わー寒い、は大袈裟か、暑い暑い夏も終わりか新聞によると今日は野菜の日だそうだもう、明日は九月一日防災の日となってしまう、一昨日から雨が降ったり止んだり涼しい日が続いて観測史上初の暑さもいよいよ終わりのようで久し振りのパソコンだ。
此のところ上毛新聞は絹と養蚕のキャンペーンをしている様で、では無くしているので、我々の育った町や村のことが懐かしく目に浮かんでくる此の頃である。
俺の育ちかよった境町立尋常高等小学校は、昭和の始め頃佐波郡18校のうち学校プールが有ったのは境校だけであった。伊勢崎北校のそばにあったがこれは市立の一般用で無料の学校プールでは無かったので県内でも珍しい存在だったのではなかったか。
その様な環境で育ったのでプールで飽き足らなくなった高学年は広瀬川、もう少し大きくなると利根川に泳ぎに行くようになり、島村西島や向河原など自然に生活圏というか遊び圏というかになっていった。 あの懐かしい境町駅新地島村線に沿って屋根の上に櫓を載せた大きな二階家並んでいて、我々が泳ぎに行く頃は秋蚕の繭掻きの頃か繭のにおいが集落を覆っていたかも、その南にはみどりの堤防が一直線に見え、堤防まで子供の足ではなから遠かった、とにかく街から三十分も歩いた後だから大変、そのうえ堤防に登ると砂利会社の掘った天然プールのその先に利根川の本流が見えるのだった、「わー」と歓声を上げながらわれ先に堤防駆け下りて、水遊びをしたり泳いだり天然プールで温泉気分に成ったりしたものだが、このあとが大変、泳いでだるくなった体で街まで帰らなければならないのだから、折角いい気持ちになりながらまた汗をかきかき帰らなければならない、其れでもまた行くのだから子供の気持ちは今になるとわからない、昭和の十年代のことだったけど、あの頃の仲間はいるだろうか?。