基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

前線通過で秋本番

2008-09-27 17:04:20 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は朝から西の風が吹く秋本番の様相だ。洗濯日和で久しぶりに布団が干せるようだ、早速行動を起こし布団を干し、予定の愛車の定期点険へ急ぐ、気温二十四℃湿度は低いようだが?

 そう言えば昨日の夕方は歩くと汗ばむほどだった、気温は同じようだから湿度が高かったのだろう。街を歩くと百日紅(サルスベリ)はもうお仕舞いか枝先にチョッピリ花をつけている、昨日はお彼岸の最終日だから百日には未だ足りないもう少しだ。Img_0808

 下城市長のお好みで植えたこの街の街路樹のアメリカハナミズキも、もう葉が赤茶に色づき始め小さな実が赤く色づいたのと、未だ緑色の小さな豆のままのと混じり合っているところだ。Img_0806

街路樹のサルスベリ

とアメリカハナミズキ

 雨が降り始めてきたので急いで歩き、尤も散歩でなくウォーキングなのだから当たり前だが矢張り普段と違う、何時もの距離より少し縮めて二十五分ほどで切り上げて帰る。暑い暑い。

 少し涼んで二階に上がり西の空を見ると天気予報のとおり今まさに寒冷前線が通り抜けるところだ、雨は止み西風が強くなりはじめ、線を引いたように青空と前線の雲がくっきりと別れている。Img_0809                              

夕日を受けて赤く染まった

前線の雲

 これで「明日は晴れて秋らしくなるな」と思ったら今日はそのとおりとなった。お蔭様で布団も洗濯物も良く乾いた。                                                               


この世は歳ではないな

2008-09-19 18:32:50 | 日記・エッセイ・コラム

 今朝の新聞のお悔やみ欄を見ていたら、伊勢崎工業の機械科の同級生が亡くなっていた、織物組合の理事長をしたり、刀剣の目利きで文化功労で叙勲を受けたりした男だったが。その後いつもの仲間の六〇会の昼食会に出て、秋の旅行の打ち合わせを済ませると山本波ちゃんが「細井のりちゃんが死んだよ」「えっ誰れ」「佐内さんの奥さんののりちゃんだよ」との事、「佐内さんは二っ三っ伊勢崎工業の先輩で市の消防長で退職したひとで奥さんは四っ五っ年下のわけだが如何したの」、「リンパ腫で入院していたのでけどね、お見舞いに行ったら誰もいないでね、苦しそうで可哀想うだった」との事。そう言えばご主人の佐内さんも心臓が悪く大変で、何かというと奥さんが付いていたが、その奥さんが先に逝ってしまっては大変なことになってしまったものだ。

 先月の二十八日には境の堀込忠さんの息子が四十八歳で蜘膜下出血でなくなり大変なショックだった。合併で伊勢崎市職員となり文化観光課の課長補佐だったようだが、何か前ぶれがあったろうに若いので油断してたのだろうか?

 歳ではないようだ、毎日毎日大事に生きようと思うこのごろである。

 


枯れ木に花を咲かせましょう

2008-09-13 12:15:18 | 日記・エッセイ・コラム

 この七月に門の脇の小さいシャラの木が、「元気ないなあ」と思っているうちに枯れてしまった。酷暑に下が乾きすぎたか、残念。玄関脇の大木なのは元気なようだが。

 と思う内に蔓草が伸び、このシャラの木に絡みはじめ朝見るたびに伸びてきた、どうやら去年咲いた朝顔の種が落ちていたようだ。八月末になるとこの蔓に紫色の朝顔が咲き始め、元気のいい青い葉がこの枯れ木に巻きついて、まるで木の葉のようになった。Img_0793

 Img_0795 赤い花も欲しかったが種は無かったようだ、と言うより発芽力が弱いのだろう。まあこれで暫く枯れ木に見えない様なので、ブザマな枯れ木を人様に悟られないで済むか?

 

 しかし植物にも枯れる木もあり、ぐんぐん伸びる蔓草ありで、なんともこの植物の世界も人智を超える何かが有るのかなあ・・・  。


季節は移ろう政治も変ろう

2008-09-08 17:30:53 | 日記・エッセイ・コラム

 世の中騒がしい、福田康夫さんが辞任を発表してもう一週間たってしまった、昨日はテレ朝から電話アンケートがあったが、呆れていたので適当に答えておいた。もう一つのオリンピック、パラリンピックもやってるのに気分は乗らず、其れではいけない事だが何事もお座成りに成りそうだ。

 季節はそれなりに順調でもなく遅まきながらが移り、久しぶりに青空が広がり西風が気持ちよく吹いている、現在気温31℃湿度45%赤城山が良く見えている。

 昨夜の猛烈な雷雨が前線の通過だったか、凄い降りだったが永いムシムシの雨模様の原因だった前線と湿気の塊が漸くこれでImg_0788 抜けたようだ。Img_0781

昨夜の雷雨の庭

 待ちに待った秋が漸くそこまで来た、これから果物もたくさん出回るだろうが、こう物価高では農家の人達も大変だろう価格転嫁もこの不景気では簡単ではないし、この低賃金の中のインフレ傾向を何とかする政治家の出現を待つきり無いか。世界同時株安などと穏やかでないことも言う経済学者がいるし、その根本原因を造ったイラク戦争やサブプライムローンのブッシュのアメリカ、地球温暖化に関心を持たないアメリカ、大統領選挙でお祭り騒ぎのアメリカにいつまで依存するつもりか?。

