基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

鬼母の所為で

2009-04-25 17:32:58 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は眠い、そこへこの低温と本降りの雨、体調も可笑しくなる訳だ。昨夜は夜中に目が開いて眠れなくなりトイレへ行って来た後どのくらい起きていたか、お陰で今日は眠いし体調は悪い、原因は大阪市の四年生の松本聖香ちゃん事件である。

 おかしな事件が最近多いのではないか、数年前の秋田の殺人事件といい、今回の事件と言い子供はもっとも信頼している母親に裏切られて、どんな気持ちで死と向き合い死を向かえたのだろう、と想うと目が冴えてしまい眠れなくなってしまった。

 親のかってで離婚して、親のかってで変なオジサンの所へ連れ込まれ、それだけで子供にすれば大きな環境の変化であるのに、変なオジサンに虐待されお母さんは助けてくれない、死んでも・・・

 声に出さずに お母さん助けて と ・ 心の中何度叫んだことだろう、或いは声に出したのだろうか?如何なんだろう。テレビのニュースの運動会での画像では、あんなに明るい二人だったのに。

 哀れな哀れな子である、無慈悲な無慈悲な鬼より悪い親ではないか、変なオジサンにも六歳の子がいたと言うのに、年端も行かない子供の扱いも出来ないとは、他人の子は別と言うのか。

 鬼 鬼 鬼の集まりか、女の仲には子宮でしか物を考えられないのが居るそうだが、困った物だ。


忙しかった一週間

2009-04-20 18:27:28 | 日記・エッセイ・コラム

 先週は最近では珍しくおじんの出番の多い週だった。手帳を見ると空きのない一週間だが前半の方はパソコンのスキャンや歯医者かよい、友人の集まりだが後半はお寺さんの観音祭の準備や本びで Img_1068ある。

観音祭のお寺さん

お疲れのところ日曜の市民病院同門会ゴルフコンペでなんとかお終いとなったが、今日は体があっちこっちと痛いのでアンメルシンを一生懸命つけている。

 十六人の参加で十一番ではそんなに良い順ではないがゴールドシニアーではまあまあか?、今年からゴールドマークスタートが二人増えて三人となったので、何となく遠慮しなくて良い雰囲気だ。Img_1069

 Img_1070 Img_1072 スタート前の挨拶とルール説明

 細井幹事の進行で幹事長の本多外科の先生の挨拶と森村幹事のルール説明で競技開始、ラストのスタートなので八時は回ったいたろう、午前51午後は53でなんとか104で回れたが、もうしまい頃はへとへとでやっと終わったと言う感じだった。 

 閉会パーテイで少し食べて飲んで、開業の先生方の心づくしの賞品と言うか景品と言うかを頂き解散、何時もながら和気あいあい楽しい一日だった。


長屋の花見

2009-04-10 18:48:25 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は家内の父親の祥月命日で墓参りに行って来た、何年忌だろう確かその年に秩父の霊場めぐりを始め、三年ほど掛かったがその時が午年のお開帳の年だった。

 もう八年に成るのか早いものだ、その後坂東三十三霊場もめぐり終わったが、さすが西国まではチョット考えてしまっている所である。

 昨日はこの土地分譲の団地でなんだか集まり始めた仲間3人で花見をした、もっとも桜の良く見える公園に近い家に集まり、ごちになってしまった。もっともそれぞれ酒や肴を少しづつ持ち寄ったが、やはり呼んだ家には一番御散財をかけてしまった。

 ご馳走様でした。二階の ロケイションは最高でした。


心意気

2009-04-04 18:39:29 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の朝刊の天声人語に久しぶりに心意気なる言葉を見て、又その言わんとする文章を見て心意気を大いに感じたところである。

 我々おじんはもう奮い立つなどと言うことは無いと思っていたがそうではなかった。かっては若いなりに大いに心意気を感じた物だった、例えば地方自治とは誰のものかなどと議論をしたり、労働は賃金は世界の平和はなどなど尽きることの無い議論に沸いた物だった。

 そんな議論を忘れて何年何十年経ってしまった、その間にアメリカナイズされた人達が政治や経済をかき回して金至上の世を造ってしまった様だ。おなじ経団連にしても朝食も質素にめざしの鰯のおかずで、かっての土光臨調を指揮して国の行く末まで考えた土光会長と、資産何百億円の経営者で何千人の派遣社員を使いさんざ儲けた末、この不況でバッサリ首切りをするような会長では大分資質が下がってしまった様だ。

 記事によると、入社式で「変革期こそチャンス」と言うアサヒビールの社長の挨拶、また同志社大の浜矩子教授の「グローバル化の時代、仕組みだけ整えても運営は出来ない、精神論ですが、心意気、魂、人間らしさが出てこないと輝きはましません」とのこと、ようやく人間らしさ日本人らしさで物を考える時と言っているように思える。

 もう昔々に成ってしまったが、伊勢崎祭りに市が積極的にかかわることになった頃、祭り補助をもっと出せと言うような意見があったが、「市も出すが皆で盛り上げる物だろう、祭りは市民の心意気だ」と、当時の市助役が言ったことを思い出す。それから四十年あまり経ったが余り行政頼りは変らないのではないか、市民性か?

 立派な山車屋台が無いのは、昔から金の出し手の大店が無かったのか?不思議な気もする昨今である。


天然記念物の枝垂桜と手作り人形

2009-04-03 18:54:22 | 日記・エッセイ・コラム

 一日の仕来たりの行事を済ませたと想ったら今日はもう三日である。前からの家内の仲間の花見の日で、又運転手であるが桐生から新里であるので近距離で気楽なものだ。

 最初に徳原邸により次いで細井邸に集合、此処で男二人女四人の六人で桐生の一ノ蔵と言う小料理屋に向かう、三郷地区は北関東自動車道の通過で目覚しい変化である。高速道の下を抜けて側道を行くとやがて東小保方で桐生伊勢崎線に出る、この道路も久しぶりだが変ったこと変ったこと店や会社が続き田圃や畑が全然見なくなってしまった。

 桐生では産文が市文に変わって初めての桐生で、市役所は勿論のこと地場産センターや商工会議所の建物は知っていたが文化会館の立派なこと、それこそ前橋、高崎に継ぐ都市のものと言える物ばかりだ。

 市役所のすぐ前の一ノ蔵で弁当の食事とコウヒー頂き、新里の天然記念物のしだれ桜を見学へ向かう、もう新聞などで有名なので桜は二分咲き位だが人は五分ぐらいの入りか、Img_1051 Img_1052                                           

とにかく立派な枝垂桜で、土橋のしだれざくら一名おかめ桜とも呼ばれ親しまれているそうで、瀬谷文雄さん個人所有の物であるのに駐車場や売店まで出て、大きな自宅では絵画や手作りのつるし雛、此処の女主人瀬谷一子さんの手による人形などを展示している。

 その粘土作りの人形の素晴らしい事、人の感性が出ると言うかお婆さん、お母さん、子供達、お父さん夫々が優しく表情や姿勢、手足の先まで実に正確に表現され、実に良くできていて自然にこちらの気持ちが安らぐと言うか優しい気持ちになるのだから不思議な物である。

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Img_1061 Img_1055 Img_1057 Img_1060 Img_1058細井さんの友人なので売り物のコーヒーなどを頂き大分ゆっくりさせて頂き退散することにする。細井さん宅へご夫妻と常見さんを送り此処で野菜やシイタケを頂きお別れ、徳原さんを送り四時四十ふん頃帰宅。