基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

どじょう総理がんばれ

2011-08-31 18:33:37 | 日記・エッセイ・コラム

 二三日涼しい日が続いたので今日は八月最後の日に何かと想い、(記録にしようと)この部屋いわゆる城に入る、この時間となった入って見たが何と暑いではないか。台風12号のせいか何とも今日は蒸し暑い、まあそれでも扇風機で済ませられるのだから良い方かと納得、PC を叩き始める。

 もうこの辺の小中学校は二十五日頃より登校しているようだ、可哀想に我々八十爺さんの時代を想い返すと、もっと元気に三十六日元気遊んで過ごしたような気がする、もっとも昭和十六年(1941年)十二月八日以降はそんな訳に行かなかったが、しかしもう高学年(この年五年生だった)になっていたがまだまだ遊びたい盛りだった、だが遊べなくなる。勤労奉仕や学校工場での授業が始まるのである。

 まあ政局の方はこの月末ぎりぎりに野田さんが総理になって、財務大臣時代の顔が急に総理大臣の顔に見えるようになった。貫禄もあり演説もうまい気配りも苦労人で良いようだ、党人事もまあ出来たようだが今は内閣人事を熟慮中か、いずれにしてもこの人を頼りにこれから次の総選挙まで過さなければならないし、今さら云うまでも無いが、政治経済、国際関係、そこえ三月十一日以降の震災対策、さらに十三日からの原発対策も加わり、それこそなんでこんなに民主党に重荷を天は押し付けたのかと言いたくなるが、逆に天は民主党だからいい方向に導いてゆくし、変な方向とゆうか、国民の望まない方向や結果を押し付けるような事にはしないという事を見通してのことではないか。

 泥鰌(どじょう)総理の手腕を期待しています。

 金魚に成りっこないが、食べると泥鰌は美味いが、金魚は不味くて食べられないそうだ。


暫らくぶりに豊東橋に

2011-08-27 18:41:27 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の大雨で前線の北側へ入ったのか、今日は朝から涼しく気持ちが良い、三時のお茶を頂き何となく歩いてみようと家を出る。たまには堤防の上を東へ行って見ようと団地の一番東のかってのユニシアジェックス(現日立)の社員寮の先から広瀬川の堤防の上へ出てみる。歩ける様かなと思いながら堤頭へ出て驚いた、かってはこれから先の境町分はこの頃になると、雑草が背丈ほども伸びて先も見えずとても歩ける物ではなかった。ははあこれは隣の先生の今泉さんが刈ったのかと一人得心感謝しながら、豊東橋目指して歩く。

Rimg0273  奇麗に刈り取られて堤頭

Rimg0274_2  左は農地右が広瀬川

 暫らく歩くと暑いアツイ、やはり湿度が高い感じ、気温二十七度位だからそんなに暑くない訳だけど、しょうがない歩き始めたのだから、

Rimg0277  豊東橋が見てきた

 この豊東橋を左に降りて途中で歩道が無くなるので田圃道に入り、保泉町の集落に入りぐるっと回り我がリバータウン広瀬に帰り着く、携帯の歩数計を見ると、総計5、444歩2,8km結構歩いた物だ、変電所より廻り方で遠いかもと思いながらまだ五時前だがシャワーを浴びる。

 ああいい気持ちだ

                                                              


ムシムシ夏イヤーナ夏いつ秋が

2011-08-25 18:41:15 | 日記・エッセイ・コラム

 とにかく今年の夏はイヤーナ夏だった、猛暑日も嫌だったがそれに輪をかけたのがムシムシ湿度であった。今のこの部屋の気温二十八℃、湿度七十五%である、いかに先ほどまで小雨が降ったとは言えもう夏も終わりに近づいた八月二十五日である、梅雨明けが早くすぐに猛暑日が続き辟易した毎日だった、時々台風や前線の影響で涼しい日があったが、それでも湿度は高かった。たまにアレ暑いけれど案外サッパリという日も在ったがほんの一-二回であった。

 こんな夏は子ども大変だったろう、宿題を遣る涼しい時間などあったろうか、我々オジンが戦前の夏休みを振り返ってみると、家にあった朝日新聞社マークの入った(赤い線の)アルコール寒暖計を見て二十八℃を超えると「母ちゃんプールへ行っていい」などと二十八℃を越えると午前中でも泳ぎに行ってしまい、昼飯も忘れるぐらい良く泳いだ物だ。もう七十年も前の話だが。

 群馬県佐波郡境町は、我々が小学校へ入学した時はもう学校プールが出来ていた、それより四年ほど前に皇太子(現今上天皇のこと)誕生記念に町で作ったものだが。伊勢崎町は町立のプールが北小学校の北にあったが町の物だった。この町は例幣使街道の宿場町であったが方数キロの小さな町だった、だが往還にには大店が多く近隣の在郷から繭の入荷も多く豊かだったのか、時の町長の正田寅四郎さんが教育熱心の方だったか、施設は整いよい環境で学校生活が送れたようだった。

 又この頃は三十二-三℃位で暑い暑いと言っていた様な気がするが、宿題を貯めるのはいつに時代も同じで、半ベソをかきながら迫った九月一日の始業式に備えた物だ。今の子を想いながら想い出す懐かしい昔々である。


