。 ね。