 今の政治家特に長期に政界を牛耳ってきた自民党や官僚は、我々が戦後食うや食わずに働き造り豊かにした、我が国を何処へ持って行こうとしているのか、まるで何を考えているか分からない端末の論議で無く、与野党が真正面から激論して此れからの目標を見せてもらいたい、そして安心して働きかつ生活できる日本国にして貰いたいものだ。子孫のためにも。

 その時村の鎮守の森の祭りで豊作を真から喜ぶ取れ秋が来る。


古今亭志ん生と小泉信三

2008-09-03 12:13:19 | 日記・エッセイ・コラム

 五日ほど前になるが、土曜日の朝刊にbeと言うページがある、この日のトップ記事は うたの旅人 泣かずにいられなかったImg_0779  古今亭志ん生「冬の夜に」と言う記事があった。

 今から五十年ほど前の事だそうだから昭和三十年代(55-65年頃)か戦後の混乱もようやく収まった頃だろう。

慶応義塾大学の塾長を勤めた経済学者、天皇の守役というか教育者であった小泉信三先生と、落語家古今亭志ん生との交流の話であった。我々の知っている志ん生はその息子で名人だあったが、襲名後若くしてなくなってしまった、残念だった。( 馬生時代であったかこの息子とは新宿末広の前の中華の店であった事がある、ラーメンをすする師匠に「師匠よくここを使うのですか」と聞いたところ「ええ美味い店ですからね」と気さくに答えてくれた。)

 我々にすればお爺さん同士のお付き合いかと言うところか。

 若い頃から無類の落語好きだった小泉先生はよく自宅へ招いて宴を張ったそうだ、一席終わると必ず大津絵の「冬の夜に」をねだったそうだ。「冬の夜にィィ、風が吹ぅくぅ」と始まり、火事場に飛び出す火消しの夫を見送る女房の心情を切々と唄う、無事に戻って来るかと案じ、後姿に祈る妻・・・「今宵うちの人になァァ、怪我の無いようォォ」と祈りお腹の子が男なら、夫の仕事は継がせたくないー。と母の決意を訴える頃になると嗚咽が聞こえハンカチはクシャクシャだったそうだ。

 一人息子の小泉信吉は海軍士官志望で慶応義塾大学を卒業して四十二年「昭和十七年」一月夢をかなえて出征、十ヶ月後には南太平洋で戦死、二十四歳だった。 

 今度は翌年塾長として戦時動員令を受けて、慶応は三千人を戦地へ送り、慶応義塾百年史によるとこのうち五百人は戻ってこなかったっそうだ。Img_0780

 四十五年五月二十五日の大空襲で顔と両手に大やけどを負って敗戦、療養する三田の自宅から見る東京は焼け野が原で空が大きく広がっていた。その空をたくさんの渡り鳥がわくように現れ、消えていつた。先生は傍らの娘妙さんに言った「学徒出陣で大学の正門から、隊列を組んで出ていつた塾生を思い出すんだ」

 思い出す昭和十八年雨の神宮外苑を行進して出征して行った先輩学徒を、十二歳だったなあ、「いつもこの話になるとじんと来るんだなあ」その翌年十三歳で海軍乙種飛行予科訓練生を受け、今思えば幸いにも胸囲が足らずに見事落選、境の伯母御には喜ばれたが残念だった。

 順調に行けば十四才の兵隊が昭和二十年には出来ていたんだ。

 さてこの大津絵といううたは何だろうと思って、よく見たらSONG とある紙面左に歌詞と由来があった、昔大津街道の土産の刷り物だったようだ、これを俗曲として唄ったようだ、

 とにかく小泉先生と志ん生師匠の交流も戦時中の悔恨の情をさらした一場面であったろう。殺しあう戦争のおろかさ繰り返さないよう気をつけよう。

 今日も暑くなってきた、気温31度湿度65%である。可笑しな秋であるサッパリした巻雲のたなびく青空が早く来ないかなあ。盆送りに白足袋とはと思い出す伯母御は「足がべとつかず滑らないんだよ」といっていたのを。


秋なのに秋が無い

2008-09-02 15:48:34 | 日記・エッセイ・コラム

 秋が来ない、暦の上で秋が来て八月お盆も過ぎ、旧盆の風の盆も今盛りと言う頃なのに秋が見えない、昨日も朝曇りで湿気も多く、昼少し日が差したがまた曇り夜雷雨となる。今日も今は三時、日が射しているが湿度高く、雲は積乱雲がモクモクと、時々日をさえぎるようだ、また同じように降るのか。

 とにかく湿度が高くサッパリした秋の風がないし、秋の巻雲や鱗雲が見えないおかしな年である。Img_0777

しばらくぶりに見た

雲の下の赤城山

 越前風の盆もこのようなのか、であるとひんやりした夜風の中を踊り歩き祖先の霊しのぶのに、この蒸し暑さでは大変だろう。

 庭の虫たちは季節に正確に、もう賑やかな大合唱を毎晩しているが、この様に蒸し暑くては聞き漏らしてしまうほどのずれが人間と虫の間にはあるのか、このムシムシが虫には気に成らないのかな。