故細井佐内消防長を悼む

2011-08-21 16:11:45 | 日記・エッセイ・コラム

 暑い厚いと言っているうちに今年のお盆は終わってしまった。我が家では五日に孫の良介がお墓掃除と家のかたずけに来て二泊で帰り、十三日には娘の理恵と孫娘の千明が線香上げに来て、これも大学受験の準備の為急いで十五日には帰ってしまった。孫達も何とも忙しい年頃になった物だ。

 お盆送りを済ませた十七日、いわゆる盆がらか、新聞のお悔やみ欄に伊勢崎佐波広域市町村圏振興組合消防長の細井佐内さんの死亡通知が載っていた。この春の伊勢崎工業高校百周年のお祝いの時にお逢いしたが、何となく顔色が良くないな、と思ったがまさかそんなに具合が悪かったとわ、、、謹んでお悔やみ申し上げます。

 細井さんとは伊勢崎市に奉職してからのお付き合いと思うが、「何となくノメッコイ人柄か、伊工の同窓のせいか話すようになり、特に昭和四十五‐六年の頃の広域消防組合の結成準備を企画調整課企画係として細野国光君と進めていたとき、いよいよ大詰めとなると二人では手が回らなくなり、消防署へ連絡すると細井さんが部下を連れて応援に来てくれた。だが部下の人たちは事務作業は苦手のようで、終いまで付き合ってくれたのは細井さんだけだった。

 お蔭様で期日に間に合い市町村長会議で規約原案が承認され、組合議会の設立と各種条例規則の制定が承認議決され、ようやく広域消防が発足したのだった。

 以来いろいろとお付き合い願ったが、伊勢崎市民病院課長時代に市長と商工会議所会頭の遣り取りのなか、伊勢崎商工会議所へ移ることとなり、昭和五〇年四月何代目かの専務理事に就任したのだった。

 この後会議所の事務事業の見直しを行い、大変多くなっていた受託事業の受託を減らす事としてそれぞれの団体と交渉し切り離していった。そのなかの一つが伊勢崎法人会事務局であった、初代事務局長を当時の高橋助役にお願いして西田さんにお願いして頂いたが、途中体調を崩し退任したので当時退職していた細井さんにお願いしようと画策し承諾を得て承認していただいたのだった。

 なれない仕事で大変だったと思ったがあの持ち前のバイタリテーで、以来十数年法人会事務局長を務めていただいた、兄貴のような存在の方だった。

 退任後数年前に奥さんを亡くして淋しい生活だったのでは推察、感無量の想いです、謹んでお悔やみも仕上げますと共に長いお付き合いと御協力に感謝申し上げます。


政治家よ謙虚になれ 選良として

2011-08-20 12:35:27 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は久し振りにこの書斎の椅子にかけPCを叩き始めた。室温二十六℃まさに一昨日までの猛暑と言うか酷暑と言うか、から見ると天国である。今夏は震災と原発事故で節電や放射能問題で踏んだり蹴ったりと言う所へこの暑さ、我々オジン達には住みづらい世の中になった物だ。

 一方政治のほうは被災した人たちや避難を続ける人達ソッチノケで、政権と自公のせめぎ合いが続き、ようやくのろのろと重要法案なるものが此処に来て成立し始めて来た。菅さんの退陣発言の成果かも、イヨイヨ任期末も近づいて来て民主陣営後継争いが熱を帯び始めてきた、「誰がなっても同じ様な物」と言うような人もいるが、とんでもないアメリカに例をとれば前の大頭領のブッシュ君のように大きな赤字財政と中東の戦後処理を残した人もいる、歴代総理のように躓くとすぐに政権を投げ出す人もいる、こんな人たちにその後の事に何だかんだと口を挟む事自体非常に不愉快である。

 とにかく先の大戦後最大の災害である東日本大震災と、それに伴なう津波による原発事故を目の前にして党利党略でとやかく言っている段階でない、それを最も責任政党として六十年近くも君臨してきた自民党が、現民主党政権に小異を捨てて大道に着く と言う非常時宣言が出来ないか、情けない政党と言うほかはない。

 想定外の被害などと言っていないで、早く「我々が進めた原発開発が完全でなく、ご迷惑をおかけして誠に申し訳ありません、私たちもこの国難を閣外から協力して解決に努めます」ぐらいのことが言えないのか、

 未だこの言葉を聞いていない。 アヤマレ


変な夏 

2011-08-08 14:23:08 | 日記・エッセイ・コラム

 暑い暑い何て変な夏なんだろう、七月には十日近くも早く梅雨が空け猛暑日が続いて熱中症が大増発、下旬には戻り梅雨のような日が八月始まで続き、昔の人が言った「土用半ばに秋風が(ぞ)吹く」などとんでもない毎日高湿度の日よりだ。

 今日は立秋なのに、どうしたんだろうこのお天気は、だが書斎の窓から見ると今の雲は巻雲か、秋到来に見えるがもうその後入道雲か、何と変わり身の早いお天気だ。予報では昨日に続き北関東は雷雨で大雨とのことだが、この猛暑日では是非そうなって欲しいところだ。

Rimg0264 秋の雲巻雲か?

Rimg0265 と思う間にモクモクと

Rimg0268 入道雲かになって行く

 もうこの時間に遠雷も聞こえ始めてきた、昨日のように崖崩れはいらないが又充分濡れて涼しくなってもらいたい、節電対策にお天気さんも少しは協力をして貰いたいものだ。

 秋風は何時吹いてくれるか、待ち遠しいこの頃である。