ここ数日の中国の姿勢が、我々戦後六十年の善隣友好の努力に対する、大きな裏切りに見えてきている。
先の大戦の反省から、東アジアの国々に対して、我々が最大の努力により勝ち得た経済の成果を、ODAや其の他の方法で経済的に立ち行く様援助をしてきた。時にはそれほどしなくもとと思われるほどに、日本にもまだまだ餓えてる人たちが沢山居るのにと思いながら。
二十数年前には産業はほとんど国営で在ったが、かっての鄧小平さんは開放改革を唱えて市場経済に移行をはかり、経済の大転換をした。
我々はこの方針に協力して、工業研修生や農業研修生の受け入れを図り、市場原理に寄る経済進展への理解を深める教育に協力してきた。今この人達が職場の第一線に立ち、大いに活躍している事だろう。
それが経済的に豊かになると大国意識が先走り、話せば分る事を実力行使とは情けない。
戦後我が国は世界の国に対して低姿勢が過ぎるのではと、マレーシアのかっての大統領はよく言っていたが、アジアの大国中国が出来なかった西欧諸国列強の植民地支配を、我が国が止めさせる元を作った功績を、アジアの指導者の中には見ていた人たちが居る事を念頭に置くべきだろう。
一気に秋が今頃来てしまった。一昨日二十二日は最高気温35,2度だったか?、昨日二十三日の春分の日は、三時頃車の温度計で17度、今日はテレビ発表で何度になるか、興味津々である。
可笑しな陽気の年だ、お彼岸の中日の前日まで最高気温が猛暑日とは、東京湾沿岸の巨大都市東京、横浜、千葉等は天気予報では毎晩熱帯夜の様で、忙しく働くサラリーマンの皆さんの寝不足が眼に見える様で可哀想。
但し、中秋の名月が東京では大変良く見えたようでお目出度い、月に叢雲と言うのが十五夜の相場だが。こちら上州の当日は、三時頃から曇り始め六時頃はピカピカ、ゴロゴロドッカン、ザーザーと凄い騒ぎ、まあ良いお湿りと久し振りによく眠れると、ゴロゴロ様もお月様を隠してしまったが大歓迎でのお迎えだった。
ようやく熱帯夜が過ぎ去った所の皆さん良かったですね、我々はお月見はテレビのニュースだったか天気予報だったかで済ませましたから。
今夜も空を見上げたが、十七夜の月は厚い雲に隠れて見えない、空は少し明るく見えるのだが。
長い間この部屋に長居をしなかった、と言う事はPCをいじる時間が殆ど無かったという事だ。勿論ブログなどとんでもない、暑くて暑くてこの部屋の温度はこの時間で34℃ー36℃、到底居られわけが無い、しかも此処のエヤコンは二十年近く前の旧式で机の前の俺に直接冷機を吹き付ける、八十歳になろうというオジンにはきつい環境である。
今日は今現在26℃で凄く快適で過ごし良い、久し振りにPCに向かう気になったところだ、しかし長い空白で書くことが山積、到底暫らく時間をかけないと書き切れないだろう。
先ず昨日の民主党の総裁選、庭の朝顔などのその後、広幹道(354号バイパス)の進捗状況、そして自分の体調の変化のその後、等々きりがないことだ。
RI(Ⅰ131)を飲んだ後の副作用の味覚異常は大分良くなったが、まだ塩味がいま一つと言う所で、まあまあと言う所か?。
と言う所でこの先ジジババむきの陽気の日に逐次報告して行くことにしましょう。