基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

懐かしい島村と利根川

2007-08-31 16:27:54 | 日記・エッセイ・コラム

 わー寒い、は大袈裟か、暑い暑い夏も終わりか新聞によると今日は野菜の日だそうだもう、明日は九月一日防災の日となってしまう、一昨日から雨が降ったり止んだり涼しい日が続いて観測史上初の暑さもいよいよ終わりのようで久し振りのパソコンだ。

 此のところ上毛新聞は絹と養蚕のキャンペーンをしている様で、では無くしているので、我々の育った町や村のことが懐かしく目に浮かんでくる此の頃である。

 俺の育ちかよった境町立尋常高等小学校は、昭和の始め頃佐波郡18校のうち学校プールが有ったのは境校だけであった。伊勢崎北校のそばにあったがこれは市立の一般用で無料の学校プールでは無かったので県内でも珍しい存在だったのではなかったか。

 その様な環境で育ったのでプールで飽き足らなくなった高学年は広瀬川、もう少し大きくなると利根川に泳ぎに行くようになり、島村西島や向河原など自然に生活圏というか遊び圏というかになっていった。 あの懐かしい境町駅新地島村線に沿って屋根の上に櫓を載せた大きな二階家並んでいて、我々が泳ぎに行く頃は秋蚕の繭掻きの頃か繭のにおいが集落を覆っていたかも、その南にはみどりの堤防が一直線に見え、堤防まで子供の足ではなから遠かった、とにかく街から三十分も歩いた後だから大変、そのうえ堤防に登ると砂利会社の掘った天然プールのその先に利根川の本流が見えるのだった、「わー」と歓声を上げながらわれ先に堤防駆け下りて、水遊びをしたり泳いだり天然プールで温泉気分に成ったりしたものだが、このあとが大変、泳いでだるくなった体で街まで帰らなければならないのだから、折角いい気持ちになりながらまた汗をかきかき帰らなければならない、其れでもまた行くのだから子供の気持ちは今になるとわからない、昭和の十年代のことだったけど、あの頃の仲間はいるだろうか?。


フライパンの上の日本列島の上のおじん

2007-08-18 17:02:27 | 日記・エッセイ・コラム

 久し振りにこの部屋へ入りパソコンに向かう、東電に協力かエコ生活の実践か、とにかくエアコンを数多く点けないためにこの部屋を使わなかったのでパソコンとは暫らく対面しなかった。半月振りか、とにかく暑かった気温の記録更新が続き、猛暑日などという聴きなれない言葉も気象予報士の口から飛び出し、かって無い40,9度などという気温の記録更新をしたそうだ。

 日本列島がフライパンになって蝗のように煎られてしまったようだ、テレビの画面では陽炎がユラユラと揺らぎ変な絵になっていたが、まさに煎られて居るようだった。

 七月の体調異常の後医者通いが続き、老人は老人らしく喜寿なんだから若ぶらずにこの夏は過ごす事として、ゴルフの練習もウオーキングもやらず、とにかく老人になることにした。

 久し振りに今日は涼しいので生きかえってパソコンに向かったが、ブログも何処から手をつけるか迷うぐらいだ、後はお盆のことも孫のことも朝顔のことも次の機会にしょう。


まあまあ世の中上手く回らない物だなあ

2007-08-01 18:42:31 | 日記・エッセイ・コラム

 あっという間に八月となってしまった、七月は群馬は二十二日、二十九日と選挙が続き自民の二勝となり、稀に見る保守王国であることが立証される結果となってしまった。

 然しまあーなんだね今回の参議院選挙はおおよその予想通りと言ってよい民主の圧倒的大勝利となったね、いい事だ何か失政があったりしたときは、選挙で気に入らない政党は政権から去って貰うという慣行が出来れば一番いいことではないかな。

 県知事選は上州人気質が出るかなあと想ったが予想外だった。良かったか悪かったか歴史が証人か?  時が流れて判る事もある、曽我さんご苦労様でした。